第九十四話
元治元年 5月2日 夜
新撰組局長近藤勇の部屋には、幹部が集められていた。
幹部といっても、試衛館からの盟友たちのみなので副長助勤が全員というわけではない。
総長である山南、副長である土方をはじめとし、永倉、原田、藤堂、井上そして総司という面々である。
「なんだよ近藤さん。話って?」
最後に姿を見せた永倉は、皆の顔を見回し表情を曇らせた。
「しかもこの面子・・・・・・楽しい話ってわけではなさそう、だよな?」
同じく。難しい表情を浮かべた原田がボヤく。
それは部屋にいる誰もが感じていたらしく、ザワザワと落ち着かない空気が流れていた。
「疲れているところ集まって貰ってすまない。少し、皆に話しておきたいことがあってね」
近藤が言葉を発すると同時に部屋の中には例え様のない緊張感が走る。
いつもは笑っている総司でさえも、口を真一文字に結び真っ直ぐ近藤を見据えていた。
「江戸で新たに見廻り組が結成されたことは皆も知っていると思う」
「あぁ、あの旗本の子息の集まりだろ?んな、お上品な連中に何が出来るんだか知らねぇが・・・・・・それが、何か関係あんのか?」
眉をしかめた原田が、少し天井に視線を向け首を傾ける。
「彼らは京の市中警護のために結成され、まもなく上洛する。そこで、だ。我々の本懐は攘夷の先鋒、市中警護に非ず。そのことを会津藩に申し出ようと思っている」
そう言った近藤は懐から一通の文を取り出した。
「それは?」
少し険しい表情を浮かべる永倉が出された文をジッと見つめると、近藤は小さく頷き口調を変えることなく静かに言葉を続ける。
「明日。会津様に提出しようと思って用意したものだ。もしこのまま、攘夷の決断がなされないまま公方様が江戸に帰られるのであれば・・・・・・新撰組は解散する、と記してある」
「っ!?」
近藤の言葉に驚きのあまり息を呑む面々。
「我々は攘夷のためにここにいるのであって、町奉行のような仕事をするために存在しているのではない。その決意を改めて申し出ようと思っている」
「けどっ!?それじゃ・・・・・・」
誰ともなく発せられた言葉。
それに答えたのは土方だった。
「そう。会津藩に堂々と喧嘩を売るようなもんだな」
皆の不安を煽るかのような物言いに、更なる動揺が広がる。
「ま、首が飛ぶことにはならなくても・・・・・・冷や飯食いの貧乏暮らしに戻ることにはなるだろうね。或いは京を追い出されるか・・・・・・」
追い討ちをかけるかのような山南の言葉に、普段温厚な井上までもが目を見開いていた。
「んなっ!?山南さんまでサラっと恐ろしいことを・・・・・・冷や飯食いの貧乏に逆戻りかよ・・・・・・」
一番に口を開いたのは原田だったが・・・・・・論点は若干ズレている。
「・・・・・・山南さんは、納得されている、ようですね?」
「おや、藤堂くんは納得出来ませんか?」
「いえ、そういうわけでは・・・・・・」
浮かべた笑みを崩すことなく淡々と言葉を紡ぐ山南に対し、言葉を詰らせる藤堂。
「近藤さんの言うことは突拍子ないこと、ではありませんよ?」
「そ、そうですけど」
山南の言葉が理解出来ないわけではない。
だが、すぐに納得出来るわけでもない。
その気持ちを察したのか、山南は更に言葉を続ける。
「我々は攘夷のために上洛し、この京に留まった。京の治安維持は確かに大事な任務だが・・・・・・やっていることと言えば、同じ攘夷を唱える長州藩士の取り締まりばかり。確かに彼らの過激な行動は見過ごす訳にはいかないが、その彼らを取り締まることが新撰組の目指す道ではない。違うかい?」
「・・・・・・」
「それに。見廻り組という新たな部隊が出来たのなら、市中警護は彼らに任せて我々は攘夷のために活動する・・・・・・それこそが我らの志す道だとわたしは考えている。だから今回の近藤さんの意見に賛成した。だが、これを通せば皆が路頭に迷うことも当然ながらわかっている・・・・・・それでも我らの初志を貫きたい」
皆の不安そうな顔を見渡し、ゆっくりと話す山南だったがその瞳には確かな決意が宿っていた。
「ひ、土方さんも同じ意見なのか!?」
山南の言葉を聞き終えた永倉が、ずっと無言を通している土方に視線を移す。
もしかしたら土方は反対なのではないか?という願いを込めて。
「・・・・・・俺は少し違う、な。・・・・・俺にとって大事なのは新撰組の存続。だが、局長である近藤さんの迷いは大きくなる一方だ。ここで近藤さんを止めるのは簡単だが、それじゃ解決にはならねぇ。だったら一度思ったようにしてみりゃいい。これで解散になるなら、また初めっから出直すだけのことさ」
土方の表情はやけに明るく、その口調はサバサバとしている。
その言葉の通り。
出直すことも視野に入れて覚悟を決めているのだろう。
解散となれば。今いる隊士たちの多くは皆、近藤の元を離れていくだろう。
そうなったとしても、自分達は己の誠を貫く。
それが山南や土方の出した答えなのだ。
だからこそ、うろたえることもなく・・・・・・逆に清々しいほど涼しい表情をしているのだ。
