迷宮主の影
俺は未だ握っていたそれを見た。
赤く染まった心臓だ。でかい。怪物のそれは、およそ、一般のそれの四倍ほど。
人型のモノとはいえ、分離してしまえば、その辺りの感覚は薄まる。
……。
そう、なにが言いたいかといえば、旨そうなのだ。うん。
「いただきます」
もはや、言い訳をするのも面倒になり、俺はそれに齧り付いた。
味覚も触覚もない口の中に広がるのは、少し粘り気のある液体と適度な弾力があるのだろう肉。顎を動かす触覚とは、別の感覚から言って、おそらく、上質な肉だ。これが獣のしかも調理されたものだったらば、どんなに良かったことか。やはり、五感は取り戻すべきだな。
今は、種族的に感じてしまう、なんとも言えない満足感で我慢するとしよう。
心臓を食べ終わり、怪物のほうを見れば、すでにセイが平らげた後であった。
……相変わらずだな。
無限の胃袋の特性を持っているはずだが、セイのお腹は膨れ上がり、しばらく動けませんの状態だった。おそらく、故意にそうして、満足感に浸っているんだろう。
俺はそれから視線を外して、扉へと足を向ける。
扉の前に着くと、獅子の口に突き刺さった愛剣を抜き取った。
どれどれ。ふむ、欠けた感じはないな。流石、隕鉄、丈夫である。
扉のほうも傷はない。もう少し、確認しようと獅子の口を覗いてみたが、そちらも特にはなにもなかった。
ふむ。怪物は死霊魔術で生み出された存在だから、この奥には、その術者がいるはず。一番可能性のある存在は、迷宮主だろう。こんな所に、人の魔術師が引き篭もっているとは考え難い。
怪物を生み出したのは、この迷宮の治安維持のためだろうか?となると、俺かセイが、はたまたその両方が迷宮主にとって脅威になり得るということか。
……セイはともかく、俺は屍霊なのに、脅威なのか?いや、そもそも、俺は異世界の住人だった。十分、異常だな。
しかし、俺がこっちに来たのは、今のところ、神の気まぐれでもない限りは、その迷宮主の仕業だと思うのだが、自分で呼び出しておいて制御できてないなら、ただの間抜けだな。
一頻り、心のなかで迷宮主を貶めた俺は、幾分か気分が良くなった。だからだろうか、扉の飾りである獅子の目が妖しく光ったのを見逃してしまったのは……。
……。
そこは迷宮の最奥。迷宮主の部屋。
粗末な木の椅子に座るそれは、骸骨であった。前触れ無く、その眼窩に紫の光が灯る。
『ふん、生意気な奴だ。継ぎ接ぎの怪物を倒した程度で良い気になりおって……』
声帯のないそれは、しかし、声を発した。嗄れた地の底から響くような声であった。
『まぁ、これ以上の干渉は流石にリソースの無駄遣いか。ここまで来れたら、ワタシ自ら相手にしてやるとしよう。クックックッ』
迷宮主はしばらくの間、独り不敵に笑っていた……。