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第九十七話

 元治元年 5月5日


 将軍家茂公の江戸への帰還。

 その一報を聞いたあかねは出立前の服部半蔵に(ふみ)を送った。


  『出立前に一度お会いしたい』


 それに対する半蔵の返事は日時と場所を指定するもの。

 それも女心を掴む甘味屋というおまけつきだ。



 「なかなか美味しいじゃない、ここの団子も・・・・・・」

 皿に盛られていた最後の串を手に、ひとり呟きながらも満足そうな表情を浮かべる。


 一足先に到着したあかねは、迷うことなく団子を注文し頬張っていた。

 当然・・・・・・会計は半蔵に任せるつもりなので遠慮などない。


 「・・・・・・相変わらずの甘党だな、お前は」

 「!!びっくりしたぁ。急に声をかけないで下さいよ」

 思わず落としかけた最後の串を、間一髪で受け止めたあかねが恨めしそうな視線を向ける。


 「呼び出しておいてその言い草はないだろ?」

 「あ・・・・・・そうでした」

 呆れた表情で隣に腰を下ろした半蔵に、あかねはペロッと舌を(のぞ)かせる。

 それを可愛いと思ってしまうのだから、そうとう重症だ。


 「で?なんだ?わざわざお前が俺を呼び出すなんて」

 「頭領も食べます?美味しいですよ?ここのお団子」

 「いや、俺はいい」

 即答した半蔵は店の奥に向かって茶を頼んでいた。


 「えぇー、美味しいのに」

 「美味しいのに、じゃねぇよ。用件を言え、用件をっ」

 少し呆れた表情ながらも、久しぶりに見る愛しい女に目尻は自然と下がる。


 出来る事なら江戸に連れ帰りたい、と何度思ったか知れない。

 だが、それはあかねの望むことではない。

 それを知っているから、何度も出そうになる言葉を飲み込んできたのだ。


 そんな半蔵の心を知ってか知らずか・・・・・・。

 あかねは不服そうにプゥッと頬を膨らませる。


 「最後になるかもしれないって言うのに・・・・・・ま、いいや。はい、これ」

 そう言ってあかねは素早く半蔵の(ふところ)へ何かを忍ばせる。

 咄嗟(とっさ)に視線を下に向けた半蔵は、自分の懐からチラッと出ている(ふみ)を確認するとニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた。


 「・・・・・・恋文か?」

 「違いますよっ。宮さまに渡して貰おうと思ってっ!」

 「・・・んな、全力で否定しなくても・・・・・ちょっと傷つくぞ」

 半蔵自身、それが自分宛でないことぐらいわかっていたのだが。

 少しぐらい期待してもいいだろう?とばかりに短く溜め息を吐く。


 「頭領が変なこと言うからですっ!罰としてここの支払い任せましたよっ」

 これ見よがしに悲しげな表情を浮かべる半蔵を横目に、あかねはプイッと顔を背ける。


 「初めっからそのつもりだったくせに・・・・・・まぁ、いい。俺もお前に話しがあったんだ」

 「?」

 「大阪の西町奉行の与力で内山という男がいるのを知っているか?」

 「内山?誰です?」

 考え込む仕草を見せるあかねだったが、思い当たる節はないらしい。


 「どうも新撰組を嗅ぎまわっているらしい。全くどんな恨みを買ったのか知らねぇが、気をつけることに越したことはねぇと思ってな」

 「奉行所の与力・・・ですか・・・・・・そういえば昨年大阪で力士と乱闘した際に、町奉行の役人と(いささ)か揉めたとか・・・・・・まさかそれですか?」

 「さぁ、そうかもな」


 「まさかそんなことを根に持って?」

 「有り得ないことはないぞ?お前も知ってのとおり・・・江戸も大阪も役人というのはお堅い奴が多い。新たな勢力を煙たがる古い連中も、な。なにより、新撰組は叩けば埃が出る身体・・・・・・重箱の隅を突付くような真似をされれば、困ることもあるだろう?たとえば大阪で重ねた押し借りの数々とか・・・・・・局長芹沢の死の真相、とか?」


 「!!」

 「ま、取り越し苦労ならそれに越したことはないさ・・・・・・だが、まぁ先走るなよ?」

 「・・・・・・はい。わかってます」

 ほんの少しあかねが見せた殺気。

 それを瞬時に感じ取った半蔵が釘を刺す。


 (全く・・・・・・コト新撰組に関わる話になると、途端に(まと)う空気まで変わりやがる。俺もこんな見込みのない女を・・・・・・どうして忘れられないのか)

