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彼我  作者: てんてこ
2/11

秘密

何回目かのチャイムが鳴り、皆一斉に立ち上がり、廊下には友達と話す人、小走りで部活に行く人、僕と同じように帰る人が溢れていた。同じと言っても友達と帰る人が割合の多くを占めた。やはり僕は一人だった。目だけで谷圭一を探しても、どこにも見当たらない。見つけた所で別に用事はないし、話すことも特になかった。結局一人で校門を出て、朝とは反対車線のバス停で待ち、定刻通りに来たバスに乗り、上り坂になった坂を上がり家に着いた。

 ただいまと言おうとしても、声が思うように出ない。家を出てから帰ってくるまで自分の声を聞いていないことに気が付いた。声の出し方を忘れてしまった。代わりに例の音で帰宅を知らせ、自分の部屋へ向かった。ベッドに横たわると、見計らったように携帯が鳴り始めた。それは地元であった、友達からの電話だった。引っ越してきて初めての連絡だ。いそいそしながら電話に出ると、懐かしい中野あたるの声が聞こえた。

「もしもし、久しぶり。そっちで楽しくやっとるん?」

「まあまあかな。それより急にどうした?」

「今週の日曜日にこっち帰って来いよ。久しぶりにさ」

二つ返事で承諾して電話を切った。

 中野あたると話してから、家族以外と話すことなく日曜日を迎えた。母親に中野あたると遊ぶことを言おうか逡巡して、結局言わずに友達と遊ぶとだけ伝えた。友達がいないことは知っていたはずだが、見咎められることなく家を出ることができた。短期間で友達ができたと思っているのだろうか。地元までは電車を乗り継いで、二時間ほどの道のりだった。一駅進めば人は少なくなり、乗り継ぎの電車は二両編成で、地元の過疎化を如実に表していた。終点では既に誰も乗っておらず、僕だけしかいなかった。構内を抜けると懐かしい潮の匂いがして、久々に地球へ帰還した宇宙飛行士の気分だった。

 見慣れた景色に心躍りながら、中野あたるの家まで足早に向かう途中に、「諸井駄菓子」と看板を掛けている、今にも崩れそうな木造建てへ寄り道をした。店内は裸電球一つだけが吊るされ、その明かりはリアバンパーに凹みがある車に吊るされている交通安全と書かれたお守りと同じように、心許ないものだった。幾つかの駄菓子を手に取りレジへ行くと、奥の部屋から同じ年だと思われる、初めて見かける女の子が出てきた。薄い桜の色をしたニットに、ロールアップされた青いデニムを履いて、どこかこの辺りには似つかわしくない瀟洒な服装だった。彼女は慣れた手つきで電卓に打ち込み、合計金額が表示されたディスプレイをこちらに向けた。表示された数字と丁度のお金をカエルの形をしたカルトンに置いた。細々とした駄菓子を袋に入れている彼女が、

「君はここら辺に住んでる人?」

動かす手から視線を逸らさず彼女は話しかけてきた。僕もその琴を弾くような、しなやかな指を見ながら、

「ちょっと前までは住んでました。でも進学と共に引っ越しました」

彼女が少し眉をひそめ、駄菓子を入れ終えた袋を突き出した。

 太陽は薄い雲に覆われ、影になった往来を歩いて中野あたるの家に着いた。インターホンから中野あたるの声が聞こえ、鍵の開く音が聞こえ、久しぶりに友達と呼べる人に会えて抱きつきたい衝動に駆られた。脱いだ靴は下駄箱の反対側に揃え、リビングにいるであろう彼の母親に聞こえるように挨拶をした。

「母さんはいないよ。先に部屋に行ってて」

そう言われ、一人先に二階の部屋へ行った。

 本屋の匂いがする、昔と変わらない部屋だった。本棚に仕舞えない本は床に累々と堆く積まれていた。ベッドに座ることは憚られ、床に座るとコップを持った彼が部屋に入ってき、脇に挟まれているオレンジジュースをそれぞれのコップに注いだ。一口飲んでから諸井駄菓子店で買った駄菓子を床にばら撒き、彼女の事を思い出した。

