ボストン茶会事件
私、いや僕の名前はジェーン。オランダから密航してきた勤労青年。ありふれた名前にありふれた容貌。労働者風の格好をしていれば移民に混じるのは簡単だった。最近は新聞記者として働いている。
右手には『オールドサウス広場でティーパーティー』と大きく見出しのある新聞。僕が先日書いたものだ。左手には遅い昼食がわりのしなびた林檎。
「集会があるんだって。また暴動騒ぎ?」
「総督に課税の引き下げを訴えるらしいね」
「ハッチソン総督は頑固で融通効かないからなあ。無理だろ」
「街の外でやってほしいものだよ。知ってるか、最近は暴徒の街ボストンって言われているんだぜ」
食べ終わった林檎の芯をポイ捨てし、人々の噂に耳を傾ける。どうやら割と正確な話が伝わっているらしい。脳内のメモ帳を取り出してネタを突きあわせる。
「最近は本当になんでもかんでも課税、課税。兵士の世話に、新聞に、それから砂糖」
「その三つの値段は落ち着いたけど。紅茶はそのまま! まったくやんなっちゃう」
「フランスの船もめっきり見ないし……。もうイギリスに頼る必要なんてないよ」
曇りゆく空の下、広場へと続く道を歩きながら想像した。フランスとの戦争でイギリスは勝ちはしたものの大損害、補てんに大わらわのイギリス宰相。東インド会社の救済もしたかったんだろうが……。ざまあみろ。
随分前からアメリカでは独立路線が強くなってきている。茶法により密輸密売、はては普通の貿易まで取り締まりが強化されたわけだから、密輸業者や貿易商の反発は予想していたが、これはちょっと意外だったな。
茶葉の値下がりによる好感度よりも、イギリス議会の影響力の誇示が民主主義の一般市民の気に障ったらしい。
「東インド会社ねえ……、今までずっと高かったのに、いきなり値下げして。質が悪かったりするんじゃないかね」
「紅茶の方がいいんだけど……、コーヒーにしようかしら」
「それはいいね。うちも食後にコーヒーを飲もうかな」
水の消毒目的なら別にコーヒーでも問題ないのは確かだ。一理ある。
さて、ついた広場は毎月の集会のように食い詰めたものたちが押し寄せ、異様な熱気を保っていた。近くのアパートメントの三階に忍び込み、広場を一望する。仕込みは上々、沸騰直前のごった煮のよう。
ちょうど、自由の息子たちを名乗る一派が演説を始めるところだった。台に乗っている大男は、サミュエル・アダムズ、だったか。兄と違って分別の無い民主主義者だ。
「結論から言うと、ハッチソンは荷揚げを拒否しないといった。あいつは味方ではない、イギリスの狗だ! 茶を優遇する上の奴らは馬鹿ばかり! そうだろう!」
サミュエルは下層民の服を纏い、最初は静かに、段々と語調を荒くしていく。簡単な言葉を使い、誰もが理解できるようにかみ砕く。
おう、と答える民衆は多い。毛布を被ったサミュエルの取り巻きたちに引きずられているのだろう。
「イギリス本国は我々から金を毟ろうとしている! 兵士の世話に、紙のたぐい、それから砂糖! 我々の代表を通すこともなく! おまけに本国からやってきた兵士は、俺たちの同志を銃で撃った! 三年前のことだが、みんなも覚えているだろう!? 繰り返す、イギリス本国は我々から金を毟ろうとしている! みんなも酷いと思うだろう!!」
先程よりも多い同意の声が上がった。一七七〇年というと、あれは正当防衛だったと記憶している。先に本国から派遣された駐屯兵に石を投げたのはサミュエルの取り巻きの取り巻きだったような。
結局、下層民は普段のうっぷんを晴らしたいだけなのだろう。それがどこに向かうかといえば。
「今、すぐそこに船が来ている! 見えるだろう、茶を乗せた船だ!」
バッとサミュエルが指さす先には三隻の貿易船。釣られるように人々はそちらを見た。
当然、茶法で儲かると踏んでやってきた本国の東インド会社の船である。
サミュエルは大きく腕を広げ、雨をこぼし始めた空に吠える。
「自治権を認められた我々にとって! 本国の都合で勝手に税を納めろと求められる! これほどの屈辱があるだろうか! ……いや、ない!!! 我々は自由の息子たち! 今こそ立ち上がるときだ!」
さもわずかな希望であるように語る昏い瞳は狂気さえ感じさせる。
「我々は自由を愛している!」
「「「そうだ! そうだ!」」」