 自嘲気味に笑う半蔵だったが、気持ちだけはどうしようもない。



 人が人を好きになる。

 そこに明確な理由などない。

 好きになってしまうのだ。

 というより、気がついた時にはもう既に好きだった。


 狂いそうなほど苦しくても。

 息が出来ないほどの痛みしかなくとも。

 心が求めるのだ。


 自分の心でありながら、止めることなど出来ない。

 だからと言って、辛いと(なげ)くつもりもない。

 それも己が選んだ道。



 半蔵はくしゃりと顔を崩しあかねの頭をポンポンっと撫でる。

 突然のことにあかねは首を傾げて不思議そうな表情を向けていた。


 それでも。

 2人を包む空気は暖かい。


 しばらくこのまま。

 もう少しだけ、このままで・・・・・・。

 そう思った半蔵の(わず)かな希望を打ち砕いたのは、底抜けに明るい声を上げて近づいてくる恋敵(・・)銀三・・・・・・・だった。


 「おー、あかね!ちょうど良かった、沖田さんがお前を探してたぞ?」

 「えっ!?兄さまが?」

 「おぉ、用が済んだなら戻ってやれ」

 「うん、ありがと。知らせに来てくれて。じゃ、頭領。また」

 そう言うが早いか、風の如く走り去るあかねの後姿を唖然(あぜん)と見送る半蔵。


 それを見ながら銀三は満足気に笑い声を立てる。

 「おぉ、おぉ。相変わらず、早っえぇな」

 「・・・・・・テメェ、嘘だろ?今の」

 「はははっ」

 笑って誤魔化す銀三の頭をペシっと叩く。


 「あかねの後をつけて来たのか?余程ヒマなんだな、新撰組ってとこは」

 恨めしそうな視線を向ける半蔵だったが、そんなことで怯むような銀三ではない。


 「いやいや。休みですよ、今日は。さすがに任務中に油を売ってるのがバレたらマズイですから・・・・・・なにしろうちには鬼副長がいますからねぇ」

 ウンウン。とわざとらしく頷く銀三。


 「まぁ、いい。俺もお前に話があったんだ」

 「?なんです?」

 「いいか、あかねには絶対言うなよ?」

 「・・・・・・・・・はい」

 ゴクリと喉を鳴らす銀三の表情が固くなる。

 あかねに言えないこと。それだけでおおよその見当はつく。


 「玄二が大坂にいるらしい」

 「えっ?」

 「大坂で見たやつがいるから、間違いない」

 「っ!!」


 玄二と言えば、鞍馬の里にとっては裏切り者。

 あかねの制止を聞き入れるどころか、彼女に傷を負わせた張本人。

 その玄二が大坂に入ったということは、長州が近々動くことを暗に示しているのだ。


 「あかねに隠したところで、いつかは」

 「知るところになるだろうな・・・・・・だが、少しの間だけでいい」

 「まさかっ!?頭領、会うつもりじゃ!?」

 「・・・・・・そのつもりだ。俺に止めることが出来るなら・・・・・・と。それに俺にとってはあいつも可愛い弟分だ。お前と同じ、な」

 悲しそうに笑う半蔵を見ながら、銀三は強く自分の拳を握り締めていた。


 「・・・・・・俺も」

 「ん?」

 「俺も、行きます。丁度、大坂に下ることになっていますし・・・・・・頭領と共に、()に会いに行きます。一緒に、一緒に行かせて下さいっ!!」

 懇願するような、というよりも強い決意のこもった声で銀三は頭を下げる。

 それはお願いというようなものではなく。

 絶対について行くという気持ちが前面に溢れ出ていた。



 玄二に対する想いは複雑だ。

 慕っていた兄だったからこそ、裏切られた時の失望は大きかった。

 傷ついたあかねを目の前に、銀三もまた何も出来なかった。

 慰めの言葉すら、出てはこなかった。


 もう二度と、あかねには手出しさせない。

 させたくはない。



 そんな銀三の考えを見透かしたのか、半蔵はフッと小さく笑みを漏らす。


 「しっかし。俺もお前も報われねぇな。鈍感娘を相手にしてりゃぁ仕方ねぇんだろうが・・・・・・他のことならいざ知らず、コト恋愛に関しちゃ疎いからな、アイツは。特に己のことになると全くもって興味を示さない。というより、色恋事など自分に必要ないと思っているのだろうな」


 急に話しが変わったことに銀三は怪訝な表情を浮かべながらも頷く。

 「・・・・・・まぁ、鈍いことはわかってましたけど・・・・・・でも江戸に行ってから余計に酷くなったような気がしますね」


 「仕方ないさ・・・・・・何しろあかねが居たのは大奥だからな。あそこのことは俺たち男にはわからん。が、女の欲望、嫉妬が渦巻く伏魔殿・・・・・・同じ城内であってもそこは別世界だ。そんな場所でしかも御台所である和宮様の傍にいたのなら・・・・・・だいたいの想像はつく」

 深い溜め息と共に空を見上げた半蔵。


 「えぇ。確かに・・・・・・あれだけの女子(おなご)の数。ましてや将軍の目にとまれば握れる権力は絶大・・・・・・その上お世継ぎでも産もうものなら・・・・・・この世に怖いものなどないでしょうからね」


 「あぁ、まぁな。しかし家茂様は側室を持とうとはされず・・・・・・そのせいで宮さまへの風当たりは強くなる一方。その全てを受け止めていたあかねの苦労は・・・・・・想像を絶するものだっただろうよ。俺は同じ城の中にいながらも、何も出来なかったがな。それでもアイツは泣き言ひとつ言わなかった。御庭番頭領などと言っても何もしてやれなかった俺を責めることもなく、な」


 ふと。あかねの走り去った方向に視線を移した半蔵の瞳が、悲しそうに揺れる。

 昔を思い返したかのように。


 何も出来なかった自分が腹立たしい。

 それ以上に悔やまれるのは。

 あかねにとって頼れる男になれなかった、己自身。


 惚れた女ひとり守れないなら・・・・・・肩書きなど、いらない。

 何度そう思ったことかしれない。

 

 いつも見送ることしか出来なかったあの背中。

 それは・・・・・・今でも変わらないな。と、半蔵は淋しそうに呟いていた。


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