「諸井に見知らぬ女の子がおったけど知っとる?」

彼は短く息を吐き、ベッドから床へと座り直した。

 部屋は沈黙に包まれた。匂いも相俟って、本屋の独特な雰囲気を思わせるものだった。彼はコップの水滴を拭いて徐に口を開いた、

「もしかして何も聞いてない?」

その声は糸を伝って届いているようにか細かった。小さく首を振ると彼は続きを話し始めた。

「引っ越してすぐに、敦樹の父さん交通事故起こしたんよ」

嗟嘆の声も出ない。喉の奥から何かに引っ張られているような感じだ。その様子を見てか、彼は空になった僕のコップにオレンジジュースを注いで、少し間をおいて続けた、

「それで諸井のばあちゃん亡くなって、一人になったじいちゃんの為にその家族が帰ってきたって」

全てを聞き終えても理解が追い付かない。彼女のことを聞いたつもりが、父親の交通事故を聞かされ動転しているのが自分でもよく分かった。彼は僕を残して部屋を出て行った。

 部屋に残されている間、様々な考えが濁流となって襲い掛かってきた。父親は人を殺めてしまったのか。それをなぜ聞かされていなかったのか。母親が高野を捨てたがる理由はこれだったのか。考えても次々と新たな疑問が流れてくる。今日の所は濁流に身を任せ、落ち着いたときに改めて考えよう。落ち着けるか不安もありはしたが、今はそうするしか他なかった。

 濡れた手をトレーナーで拭きながら、中野あたるは部屋に入ってきてすぐに、

「さっきの話は忘れて」

意識的に虚空を見つめているのか、彼の発した言葉は温かみを奪われてから耳に届いた。きっと彼から聞いたと言わないでほしいのだろうと思い、「わかった」とだけ言ってまた彼女について聞いた。

「で、諸井におった彼女とは同じ高校?」

彼は目を瞠り、小さく頷き横に振った。彼とは竹馬の友で、つうかあの仲であるからお互い言葉が少なく足らなくても、言いたいことは理解することができた。僕は短兵急に話題を変え、近況報告を始めた。

 話し終えると中野あたるに安堵の含まれる笑顔が戻り、次に彼が話し始めた。当然僕の話は全て作り話だった。滔々と話す彼は突然、門が閉まったように話の途中で口を紡いだ。

「平田が海原のことを好きになって、」

なるほど、諸井に居た彼女は海原と言う名前なのか。

「平田なら明日にも好きな人は変わるよ」

僕は何も気づいていないように、中野あたると同じ幼馴染の平田について話を広げると彼は口に溜めてあった言葉を飲み込み、微笑を浮かべた。

 外から音楽が流れ始め十七時を知らせていた。懐かしいメロディーを聞き終えてから、ゲームの電源を切り帰宅の準備をした。最後に氷で薄くなったオレンジジュースを飲み、中野あたるの家を後にした。彼は駅まで見送ると言ってくれたが、近いうちにまた来ると言って断り、彼とは玄関で別れた。玄関での彼の表情は揺れる水面に映る満月のように歪んで見えた。

 外に出ると密集した家屋が類焼しているかの如く夕日に照らされており来た道とは違う、山を切り開いた海が一望できる道を通り、帰ることにした。この辺りに住んでいる人たちは、海沿いと呼んでいる。その海沿いを歩き、今にも滾りそうな海を見ながら歩いていると、テトラポットの上に孤影悄然と佇む人がいた。危ないと思い声を掛けようとしたが、掛けられるはずはない。初対面であろう人に声を掛けられるなら友達ができるはずだ。ただその姿を海と一緒に眺めながら歩いていると、佇んでいる人が振り向いた。

 ファインダー越しに見ているように、シルエットしか見えない。

「ねえ。ねえ。ねえってば」

聞き覚えのある声は僕に向けられて発していることが分かった。周りには僕しかいなかったから。足早になった足を止め、テトラポットから降りて近づいてくる姿を見て、やはりと思った。小走りで駆け寄ってくる彼女の表情は逆光のせいか、窺うことはできずにいた。彼女からは僕の顔が強張っていくのがよく窺えただろう。

 両ひざに手を置き呼吸を整えてから、顔を上げたその表情は諸井駄菓子店で最後に見たときと違い穏やかだった。背後を車が通り過ぎるのを確認してから、彼女は胸に手を当て深呼吸をし、

「君は昼前に来た人だよね?今はどこに住んでるの?」

彼女の質問に答えようとしたが中野あたるの話が蘇り、言葉が見つからなかった。この場から逃げ出したくなり、携帯で時間を確認して間接的に時間がないことを知らせようとした。すると彼女は理解したように、