「我々は自由と共にある!」
「「「そうだ! そうだ!」」」
「我々は自由な貿易を標榜する!」
「「「うおおおおおおおおお!!」」」
爆発したような怒号も、実際の行動に移るほどではなく。雨に打たれてこれで解散か、というような雰囲気さえ漂っていた。それは困る。
僕はサミュエルの取り巻きたちに悪態をつき、素早く、しかし慎重に吟味し言葉を落とすことにする。
「お茶と海水を混ぜたら、どうなるかな」
思いつきを装って降らした僕の呟きは、一拍の静寂をもって全体に波及していった。植民地に対し恭順を求めるイギリスにとっては、さながら悪魔のささやきだろう。
それはきちんとぼんくら指導者の耳に入って思考を汚染したようだ。
「国を救うためには、もうそれしかない。皆、俺に続けえええ!」
サミュエルと取り巻きたちは毛布や上着を脱ぎすて、再び熱に浮かされた民衆を率いて港の船に突撃する。どこからか取り出した羽飾りをつけ、あらかじめ施しておいたボディーペイントを晒す。当初の予定通り先住民に扮して身元を覚えられないようにするためだ。
彼らは数を武器に、船上から茶の入った箱をどんどん落としていく。
「ボストン港をティーポットに!」
「「「ボストン港をティーポットに!」」」
もう一回、僕が煽ってやれば、面白いように他の民衆も繰り返した。誰が言ったのかなんて誰も気にしなくなる。みんなが言っていた、それでいいのだ。思惑通りに展開して、僕は高笑いしそうだった。
ざあざあと降りしきる雨の中、僕は熱狂の広場をあとにした。さてさて、どうやって料理しようか。
◇
【部外秘】
暗号文書
ニューヨーク、フィラデルフィア、チャールストンでの茶葉の荷揚げに対する暴動工作は不発に終わったが、ボストンでは急進派を誘導し、無事に反イギリス感情を露出することに成功した。以後、茶投棄事件と呼称する。
今後、穏健派を急進派に合流させるために、イギリスにおいて次の工作を要請する。
イギリスの貴族に対し、植民地政策の強化を促すものが良いと考える。植民地の自由を求める感情を無知蒙昧なる全ての民の発言とし、王国による統治が必要であると思考を誘導すること。また、茶投棄事件での損害を植民地側に求めさせるように誘導すること。両者の対話等による事態の冷却をはかる諸勢力を妨害すること。
それらによって、ますます両者の対立は深まり、イギリスの権威は失墜するものと考えられる。
アメリカ大陸の資源に影響を及ぼせなくなれば、イギリスの国力は大幅に減少するものと考えられる。イギリス・アメリカ間で内戦が勃発すれば至上だが、海を隔てているため難しい。
また茶投棄事件はアメリカの穏健派にとっても忌むべき財産権の侵害であった。今後、急進派の巣窟であるボストンが孤立する恐れがある。
よって、『今後、イギリス議会によって反抗的なボストンが見せしめにされる可能性がある』とし、すべての植民地の問題であるかのように報道・扇動する方針である。
また、茶葉の不買運動は依然として続いており――よほど自治権に対する執着があると思われる――以降、アメリカでは紅茶でなくコーヒーを密売されたし。
本国指令部の賢明な判断を期待する。
一七七三年 十二月十六日
コードネーム:ジェーン・スミス
※本作品は「もしもボストン茶会事件が当時のイギリスと敵対する国家のスパイによって扇動されたものだったら?」という視点で書いたものであり、このような陰謀が実在したわけではありません。
※茶投棄事件に関しまして、「茶会事件」の呼称は1830年代以降から見られる(久田2011)ためこの表記を用いています。
参考
久田由佳子『ボストン茶会事件をめぐる記憶とアメリカ史』愛知県立大学外国語学部紀要第43号(地域研究・国際学編),231-245,2011
真嶋正己『バークの強圧諸法批判と『アメリカ課税』』社会情報学研究 Vol.10,25-44,2004
他、ネットの記事
https://home.hiroshima-u.ac.jp/utiyama/ISIS-6.6.W.html#shou2
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3474/
https://www.y-history.net/appendix/wh1102-014.html