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第九十二話

 元治元年 4月23日 夕刻

  ― 近藤の部屋 ―



 「250余り、だって?」

 「あぁ」

 「そんなに・・・・・・もか?」

 「あぁ」


 驚きのあまり目を丸くする近藤に、土方はしかめっ面のままぶっきらぼうに答える。


 「いや、しかし・・・・・・幾らなんでも多すぎるだろう?」

 「近藤さん・・・・・・問題はそこじゃねぇ。奴らがそれだけ入り込んでやがるってことは」

 更に険しい表情になる土方に代わって、総司が飄々(ひょうひょう)と口を挟む。


 「わたしたちが想像していた以上に厄介なことを考えている・・・・・・ってことですねぇ?」

 「お前にしちゃぁ、よく判ってるじゃねぇか?総司」

 珍しく的を得た物言いをする総司に、土方は意地の悪そうな笑みを向ける。


 「これでも副長助勤の一人ですからねぇ。少しは難しいことも考えてたりするんですよ?」

 「ほぉ。そいつは頼もしい限りだなぁ・・・・・・で?何かいい案でもあるのか?」

 「いやぁ、さすがにそこまでは」

 悪びれずに答えた総司は頭をポリポリと掻く。


 「だが、トシ。よくそんなこと聞き出せたな?」

 「あ、あぁ・・・・・・まぁ、な」

 近藤が感心するのを見て、土方は途端に歯切れが悪くなる。


 無理もない。

 実際に口を割らせたのはあかねなのだ。

 だが、それは「言うな」と固く口止めされている。


 いや。

 口止めされていなくても。

 近藤や総司には知られない方がいいと判断しただろう。


 近藤にとっては惚れた女。

 総司にとっては目に入れても痛くないほど可愛い妹。


 そのあかねの裏の顔など・・・・・・たとえ聞いても信じない、いや信じたくはないだろう。

 それに何より。

 土方自身、あれほど背筋が凍ったのは初めてだったのだ。


 今でも思い出すと身体が震えるほど、あの日のあかねは恐ろしく冷酷な鬼に見えた。

 (まこと)の鬼とは笑みを浮かべ地獄を見せる。

 自分など足元にも及ばない・・・・・・と心底、感じたほどだ。


 (いや、待て・・・・・・)

 ふと、土方の思考が違う方へと動き始める。


 (考えてみれば、あかねは本来ここにいるはずのない(・・・・・・・)女だったな。当然のように馴染んでいるから忘れがちだが・・・・・・)


 そもそもあかねがここに(とど)まっているのは総司がいるから・・・・・というよりも、総司の妹だからだ。

 本来であれば江戸城に居て、御台所である和宮に仕えているべき女。

 そもそも。幼い頃より内親王の傍にいたのなら、それ相応の修羅場を(くぐ)り抜けてきたはず。


 (あの程度のこと・・・・・あかねにとっては日常茶飯事・・・・・・なのかもしれねぇ。今まで仕えてきた相手が相手だ。生温いやり方では護れるはずもねぇじゃねぇか。それを、俺は・・・・・・)



 「どうかしました?土方さん?」

 急に黙りこくった土方の顔をマジマジと覗き込む総司。


 その距離、まさに目と鼻の先。


 「なんでもねぇ。っつか、近けぇ」

 ハッと我に返った土方が目の前にある総司の顔を、これでもかとグイグイ押し返す。

 押された総司の方は「痛い、痛い」とジタバタもがいている。


 (護りたいものを護るための代償・・・・・か)

 総司とじゃれ合いながらも土方の表情はどこかスッキリとしていた。

 それまであった、あかねに対する恐怖感が全て消え去ったかのように。


 そして。

 新たな決意を胸に秘めて。



 「しかし・・・・・・あれだな」

 総司と土方のやり取りを黙って見ていた近藤は、何かを考え込むかのような表情で腕を組み直すとポツリと呟いた。


 「ん?」

 総司とじゃれていた土方が手を止めて、近藤に向き直る。


 「我々新撰組は攘夷決行のために京へ上ったというのに・・・・・・やっていることといえば、不逞浪士の取り締まりばかり。公方様が京におられるというのに、軍が動く気配すらない。本当に幕府は攘夷を行なう気があるのか・・・・・と疑いたくなるよ」


