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彼我  作者: てんてこ
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佇立

 高野と自分で書いた名前を全て消した。しかし紙には消しても高野と刻印のように薄く刻まれている。高野だった事実を忘れたくなかったが、その刻印の上から小倉と全て書き直した。

 両親の離婚で十五年間過ごした地元になった場所を離れ、母親の実家に引っ越すことになった。離婚は頃合いを見計らったように、円滑に、自然に新しい生活へ馴染むことができるようになっていた。

 教室には既にいくつかの集団が出来ており、僕はと言うと大皿に残された唐揚げのように、席に座りぽつねんと佇んでいた。それを見兼ねたのか一つの集団が近づいてき、

「どこの中学?」

健康的とは言えない日の焼け方をした坊主頭の一人が聞いてきた。

「太田野中学」

それを聞いた坊主頭の彼が驚いたのが見て取れた。少し不思議に思っていると彼が、

「今日、一緒に帰ろう」

その言葉に当惑しつつも頷くと、右手を中途半端に上げて離れていった。集団の一人に僕はなることができなかった。

 放課後になると約束通り彼は一人で声を掛けてきた。聞きたいことがあると言って、近くのファーストフード店へ連れていかれた。彼は夕飯が近い時間にも関わらず、ポテトとハンバーガーのセットを頼んでいた。席に座っても、食べるだけで何も聞いてくる様子はないので、こちらから話を振ってみた。

「聞きたいことってなに?」

彼は食べ終わったハンバーガーの包装紙を丸めて言った。

「太田野中学の近くに、諸井駄菓子店ってなかった?」

「あったあった。時々買い食いもしてた。それよりよく知ってるね」

「知り合いがいてね」

包装紙は小さく握りつぶされていた。彼は結局何が聞きたかったのだろうか。それからお互い何も言わず、彼が食べ終わると赤外線で連絡先を交換し、各々帰路についた。携帯の電話帳に新しく、谷圭一と保存され初めて彼の名前を知った。

 新しい家は立て付けが悪く、玄関の引き戸を開ければ甲高い音が耳を聾した。「ただいま」と言っても甲高い音にかき消されたのか、「おかえり」とは聞こえなかった。「おかえり」もかき消されていたのかもしれない。一直線に自分の部屋に行くと、朝に部屋を出た時より全ての角が揃ったように綺麗になっていた。それは不自然な綺麗さで、部屋の変化が目ざとく見つけることが可能だった。机に取り付けられた本棚は、何かの本が抜かれ隙間ができていた。まるで乳歯が抜けている子供のように不格好だった。本棚に近づいて抜かれた本が何か分かった。

 階下から声が聞こえ急いで階段を下りた。茶の間には祖父母が上座に座っており、テレビはその風景を映していた。テーブルに祖父母のための料理を並べ終えると、正座をして皆で手を合わせてから食べ始める。それらが行動様式となっていた。この家では一汁一菜が常であり、お米は少し柔らかく炊かれ魚料理が多かった。朝食も同じようなもので、パンが出たことはなく、どこか退嬰的な時代錯誤しているようだった。

 皆が食べ終えるまで席を立つことは許されておらず、ただ他の三人が食べ終わるのを待っていた。祖父、母親、祖母の順番で食べ終わり、皆でまた手を合わせ漸く席を立つことができた。自分の食器を流しへ持って行き、部屋に駆け込んだ。鵜の目鷹の目で本棚から消えた本を探しても、見つけることはできなかった。仕方なく母親に聞こうと階段を下り、洗い物をする母親に尋ねた。

「今までの卒業文集とアルバムどこに仕舞った?」

母親は綺麗になったお皿を掲げて、また洗い物に取り掛かった。血が繋がっている、と、言う事だろうか母親の言わんとしていることがわかった。部屋に戻ろうとすると、

「もう高野じゃないの」

零すように言ったその言葉は十五年間を流すほどの勢いがあった。

 部屋に戻ってゴミ箱を見ても、そこにはティッシュが入っていただけだった。本棚にはまだ不格好な隙間があり、埋めてしまえば高野であった十五年間に蓋をしてしまい、過去の自分が消滅するように感じ、埋めることはしなかった。しかし母親は高野だった事実を捨て、剰え僕のも捨てようとしていた。目に見えるものは全て捨てられてしまったが。母親の目に見えないものは僕の中に確固として残っていた。捨てるのも、残すのも自由だった。

 屋根から音が聞こえ目を覚まし、雨かと思い窓の外を見てみると猫が屋根を伝って歩いていた。雨どころかそれを降らす雲一つない青空だった。七時になって階段を下りると、例によって祖父母が上座に座り、テレビも消され、テーブルの上には一汁一菜が置かれていた。祖父母に挨拶をして同じように皆で手を合わせ食べ始めた。焼き鮭の骨を取っていると出し抜けに祖父が、

「友達はできたんか?」

それは当然僕に向けられた質問だった。けれども答えることができずにいた。友達ができていないから。返事がないことで、三人とも同じ答えを抱いたことに間違いないだろう。小倉には友達が一人もいない、連絡先を交換した谷圭一は友達と呼んでいいものか分からなかった。それに比べ高野には友達と呼べる人は少なからずいた。

 部屋を支配した沈黙は、突如現れた鎌鼬のように小さな傷をつけるものだった。その沈黙に耐えられなくなり初めて一人先に席を外した。部屋に戻り制服に着替えながら、階下の話し声を聞くともなく聞いていると、反抗期かな、思春期は難しい、等の言葉が聞こえた。心配の対象は僕ではないらしい。これから僕が巻き起こすであろう心配のようだ。いたたまれない気持ちになり、逃げるように学校へ向かった。

 バス停までは長い坂を下り、歩いていかなければいけない。その途中にある公園には大きな桜の木が植えられ、隣接する道路にまで枝を伸ばし、少しずつ道路を花びらで染めていた。絨毯となっている上を歩けば、足に吸いつくように舞い、何か特別な力を手に入れたと感じるほど、散ってもなお綺麗に演出していた。家から一緒についてきていた黒い靄が桜で浄化され、気分よくバス停に着き定刻通りに来たバスに乗りこんだ。後ろの五人掛けの席に座り流れる景色を眺めた。「羽華高校前」とアナウンスが遠くから聞こえ、どこかに行っていた意識を呼び戻し降車した。

 相も変わらず、ぽつねんと佇み後ろからクラスを見守っていると、祖父の言葉が微かに耳の奥で木霊していた。分かっている。環境が変化しても順応できる人はいる、が、それを全員そうだと思われているのに納得がいかない。小学生のときに授業で習った、あの小さな黒い魚にはなれない。だからこそ高野に固執してしまう。


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