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彼我  作者: てんてこ
5/11

面接

バスを降車して坂道を上っている途中に、ポケットから振動が伝わった。少し立ち止まり、携帯を見ると中野あたるからだった。

「今も募集しとるよ。高校生から大丈夫らしい」

下には親切に電話番号も記されていた。僕は公園へ立ち寄り、ブランコに揺られながら、その番号に電話した。

「はい、こちらノベルのベルです」

「はじめまして、バイトの募集を見て電話した小倉敦樹と申します」

 面接の日取りを言われ電話を切った。母親には事後報告になってしまう。あの明晰夢から、もっと前から、引っ越してきてから母親は変わった。潔癖になったとでも言うべきか。僕の中にも、その汚れを見つけ出している。しかし僕の母だ。血を分けた母だ。自分に言い聞かせ甲高い音を鳴らした。

 靴を揃え、二階へ上がり鞄を置き、部屋着へと着替え、階下にいる母親、台所まで向かった。僕が僕自身に唱えた呪文が切れてしまうまえに。

「バイトしたい」

「好きにしな」

僕が呆気にとられた。会話のキャッチボールはなく、一投目をバックスクリーンへ運ばれた。そんな感じだ。殺伐とした雰囲気でも、許しを貰うことができて、気兼ねなく面接に行ける。母親は僕のお礼の言葉には反応せず、布巾を片手に持って横を通り過ぎて行った。

 粛々と夕飯を食べ終わり、母親に詮索されるのを恐れ、自室へ逃げ込んだ。許してもらえたと言っても、母親は何も知らない。知られてはいけない。バイトの求人情報を中野あたるに調べてもらった事ですら、止める理由になりうるだろう。かてて加えて、被害者にさせてしまった親族が切り盛りしているお店など許すはずもなかった。後者に限っては、母親に同情できる。他人事のように言ってしまえば。しかし、これも海原凪の残り香を嗅ぐためだ。僕は自ら飛んで火に入る。

 人は僕の事をストーカーと言うかもしれない。そんな狂気めいたものではない。純粋な愛からの行動だ。その純粋な愛が狂気だと言われればそれまでだが。

 鞄から借りた本を取り出し、ベッドに横たえた。表紙を開けば丁寧に栞まで挟まれており、彼女の如才ない性格を垣間見たような気がした。ページを繰ろうとして、耽読でもしてしまったら、と、危惧し本を閉じて床に置いた。明日は朝から履歴書を買いに行くなど、面接の準備をしなければいけない。夜更かしは禁物だ。

 コンビニの利便性に改めて感服した午前だった。念には念を入れた結果、滞りなく準備が整っている。コンビニで買った履歴書には、証明写真以外は全て書き記した。問題があるとすれば、その証明写真だ。引っ越してきてまだ半年も経っておらず、土地勘と言うものは皆無に等しい。そんな訳で、これを機に逍遥かたがた証明写真機を探すことにした。

 汗を拭きながら、撮影した証明写真を机の上に置いた。小さなスーパーマーケットのひっそり閑とした隅に佇む証明写真機を見つけた時は、嬉しさよりもどことなく親近感を覚え、高野であったときの思い出も込み上げてきた。

 あれは中学生の頃、自慰行為を知り、夢中になっていたとき。僕たち(中野と平田)は、アダルトビデオがよく捨てられていた穴場を見つけていた。それらを各々持ち帰り、両親がいない隙をみて、アダルトビデオを見ながら、自慰行為に耽っていた。ある日、平田は「見つけた」と破願して言ってきた。それは風聞として聞いていた、アダルトな自動販売機のことだった。僕たちは平田の案内で、その自動販売機に行った。周りには何もなく、車の交通量も少ない、峠道の中腹にあった。それは隠れるように、隠されるようにひっそり閑とした場所に佇んでいた。

 証明写真機の佇まいが、その自動販売機と重なり、思い出したのも一つの理由だが、湧き起った感情が似ていたのだ。自動販売機を目の前にすると、好奇心は薄れ、恐怖心が霧となって訪れ買うことを止めた。その感情が証明写真機を前にしても湧き起ったのだ。思い出と違っていたのは、恐怖心は靄となって訪れたことだった。その為、証明写真は撮影することができた。

 タオルを掛けた椅子に座り、最後の作業を済ました。完成した履歴書は、小倉敦樹だけしか存在していない。僕の中で生じている断層は紙の上には現れなかった。これが本来の考え方かもしれない。僕はまだ到底できそうもない。過去を現在が越えなければ。

 ハンガーに掛けていた学校の制服に着替え、鏡の前に立ってみると、そこに映る男は浮足立っていた。その男を見て、こんな顔になるなよ、と、自分に言い聞かせノベルのベルへ向かった。バスに乗り、膝の上に置いた鞄から履歴書を出し、小倉敦樹として過去を振り返ることにした。今日だけは高野を抑えこまなければならない。

