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第九十五話

 一夜明けて。

 元治元年 5月3日

 会津藩本陣 黒谷



 新撰組局長近藤勇から受け取った書状。

 そこには『攘夷決行の急先鋒となる為、市中警護の任を辞退したい』などという内容が書かれていた。


 (殿の言った通り、だったな。さすが、というべきか・・・・・・)

 近藤との面会を終え、主君の居室へと向かっていた秋月は深い溜め息を吐きながら廊下を進んでいた。


 (さて・・・・・・殿はどうされるおつもりか・・・・・・)

 秋月にとっては思いもよらなかった近藤の申し出。

 だが、松平容保にとっては予想通りだったらしい。


 ((とこ)に臥せっていることにしたところで・・・・・・いずれは答えてやらなければならないだろうに)

 いつもより重い足取りながらも、真っ直ぐに目的地に向いていた秋月の足が止まる。

 部屋の前で本日何度目かの溜め息を吐き、部屋の(あるじ)に声を掛けた。



 「どうであった?」

 「殿が申された通り、にございました」

 「やはり、な」

 曇った表情で答える秋月とは対照的に、容保公の顔はいつも通りだ。


 「殿は()せっておられるので、返事は保留。また追って連絡すると伝えましたが・・・・・いつまでも誤魔化せるとは思えませぬ」

 秋月が差し出した書状に目を通した容保公は、表情を変えることなく短く答える。

 「そう、であろうな」

 頬杖をつき、あっさりと答える(あるじ)の姿に秋月は怪訝な表情を浮かべる。


 「・・・・・・如何(いかが)なさるおつもりですか?」

 「誤魔化し通すつもりだ」

 これまたあっさり言い放つ容保公の言葉。


 これには秋月も驚きのあまり、声を上擦(うわず)らせる。

 「は?」



 「わたしには近藤の気持ちもわかる。だが、今の時点で攘夷決行など出来ないのもわかっている。幕府の軍力では無理なことも知っている上、天子様が(いくさ)嫌いの平和主義であられることも、な」

 「・・・・・・」

 どちらも的を得ていて二の句を告げられない秋月。

 その表情を見ながら容保公の言葉は続けられる。


 「そして長州藩の動きも、だ。前年の政変以来、巻き返しを計ろうと必死なのは当然だろうからな」

 「ならば近藤殿にも、そうお話になれば良いではないですか?」


 当然上げられる疑問の声。

 それに対して容保公も小さく頷く。

 そんなこと、家臣に言われなくてもわかっているという顔つきだ。


 「確かに、秋月の言う通りだな・・・・・・だが、近藤には己自身で考えて貰いたいのだ」

 「何故(なにゆえ)に、ございますか?」


 容保公の言葉は家臣である秋月には理解出来なかった。

 主従関係において(あるじ)の言葉は絶対。

 余程の事でもない限り、命令に従うのは当然のこと。


 だと言うのに。この(あるじ)は『考えさせる』などと言う。

 道を示さず己で考え、道を選ばせる・・・・・と。

 

 一呼吸あと。

 容保公は小さく呟く。


 「似ている、からだ」

 「は?」

 秋月の声が上擦(うわず)るのは、本日2度目・・・・・・である。


 「我が会津は徳川将軍家の親藩として代々仕えてきた。それは御三家や御三卿とは違うが、将軍家を思うのはどの家にも(おと)ってはいない。違うか?」

 「それは、もちろんです。家臣一同、心得ております」


 会津藩の初代、保科正之は2代将軍秀忠のご落胤(らくいん)として生まれた血筋。

 つまり3代将軍家光の異母兄弟である。

 だが秀忠公の正室だったお江与は大変な癇癪(かんしゃく)もちで、それを恐れた秀忠公は正之の存在をひた隠しにしたのだ。


 本来であれば高遠3万石の大名で生涯を終えるはずだった正之の運命を変えたのは、3代将軍家光だった。

 異母兄弟ではあったが、正之の実直さや幕府に対する忠誠心に心を寄せ会津23万石に取り立てたのだ。


 家光公にしてみれば実弟である忠長との長い確執もあり、余計に正之を可愛がることに拍車をかけたのかもしれない・・・・・・のだが。

 正之は家光公の申し出を手放しで喜び、以後更に忠誠心を深めた。


 この2人の強い信頼関係は家光公最期の時まで続き、死の間際には枕元に正之を呼び「徳川宗家を頼む」と言わせたほどだ。

 それに感銘を受けた正之は、会津家訓の第一条に将軍家への絶対的な忠誠を記しそれ以降、会津藩はこれを忠実に守ってきた。


 それは9代目になった容保公並びに家臣たちも同じだ。

 何があっても徳川家に殉じる。それが会津の誇りでもあった。



 「将軍家のために殉じる、そのような覚悟をしている藩は・・・・・・もはや少ないだろう。外様(とざま)はもとより今では譜代大名でさえも、時勢が変われば寝返る藩も出るだろう。いわば太閤殿下亡き後の豊臣家のようなもの・・・・・・」


