ヘブトラ商会の終わり
深夜、成金趣味の執務室。
男がいた。頭髪の残り少なく、ブクブクと醜く太った蛮鬼のような男だった。
「ブヒヒヒ、いやはや、公爵閣下には頭が上がりませんなぁ。おかげで、表の商売も上々、利益が上がるようになり、馬鹿な市民はすっかり、私の商会を信頼している」
上機嫌な独り言を吐くこの男の名は、アホラ・ヘブトラ。奴隷狩りを行なっているヘブトラ商会の会長である。
「さてさて、今日も商品を検分しに行きますかなぁ」
商売人として、殊勝な心掛けに聞こえる発言だ。だが、それが本来の意味と異なるのは明らか。アホラの股間ははちきれんばかりに膨れ上がり、その瞳に宿るのは、獣欲の昏い炎。
舌舐めずりをしたアホラは、エッホラエッホラと歩き出す。
いつも通りの光景だった。商会の廊下を歩き、地下へと向かう。だが、いつもはダラダラと働くような下っ端たちがなにやら、慌ただしく動いていた。
(ふむ?やっと、やる気になったのか?いや、結構結構!これで商売の効率も上がるというもの、ブハハハ!)
アホラが考えるのは、自分の都合の良いことばかり。上機嫌な彼に声をかける者が一人。
「会長様、少しよろしいでしょうか?」
「うん、何だね?」
アホラは、機嫌良く振り向いた。だが、声をかけてきた者の顔色は悪かった。
「その、辺境伯様が訪ねてこられています」
「何?……何の用件だ?」
「抜き打ちの監査だと、仰られておりました」
それを聞いたアホラの表情は、みるみる変わっていく。肌は赤くなり、目は血走り、鼻息は荒く、唾を飛ばして叫んだ。
「どういうことだ!公爵閣下の後ろ盾を持つ私に、何故、田舎の一貴族程度が口を挟める!」
「そ、それは私に尋ねられても、困ります。とにかく、指示を下さい」
従業員の男の言葉に、少し冷静さを取り戻したアホラは、考え込む。
(何故だ?公爵家以上の後ろ盾でも手に入れたか?それとも、ただのポーズ?とにかく、地下への道は、隠さなくては……)
「やぁ、アホラくん。今回は、本気の監査だ。逃さないよ」
アホラが指示を飛ばそうとした、まさにその瞬間、聞き慣れた男の声が耳に届いた。そちらの方に振り向けば、思わず悲鳴を上げてしまいそうな獰猛な容姿の男。
「これはこれは、シャバニア卿。本日は、監査とのことですが、私どもには、後ろ暗いことは何もありませんよ?」
内心で苦虫を噛み潰し、表情も引き攣ってはいたが、それでも商会の会長。アホラは、スラスラと言葉を述べた。
「残念だが、アホラ。調べはついているんだ。お前んとこの下っ端が、証言してくれたし、ハフル大森林の森妖精たちからもこちらに苦情がきている」
カラグは、最早取り繕うのを辞め、高圧的に言葉を投げる。
その言葉に、アホラは目を見開き、カラグの背後に目をやる。そこには、この商会で雇っている下っ端たち、それに見目麗しい森妖精の戦士たちが立っていた。
「お前たち、何をしている!私が、拾ってやったのを忘れたか!それにシャバニア卿!同じ人間族の私よりも、その野蛮な森猿を信じるというのか!」
アホラの身勝手な叫び。
下っ端連中を拾ったという言葉は、なんのことはない借金漬けにした者を強引に雇ったというだけのこと。
野蛮な森猿という明らかな差別的物言いも、魔術王の逸話で、「気まぐれな隣人」の一種族である森妖精に向けるべき言葉ではない。
そのどれもが、アホラの悪徳を表していた。
「ええい、お前ら!もういい。殺せ殺せぇ!」
アホラの言葉に、雇われていたのだろう用心棒たちが、次々と現れる。カラグたちがそれに応戦するのを、横目にアホラは地下へと急ぐ。そちらに脱出路を用意しているからだ。
(全員、殺せば、公爵閣下のお力で誤魔化せるはずだ。しかし、里ごとに独立した森妖精が何故、事情を知った?どうやって、辺境伯と連絡を取った?)
アホラは知らない。公爵がわざと、不完全な情報を渡した事を。それは体のいい駒として、動きの鈍るような情報は寄越さなかったのだ。
だが、公爵にとっても、予想外の事態だろう。大した影響力を持たない田舎貴族。他の公爵家がこちらを嗅ぎつけ、それと接触して、動き始めのには、まだ、猶予があるものと思われていた。
実際は違った。ただ、一人の異常に事態は動き、すでに公爵までも目をつけられている。
「はぁはぁ……くそっ!」
見た目通りの体力しかないアホラは、やっと辿り着いた地下への入り口でへたり込み、壁を叩いて鬱憤を晴らす。
「おやおや、お疲れですか?会長様」
「あぁ、そうだ。お前、水を持ってこい」
「畏まりました」
すぐに差し出される水の満たされたコップ。そこで、アホラはふと気づいた。こんな状況で、こいつは何故こんなに落ち着いているのかと。
「お前、名前は?」
その問いかけとともに、声の主の姿を確認しようと振り向いた。
そこにいたのは、絶世の美男。その微笑みに、思わず、アホラは喉を鳴らす。
「ジャック・ネームレス。お前の罪償ってもらう」
「な……!?」
惚けた心は、その言葉に正気を取り戻した。だが、遅い。
何をされたかもわからぬままに、アホラの意識は、暗転した。