呪血邪法
「……」
左手に気配を感じたと思えば、背後より斬られた。
右手に気配を感じたと思えば、正面より斬られた。
遠くにいるように見えるが、背中合わせになっていた。
見えている視界すらも、ズレて歪んで罅割れ始めている。
「クククク……」
ファントムの笑う姿に、真下を斬った。
外れだ。
吸血鬼の戦いとは、肉弾戦であり空中戦だ。
互いに、飛膜を広げて縦横無尽にその場を飛び続けた。
狂気が世界を侵している。法則性は無い。正しく、それは狂気的で時に、妖魔剣は主人にすら牙を剥いた。
腕が斬り飛ばされる。脚を奴の土手っ腹に突き立てた。
「おおおおお!!!」
マサミチの雄叫びが聞こえる。チラッと見やれば、息つく暇のない連撃を魔王と交わし合っていた。
あちらには狂気は侵蝕していない。勇者のチカラか、魔王のチカラか。仮面野郎の制御によるものではないことだけは確かだった。
心臓が貫かれた。脳を潰してやった。
迫る血刃を凍てつかせ、昏き炎をばら撒いた。
傷は瞬時に再生する。あちらとて、それは変わらない。限界はお互いに存在しないだろう。
俺は哲人石によって、あちらは封印された何かによって。
ーピキッ……
遂には、空間が限界だと小さな悲鳴を始める。
妖魔剣が振るわれる度に、何かが斬り刻まれ、世界を狂気が侵蝕する。
ッ!?
思わず、魔王城のエントランスの方に視線を向ける。
「どうした?ようやっと、怖気付いたか?」
奴もわかっているだろうに、煽り文句を口にする。
「いや、余裕があったから余所見をしただけだ」
「クク……それは結構。では、そろそろ、真祖として本気を出すとしよう」
「負け犬の台詞だな」
俺の煽り文句に、奴はニヤリと笑った。
真祖の魔力が狂気の侵蝕された世界を満たした。今までの斬り合いで飛び散った夥しい量の血が、支配される。
「?……操作、じゃない?」
「ほう、気づくか。だが、遅い」
ー血魔法【呪血邪法】
「……ぐっ!?ガッ!」
咄嗟に心臓を抑える。この感覚は……
憤怒だった、悲哀だった、喜悦だった、愉悦だった、快楽だった、正義だった、必要悪だった、信仰だった、憎悪だった、嫉妬だった、好奇心だった、物欲だった、嫌悪だった、好意だった、恋だった、愛だった、希望だった、野心だった、生存欲求だった、破滅欲求だった……
無知の知!
クソッ!この特性はホントなんなんだ!?
混濁した意識の中、俺の思考にイメージが浮かぶ。
吸血人の少女の身体を俺の腕が貫いていた。少女は目を見開き、その状況を理解する前に、目の光が消えた。握り締める少女の心臓の僅かな鼓動の名残りが生々しく感ぜられた。
愉悦に歪んだ笑みを、オレが浮かべている。
森妖精の女狩人を組み伏せている。周囲は燃え盛る森だった。夥しい死体が散乱している。女狩人が何かを叫んでいる。必死に、叫んでいる。片手で、女狩人の首を押さえつけ、もう片方の手でその肢体を弄ぶ生々しい感触を感ぜられた。
快いと思う、オレが……い、る?
「チッ!」
セイの鳴き声を聞いた。温かなそれが俺の中のソレを押し流す。
数秒程だろうか。マサミチの戦いに致命的なことはない様子だ。ファントムは、魔法の失敗に舌打ちした。どこか、悲しげに見える。声は無く、口の動きだけで、「やはり、捧げざるをえないか」などと言った。
「セイ、すまないな。イジネの方は勝ったようだな」
「チッ!」
今のは、負の魔力なのだろう。油断した。
思わず、真鍮の指輪を撫でる。今のところ、こいつが役に立つ様子はない。だが、おそらく、セイが間に合わなくとも、これでどうにかなったとは思われる。
だが、それは次善だったろう。必要のない犠牲を払った筈だ。
狂気対策のために、正の魔力を使い過ぎたか。