 「まさか・・・・・・」

 主君の言葉に顔を引き攣らせる秋月だったが、無いとは言い切れない。

 それほどにこの国は揺れているのだ。


 「いや。それが現実だ。皆、我が身が可愛いのは当然だからな。その時勢を読み、家臣を守るために生き残れる道を選ぶ・・・・・・それが藩主の役目でもある。だが、新撰組はどんな劣勢であっても将軍家に殉じる覚悟なのだ。元々武士ではない彼らが武士になれたのは、幕府が拾ってくれたからだと。だから幕府のために生きたい、と」

 「だから、似ていると?」


 「そうだ。だがその道を選ぶのは近藤自身の心だ・・・・・・わたしに命令されて殉じるのと、自ら選んで殉じるのでは覚悟の度合いが違う。人の心や思想はどうすることも出来ない。だからこそ、近藤には自ら選んで欲しいのだ。わたしと同じ道を」

 「・・・・・・選ぶ、でしょうか?」

 半信半疑・・・・・・そんな視線をぶつける家臣に、容保は微かに笑みを(こぼ)した。


 「問題はそこだ。幕府への絶対的な忠誠心があるのはわかる。だが、近藤は同時に攘夷も唱えている・・・・・・同じ攘夷を掲げている長州藩と敵対することに迷いが出るのは当然。此度の申し出はそういうことであろう?・・・・・・尊王という部分では同じでも、倒幕をも視野に入れている長州と我らでは道が交わることはない。だが・・・・・・わたしとて、長州と対立するのは本意ではない。同じ考えを持つ近藤にも、自身で葛藤した上で覚悟を決めて貰いたいのだ。自分で決めた覚悟なら、この先揺らぐ事なく真っ直ぐ貫き通せる。そうなることがわたしの願いだ」


 「それは・・・・・・まるで、主従というより」

 「同志、だな」

 まるで片想いをする少年のような笑みを浮かべる主君を前に、秋月の心は例えようのない愛しさに包まれていた。


 我が主君が自分以外の者に目を掛けている事実に、軽い嫉妬を覚えはするが。

 それ以上に。ひとりの人として、信頼出来る相手を見つけられた主君が誇らしかった。

 会津藩という囲いの中ではなく。

 なんの接点もなかったはずの近藤を同志とまで呼んだ主君が、今まで以上に近くに感じられたのだ。


 「・・・・・・殿がそこまで信頼されているのなら・・・・・・何があっても同じ道を歩いて貰わねばなりませぬな」

 少し表情を緩めた秋月が視線を合わせる。


 「そう、願う」

 心なしか淋しげに答える容保公の様子に、秋月は心を決めたかのように頷いた。


 「だいたい殿が拾われなければ・・・・・・近藤たちは武士にはなれなかったはず。幕府への恩義より先に、殿への恩義を通して貰わねば・・・・・・筋が通りませぬ」

 「秋月?」

 今までとは違う、強い口調。

 見れば秋月の瞳に不敵な色が浮かび、容保公は目が離せなくなっていた。


 「・・・・・・長州は必ず近いうちに動きます。そうなれば市中警護をする新撰組は動かざるをえないでしょう。その時が・・・・・・近藤にとっての決断の時となりましょう。たとえ厳しい状況になったとしても、近藤には殿と同じ道を選ばせる・・・・・・必ずや殿の願いを叶えると、この秋月がお約束申し上げます」


 「秋月・・・・・・?」

 驚いたように、けれどどこか嬉しそな顔で聞き返す容保公。

 その表情に答えるかのように、秋月は柔らかな微笑みを向けた。


 「わたくしは殿の家臣です。殿の願いを叶えるのがわたくしに与えられた仕事と、心得ておりますゆえ。どうぞお任せください」

 「そなたのような家臣を持てたこと・・・・・・本当にわたしは幸せだな」

 これ以上もないほど、目尻を下げた容保公の瞳には頼もしい家臣の姿が映っていた。



 人の上に立つ者は孤独だ、という。

 良いことも悪いことも、その責任は全て己の肩にかかる。

 藩主などという肩書きに、何度も押し潰されそうになってきたのも事実だ。


 自分の言葉ひとつで皆を幸せにすることもあれば、不幸にすることもある。

 選ぶ道を間違えれば、多くの者の人生を狂わせることもある。

 それを知っているからこそ、恐ろしいと思うこともある。


 それでも自分を信じてくれる家臣がいるから、ここまで来れたのだ。と容保公は改めて実感していた。

 深い忠誠と厚い信頼。

 それを感じるからこそ、自分はここに(とど)まり続けていられるのだ。


 その先にあるものがどんなに困難であろうと。

 進むべき道は、ひとつ。


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