 揺れるバスは一瞬間静かになり、また揺れ始めた。履歴書から顔を上げ、窓の外を見てみると、終点に止まっていた。揺れは他の乗客が歩き出したものだ。僕もその揺れに加わり、運転手にお礼を言って降車した。面接時間までは三十分の時間があることを携帯で確認しコンビニへ立ち寄り、家で食べる時間がなかった朝食を買うことにした。

 思いの外、レジに列ができており時間を要した。僕は買ったおにぎりを食べながら歩き、二つ目のおにぎりを立ち止まり嚥下してから、準備中の札が吊るされている扉を開けた。

 ベルを鳴らして店内に入ると、ベストに蝶ネクタイの姿をした中年の男がコーヒーを淹れようとしていた。彼の頭上にある壁時計は、面接時間の十分前を指していた。二度目のベルが後ろ手から響くと、彼は注ぎ口が長いじょうろのような薬缶を置いて、扉の前から動かない僕を隅の席へと案内してきた。

「少し待ってて」

彼は言って、じょうろからお湯を注ぎ、二人分のコーヒーを持って来た。

「おはようございます」

対面して座る男に改めて挨拶をして、彼の顔をしげしげと見つめた。彫が深く、鼻筋の通った、どこか日本人離れした顔を。僕は人を寄せ付けないようなその目に怖気づき、視線を落とした。コーヒーに映っている姿は家で見た、浮足立っている男だった。僕の緊張は汲み取ってもらえず、

「履歴書見せて」

厳かな声で彼は言ってきた。

 海原凪に救われたときと同じ店、同じ席のはずなのに、目の前に座る人が違うだけで店内の雰囲気は全く違うものに感じた。僕は言われた通り、鞄から履歴書を出して彼に渡すと、軽く目を通しただけで履歴書は裏向きにされた。彼は履歴書の上で手を組み、あの目で見据え、

「どうして、このお店を選んだの?」

唐突に面接は始まったらしい。質問に答えるべく数ある言葉から、綺麗な言葉を並べようとした。すると、

「君は凪と来てた子だよね?」

彼は組んでいた手を握りしめ言っていた。

 一つ目の質問に答える前に、二つ目の質問をされ、どちらに答えればいいのか分からない。彼は揺れるコーヒーを手に取り、間を埋めようとしていた。僕も自分が作っている間に耐えられず、コーヒーにミルクと砂糖を入れ、かき混ぜた。カップにあの男が現れないのを確認すると、緊張は和らぎ、考える隙間ができた。平常心を取り戻した僕は良くも悪くも共通点である、二つ目の質問に答えた。

 僕の面接は終わった。始まってもいなかった。一つ目の質問には数多の言葉が隠され、怖気づいたあの顔は僕だけに見せたものらしい。僕は海原凪と初めて来て、店の雰囲気がとても気に入ったことを伝え、鞄から「地球を丸くした男」を出し、本が好きだと言った。この時はまだ面接だと思っていたから。彼は僕のまだ続きそうな話を制止して、

「僕が言ってるのは、自分の立場を理解してるのかってこと」

半ば呆れ、侮蔑が含まれているような声だった。

 僕はそれからと言うもの話すことはなかった。ただ彼の止め処なく溢れる、聞くに堪えられない話を聞いていただけだ。

「入店した君を見てもしかしてと思ったけど、履歴書を見させてもらって確信したよ。凪から話は聞いてたからね。まず言っておくけど、加害者の君は雇わない。そしてこの店には来ないでくれるかな。今日で最後にしてくれ。凪から何を言われたか知らないけど、世の中そんなに優しい世界じゃないよ。僕たちは被害者にさせられた。加害者の君たちに。きつい言い方かもしれないけど君の考えが理解できない。最後に、凪には今後一切近づかないでほしい」

 ことの顛末を聞いた中野あたるは、顔を顰めていた。彼も僕の考えが理解できないでいるのだろう。其の実、端折りながらも聞かされた事を改めて自身が口にすると、僕の考えは理解できないものになっていた。彼は表情を意識的に作り直して、慰めの言葉を掛けてくれた。それは気休めにしかならないと知りながら。しかし、僕は彼なら言ってくれるだろうとの算段でノベルのベルを這う這うの体で逃げ、彼の家に押し掛けたのだ。拠り所を求めるように。

 帰りしな、僕はなぞなぞを出した。

「きってもきってもきれないものはなんだ?」

彼はしたり顔をして答えた。

「トランプ、水、煙」

僕はその答えを聞いて、彼に求めすぎたと悔いた。海底に沈み続ける僕に酸素だけをくれ、決して地上までは引っ張ってくれないと。勝手に期待し、勝手に失望する。しかし、酸素がなければ死ぬのも事実だ。彼は確実に酸素をくれる。

「ありがとう」

僕は生きながらえることを感謝し、後にした。彼は僕を救った気持になれたのだろうか。


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