「皆にもそれぞれ思うことはあると思う。だからわたしについてきてくれ、などと言うつもりはない。解散となった時点で、それぞれが思う道を行って貰いたい。だが路頭に迷わせてしまうのはわたしの責任だ。何も出来る事はないかもしれないが、ここまで共に歩いてくれたこと感謝している。ありがとう」
静かに頭を下げる近藤。
そこに見えるのは『覚悟』の二文字。
「・・・・・・なんだか、それじゃ別れの挨拶みたいですね?・・・・・・わたしとしては近藤先生の傍に居られれば何でもいいんですけど」
「総司?」
「わたしは近藤先生がいるからここにいるんです。先生の居る場所、それがわたしの居場所です。難しいことはわかりませんが、先生のお傍を離れるつもりはありません。それじゃ、いけませんか?」
子供のように無邪気な顔で言う総司に、近藤は少し驚いたような表情を向ける。
それに対し土方は、腕を組んだままの状態でチラリと視線を流した。
「まったく・・・・・・お前のことだから、そう言うと思ってたぜ?」
「土方さんが一緒・・・・・・っていうのは納得出来ませんけどね」
ペロリと舌を覗かせる総司。
「チッ・・・・・・お前のことだから、それも想定内だ」
舌打ちしながらも土方の表情は決して怒ってはいない。
むしろ、笑っているように見える。
「・・・・・・総司の言う通りだ、な。俺たちゃ近藤さんに惚れてここまで来たんだ。あんたの言うことはもっともだと思うし、反論の言葉もねぇ。ただ・・・・・・冷や飯食らいに戻っちまうのは嫌だが・・・・・・高い志しの為だ。我慢するしかねぇか」
投げやりな言い方に聞こえなくもないが・・・・・・永倉の顔つきは柔らかいものになっていた。
『仕方ねぇな』とでもいうかのように、くしゃりと表情を崩し笑う。
「永倉く、ん・・・・・・?」
目を丸くした近藤が言葉を発しようと口を開いたとき、原田が先に声を上げた。
「おいおい八っぁん。俺が言おうとしたこと全部言っちまったら、何にも言うことが無くなっちまったじゃねぇかよ」
「けっ、だったら右に同じって言えばいいだろうが?」
「・・・・・・じゃ、それで」
不満そうに口を尖らせた原田の横では、藤堂が肩を小刻みに震わせる。
「ぷっ、左之さんってば。こんな真面目な状況で笑わさないでくださいよ、まったく」
「はぁ?何笑ってやがんだよ、平助っ!?俺は至って真面目に答えたじゃねぇかよ!?」
「あはは。左之さんらしいや」
堪らず腹を抱える藤堂につられるかのようにして、それまで張り詰めていた部屋の空気が少し和む。
「それ、馬鹿にしてんのか?」
「いやいや、褒めてるんだよ?左之さん」
「そうは聞こえねぇがな」
更にふてくされたように唇を尖らしそっぽを向く原田に構うことなく、藤堂は笑いを堪えながら近藤に向き直る。
「左之さんじゃないですけど・・・・・・わたしも右に同じです」
「あんだよ、平助。俺と同じことしか言わねぇくせに笑いやがったのかよっ!?」
「あはは、ごめんごめん。でも、左之さんの答え聞いてたら難しいことは関係なく思えちゃって・・・・・・でも、攘夷決行は本懐だし袂を分かつ理由はないなって。元々、上洛を決めたのは攘夷のため。ここのところ浪士の取締りに追われて初心を忘れがちだったけど、近藤さんの決意を聞いて改めて思い出したってところかな?・・・・・・だから、右に同じだけど左之さんよりちゃんと考えてるんだよ?」
「ってめぇ、やっぱ馬鹿にしてやがったなっ!?」
「あははは。なぁんか、そうなっちゃったね」
悪びれることもなく、パンパンっと原田の背中を叩く藤堂。
原田にしてみれば、踏んだり蹴ったりと言ったところだろうが。
周りの者も見慣れた光景なので誰も止めようとはしない。
永倉に至っては「もっとやれ!」などと発破をかける始末だ。
相変わらず騒がしい原田たちを横目に、それまで黙っていた井上が口を開いた。
「とにかく。ここにいる者の同意は得られた、ということになるみたいだね?もちろん、わたしも含めて」
にっこりと笑う井上に、近藤は少し言葉を詰らせる。
「げ、源さ・・ん」
「第一。ここまで一緒にやってきて、今さら別の道だなんて・・・・・・誰も思ってないさ。永倉くんの言うように・・・・・・わたし達は皆、近藤さんに惹かれて一緒にいるんだ。同志とはいえ新撰組の局長は近藤さんだ。もっと自信を持ってもいいと、わたしは思うよ」
「やっぱ年長者の言うことにゃ、重みがあるよなぁ〜。さっすが、長老っ」
「長老はよしてくれよ、永倉くん。だいたい歳もそんなに変わらんだろうが」
「いやいや。なんつぅか、人生経験の差ってぇの?源さんの言葉にはそれがある。俺や左之じゃ、そうはいかねぇ」
「ホントホント」
「ってぇ、お前が言うなっ!」
そう言うが早いか。
原田は藤堂の首に腕を巻きつけ、締め上げる仕草をする。
「ぐ、苦じい〜!!」
「参ったか!?この野郎」
「ま、ま、参った。参りましたってばっ!!」
目を白黒させ降参を叫ぶ藤堂の声は、それを見ていた皆の笑い声に掻き消されていた。