開戦
星宮獣帯、獣王国国境。砦の天井にある魔術や弓矢を放つための場所。そこに幾人かの者が固まって佇んでいた。
「準備は良いな?」
「「「はっ!」」」
視線の先に、魔王国軍の威容を捉えながら、立派な白髭を蓄えた老爺が、弟子たちに確認する。弟子たちは、それに即時、応じた。
老爺の名は、ムドデ・イルーリン。人類圏の最高学府、魔術学院の院長を務める人物であり、魔術階級は事実上の最高位、第二階級 偉人。これは現代においては、三偉人として三人しか存在しない階級。残りの二人の内、一人は王国の『賢者』であり、もう一人は行方を眩ませている。
魔術師として、魔道士として、最高峰のチカラを有する彼が得意とするのは、召喚魔術。
「では、始めよう」
ムドデの言葉に、空気が変わる。
彼らの魔力が練り上げられ、研ぎ澄まされる。
やがて、詠唱が厳かに始まる。
「かつて戦場で雄々しく果てし英霊たちよ」
「「「汝、我らを救い給え」」」
「聖府に仕える麗しき戦乙女たちよ」
「「「汝、我らを憐れみ給え」」」
「黄昏はまだ遠く されど今ここに来れ」
「「「どうか、我らの願いを聞き届け給え」」」
「「「「我らが敵を討ち果たし いつかの鍛錬とするがいい!」」」」
彼らが詠うたびに、神聖な波動が辺りを覆う。やがて、最後の一節をぴたりと詠いあげれば、澄んだ青空に広がる巨大な魔法陣。
それは異界へと繋がる扉。そして、彼らが繋げたのは天界。
魔法陣は光を放ち、ゆっくりと扉を開ける。
「【聖天大門】」
ムドデが魔術名を呟けば、最後の鍵が開かれる。
光り輝く扉の向こうから、星の極光を鍛え上げた煌輝兵装を身に纏った麗しき戦姫と猛る勇士の軍勢が姿を見せる。
これこそが、ムドデ・イルーリンの大魔術。
軍勢には軍勢をぶつけることが正道。しかし、その軍勢を魔術で召喚するが故に、事実上、一人で軍を破る者。
『破軍』の異名を与えられし魔術師である。
……
戦姫と勇士が陣形を整えた頃。マサミチたちは、魔王国領側に続く砦の門の前にいた。屋内であるため、外の様子はわからない。
しかし、俺は魔力によっていくらかの状況を把握していた。
「どうだい、ジャック、外の様子は?」
「もう間も無くだろう。ムドデの爺さんの魔術は展開された」
「そうかいそうかい、しかし、あの人も老いたね。大魔術とはいえ、弟子の力を借りなきゃならんとは」
アトリンテが沁沁とそんなことを言った。どうやら、ムドデと親しい付き合いがあるようだが、こいつ、若々しく見えて何歳なんだ?
「もうすぐか……気を引き締めねば」
「ガハハハハ!なるようにしかならんぞ、嬢ちゃん!気楽に行こうや!」
「い、いえその……」
背後では、アナスタシアとレオニダスがそんなやり取りをしていた。
『しっかり着いて行くわよ、マサミチ』
「……」
「マサミチ?……マサミチ!」
「え?どうかしましたか、イジネさん」
「いえ、イル様の言葉に反応がなかったものですから」
「?イル、何か言ってたの?」
『ふん、知らない!』
さらに後ろでは、緊張したマサミチが神剣の機嫌を損ねていた。それをイジネがどうにかフォローしようとするが上手くいっていない。
『『『オオォォォオオオオ!!!』』』
各々がそれぞれの様子で時を待つ中、ようやく外から雄叫びが聞こえる。
魔力を感じるに、戦姫、勇士も突撃した。
「始まった」
誰かがポツリと言った。
……
『鬼謀軍師』イブキ・アラハバキは、閉じていた瞼を開く。
目の前には、自らが預かる魔王国軍の威容。その先には、難攻不落の砦。さらにその上空には、『破軍』の軍勢が陣を敷いている。
(あいつは上手くやっただろうか?……黒騎士は焦っている。そう感じたのは、正しかったのだろうか?……陛下、俺はこれで良かったのだろうか?)
自問自答。正しいと信じた選択をもう一度、精査する。そして、かつての恩人の願いを思い出す。
『国を守れ、民を守れ。私の代わりなどいくらでもいる。イブキ、ーーーこれが真実だ。この宿命を断ち切った時、ようやく、この国は王を迎えることができるのだ』
(俺にとっての王は、陛下だけだった。故に、貴方の願いを叶えましょう)
イブキは立ち上がる。
「全軍突撃!」
「「「全軍突撃!」」」
彼の号令に、伝令たちが角笛を鳴らす。
前面に配置されているのは、魔化物。イブキをはじめとした鬼人族は、小鬼や蛮鬼といった妖鬼に分類される魔化物を支配するチカラを宿している。そのチカラを用いて、損耗しても痛くない兵士を用意できるために、前線を任されるのだ。
魔王国軍はすぐに、人類側の遠距離攻撃の射程範囲に入った。
そして、遂に戦争が始まった。