「この辺って電車一時間に一本しかないから大変だね。聞きたいことがあるからアドレス交換して」

じゃんけんをするとき突然言われるとグーを出す人が多いらしいが、それと同じではないにしても、右手に握っていた携帯を突き出している、自分の行動に納得した。

 電車を乗り換える頃に、メールが一通届いた。差出人に母と表示されていて、安堵の息を漏らしメールを開いた。

「今どこにいるの?早く帰ってきなさい」

文面だけで怒鳴っていることが分かった。メールでは言葉足らずになると思い返信はせず、詰問されることなく受け入れてもらうために一計を案じることにした。

 等間隔に並べられた街灯はどこかに誘うように道を照らしていた。違う世界へ行かないように、携帯の懐中電灯で道を照らし、自分の道を出現させた。道すがら不意にあることが頭をよぎり、小走りで帰った。

 上がり框に座り靴を脱いでいると、背中から怪獣のように一歩一歩ゆっくりとそして大きな足音を鳴らして母親が出迎えに来た。

「あんた、中野くんの家に行ってたでしょ」

背中が焼き爛れそうな感覚になり、電車で考えた一計は無駄となった。母親はどこでどうして知ったのか考え、答えは一つしか思いつかなかった。いま容易に思いついたことを、なぜ中野あたるの家に行く前に思いつかなかったのかと、自責の念に駆られた。

 母親のメールを思い出す。早く帰ってきなさい。それは僕の帰りが遅く心配して、寄越したメールではなかったらしい。中野あたるの家に行っていたことを早く難詰しようとしてのメールだった訳か。茶の間から、鋭い声が聞こえ恐々とそこに行けばテーブルを挟み座布団が既に置かれ、その一つに母親は陣取っていた。対面すると同時にゴングが鳴らされたように母親は口撃してきた。

「前にあそこには行っちゃいけないって言わなかった?」

母親を見据えたまま何も言わなかった。

「中野くんから、あんたのお父さんのこと聞いたでしょ?」

あんたのお父さん。その言葉を聞いて目の前に座る人は誰なのか分からなくなった。

 ポケットに入っている携帯が、押し入れに閉じこめられた子供のように激しくも弱弱しく鳴り、震えた。目の前の誰かはまだ話していたが、疲れたのか呆れたのか、俯き謝ると簡単に許してくれた。許してもらったと言うよりは、放されたと言った方が近いのかもしれない。部屋に戻り大きく息を吐き、乗り換えの駅で立ち食いうどんを食べていてよかったと思った。夕飯は片付けられていて、用意もされていなかった。

 部屋着に着替えようとして、ポケットに入っている携帯を取り出し着信があったことを思い出した。着信に釣られて、帰り道に頭をよぎった危惧も思い出した。メールのフォルダを後にして、携帯に設定してあるプロフィールを確認した。赤外線で連絡先を交換した場合、自分が登録した名前が相手に保存されるわけだが、高野敦樹から小倉敦樹に変更した記憶がなかった。海原は自分の祖母を殺した犯人の名前は知っているはずだし、名前を見れば網を手繰り寄せるように容易に想像できるだろう。暗証番号の最後の数字を入力すると画面には、「敦樹」と表示された。身体から力が抜け杞憂に終わったことにベッドへ崩れ落ちた。

送信者の名前に「海原 凪」と表示されており、中野あたるの愚直さに笑ってしまった。名前を確認してメールの内容に目を遣っても、文字の羅列としか頭には入ってこず、反芻することで情報として理解した時、その短いメールは僕を地に叩きつけ、これから長い間苦しませるであろうものだった。

「もしかして、君って高野くん?」

一瞬間、暗くなった画面へ顔が映り笑顔が消えていることに気付いた。

 海原凪の文面はどこか確信を持って、聞いているように感じた。糊塗しようと思えばできるかもしれない。しかし、それはさらに自分を苦しめ、あれほど拒み続けた「高野」を捨てることになってしまう。考えることが多すぎる。リラックスするため、お風呂に入ることにした。

 泡を纏った体にお湯をかけ、今日一日の汚れ、恐怖、不安、懸念、焦燥、疑問を一緒に流したかった。が、汚れ以外は毛穴から侵入して脳を支配してしまっていたようだ。リラックスどころか、手持ち無沙汰を感じ、気が付けば何かを考えており、意識的にリラックスを促しても、また何かを考えているの繰り返しで初めてお風呂で疲れてしまった。

 麦茶を求めて茶の間に行こうと廊下を歩いていると、微かに話し声が聞こえ、耳をそばだて息を殺した。聞こえる声は不自然に小さく、体に備わっているマイクを切って、言葉を口の中に留めているような話し方だ。咳払いを一つしてから、茶の間に入りお茶を飲んだ。

