1 プロローグ
今日は風が冷たい、朝いつもより時間をかけてセットした髪を両手で丁寧に整え直す。風のない日は風のことなんて気にも留めないくせに。 嫌なことにばかり目がいって、普段の生活のありがたみを忘れている。けれど誰しも皆そういった都合のいい考えをもっている。
そんなことを考えながら中央校舎の自動ドアを開け、エレベーターを待つ人だかりを横目に悠々と階段で3階まで歩いて登る。
教室のドアを開ける、ドアノブが冷たい。
やはりまだ誰も来ていないみたいだ。いつも一番乗りなのでこの暗い教室には慣れている。寧ろ自分だけの特権とも言えなくはない。なれた足取りで部屋の電気をつけに行く。
いつもなら目立たない一番後ろの席に座るのだが、この日はなぜだか入口付近の真ん中辺りの席に腰を下ろす。
携帯の画面に目をやると代返求むといった趣旨の連絡が数人から来ている。
一限の講義には履修者の4分の1程度しかこないのはもはや常識といっても過言ではない。
そんな中で僕は授業にでて出席の代返やスライドの写真などを友達に横流しする都合のいい人になっている。カッコつけて言うならば情報屋みたいなものだ。テスト期間前になると出る問題を教えてほしいという依頼が殺到する。
そうこうしてるとだんだんと教室に人が増えてきた。授業が始まり、いつものようにスライドの写真を撮りつつ重要そうなことはわかりやすくメモをとる。
講義も中盤に差し掛かったところ。メモを書き終え目線を上げた瞬間、すぐ右のドアが開き、女の子が教室に入ってきた。
小柄で童顔な見た目に反してどこか大人びた雰囲気を感じさせるような子だ。
遅刻してくる人は少なくないので特に気に留める人はいない。
しかしその子は何処と無く哀しげな表情をしていて、焦っている様子も無かった。目線は下を向いている、その虚ろな瞳に囚われしばらく彼女を見つめてしまう。
ここで彼女と目があってしまいそれがきっかけとなって......なんてなるはずもなく、その子は空いている前の方の席に腰をかけ真面目な学生さながらノートと筆箱を鞄から取り出し授業を受け始める。
「真面目なのか不真面目なのかわからないな」
......でもあんなに釘付けになったのは初めてだ。同じ授業を受けているのだから、いままでも一緒の教室に居たはずなのに。
授業の終盤で配られた出席表に代返を頼まれた数人の名前を書き、最後に自分の名前である「赤羽ミツル」と書く。教室前方に座る彼女の姿を一瞥してから席を立ち教室を後にした。
朝と同じく階段で1階まで降りる。自動ドアが開き外に出ると風はピタリと止んでいて、眩しいぐらいに日が差し込んでいた。