 階段は軋み、音を立てる。今にも壊れそうに。部屋に戻ってベッドに横たわる。逆上せてしまったのか、頭が濛々として考えることを無意識に止めていた。空白になった頭は、僕を連れ去った。

 等間隔に並べられた街灯はどこかに誘うように道を照らしていた。違う世界へ行かないように、携帯の懐中電灯で自分の道を照らそうとして、右のポケットに手を入れても何も感触はなかった。左のポケットにもなく、あるはずの携帯はどこにもない。観念の臍を固め、歩を進めた。点在する家からは温かい光は漏れておらず、冷たい闇と、一つ所を照らし、闇を際立たせる光しかなかった。

 何度も歩いた道のはずなのに、進むにつれ不安になり、迷子のような心細さが闇に乗じて襲って来ていた。最後の街灯を過ぎれば、門灯の明かりが見えるはずなのに、他の家と同じように我が家にも光はなかった。おずおずと玄関に近づき、引き戸に手を掛けようとした時、足に何かが当たった感触がした。それに驚き急いで引き戸を開けようとしても開かなかった。施錠されている。

 僕は気付いた。夢であることを。あの時に不安を感じ、自分の道を照らさなかったら、今僕がいるこの世界になっていたのかもしれない。なみなみと心に注がれた感情は溢れだし、その場に頽れた。夢だと分かっても覚めようとせず、この世界は続くので目の前にある、先ほど足に当たった正体を確かめることにした。それはゴミ袋だった。何個か置いてある袋を持ち、街灯の下まで行った。一つ目の袋には探していた今までの卒業文集とアルバムが入っていた。二つ目は僕の衣類だった。他にも僕に関係している物が捨てられていた。不気味に感じながらも、夢であることに安心していた。最後の一つを玄関へ取りに行き、持ってみると余りの重さに引きずって運んだ。

 一本の線。何で引かれたか分からない。何色かも分からない。ただ袋が破け、そこから何かが零れているのは分かる。一本の線に色彩が戻ってきた。黒い。いや赤い。恐々と袋を開け、顎を引いて中身を覗いた。ああ。僕だ。

 何かに引き寄せられ目を覚ました。天井を見つめている僕が、夢の中にいる僕を引き寄せたのかもしれない。茶の間で聞いた母親の言葉通り、捨てられていた。起こり得た夢の世界。或いは起こり得る夢の世界。僕は誰もが経験しているであろう、人生の分岐点と言うものが、ありありと今感じることができていた。壮大で漠然としたフローチャートの上に佇んでいるような。

 携帯を開くと、海原凪のメールが表示された。分岐点。糊塗するのか、しないのか。曖昧な返信をするのか、しないのか。話を逸らすのか、逸らさないのか。様々な選択肢が眼前に現れる。選択肢の中に「無視する」はなかった。彼女の暗い時にだけ見せる猫の目のような大きな瞳に惹かれていた。高野であった事実がなければ、一目惚れしていたかもしれない。人が感じる第一印象は目に集約していると言っても、過言ではないかもしれない。

 儘よ、正直に言ってみよう。思い出していた海原凪の大きな瞳を隅に置き、文字を入力した。

「こんばんは。遅くなってすみません。元高野と言ったとこです」

無駄な装飾をして、婉曲に伝えた。彼女は僕が高野だと事実を知って、何がしたいのだろう。殺したいほど憎んでいるのだろうか。彼女の思惑はなんだろうか。

 けたたましい音が頭上で鳴った。昨日は体よりも脳が疲れ、その脳に追撃するように、海原凪のことを考えていたら寝ていたらしい。目覚まし時計を止めて、携帯を見た。誰からも連絡はなかった。いつものことだが、いつもと違う。彼女から届くはずの返信はなかった。階下から声が聞こえ、携帯を充電器に繋げ、洗面所で顔を洗いながら、久しぶりに充電するな、と、思い不思議な感じがしていた。

 いつも通り、朝食を食べ終わり、自分の部屋へ鞄を取りに行き、上がり框に座り靴に足を入れていると、

「もう、中野くんの家に行っちゃだめよ」

背後から聞こえる声音は、昨日と違って温和に聞こえた。しかし、その言葉には「次に行ったら捨てるぞ」という、温和と離れているものが含まれているようにも聞こえたのは確かだ。僕は頷き家を出た。


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