 「近藤さん・・・・・・」

 「幕府はこのまま何もせず・・・・・・神風が吹くのを待っているのか?とさえ、ね。我々は確かに市中警護というお役目を頂き、毎日任務に就いてはいるが・・・・・・時々思うんだ。俺たちはこんなことをするために京に来たのか?ってね」



 心に渦巻く苛立ち。本音。それらを吐露(とろ)する近藤の表情は少し疲れて見える。

 自分たちの理想とは明らかに違ってしまった現実。

 それでも今更。

 投げ出すことも、後に引くことも出来ない。

 思いとは裏腹な毎日を送る中で、顔には出さなくても葛藤があるのは当然だ。


 誰もが自分の思い描いた道を歩いているわけではない。

 それでも高い(こころざし)を抱き、浪士隊に参加したのが新撰組の始まりだ。

 そこにあったのは攘夷決行の(さきがけ)とならんとする固い決意。


 だが自分たちが行なっているのは攘夷はおろか。

 同じ攘夷を唱える者を捕らえる、或るいは斬る毎日だ。

 そこに疑問を抱いても不思議はない。



 重い空気が流れる中。

 口を開いたのは意外にも総司だった。



 「わたしには難しいことはよく判りませんが・・・・・・将軍様にも何かお考えがあるのでしょう。きっと皆が幸せに暮らすための、何かが。今はその準備期間、ということではないでしょうか・・・・・・近藤先生がわたしたちのことを一番に考えて下さっているように。きっと、将軍様も」


 にこにこと笑みを浮かべる総司。

 その表情に、ふっと近藤が身体の力を抜く。


 「総司、お前・・・・・・そう、だな。国の為、公方様の御為、上洛を決めたというのに・・・・・・その公方様を信じなくてどうするというのだ、わたしは・・・・・・危うく初心を忘れてしまうところだったよ。ありがとう、総司」


 そっと総司に手を伸ばした近藤は、その頭を優しく撫でる。

 まるで幼子(おさなご)を安心させるかのように。

 その表情はいつもの穏やかな表情。

 近藤が優しい笑みを浮かべるのを見届けた総司もまた、嬉しそうに笑みを見せた。



 そんな二人の様子を見ていた土方の心には、一抹の不安が()ぎる。

 近藤の心に葛藤があるのは、土方も以前から知っていた。

 だが、隊の存在意義を打ち砕き兼ねないと抑えこんできたのだ。


 新撰組の局長である近藤が揺らげば、隊士たちの統率(とうそつ)が取れなくなる。

 そうなれば寄せ集め集団である彼らがどんな強行に走るかわからない。

 やっと会津の信頼を得れたというのに、それでは以前に逆戻りどころか隊を潰すことにもなり兼ねない。


 しかしここにきて近藤の揺らぎは更に大きくなっている。

 総司の言葉に頷いてはいるが、それは心配させない為の方便にしか見えない。

 このまま見過ごすには・・・・・・近藤の揺らぎが余りにも大き過ぎる。


 (護りたいものを護るための代償・・・・・)

 土方は心の中で繰り返し呟いていた。




 その頃。

 あかねはというと・・・・・・。


 屯所近くにある新徳寺の裏で朱里(あかり)と密会していた。

 京に入り込んだ長州勢に関する情報を得るため、現状でもっとも京に精通しているであろう朱里に話を聞くのが先決と考えたからだ。


 「こちらもはっきりとした情報を掴んでいるわけではありません。ただ、それだけの人数であれば・・・・・」

 「そう・・・・・・のんびり待っている訳にはいかない」

 神妙な顔で頷くあかねに、朱里は頭を低くする。


 「お役に立てず、申し訳ないです」

 「いや、充分だよ。少なくとも朱雀部隊が関わるところにはいない(・・・)ことが判ったんだから・・・・・・それだけでも手間が省けた。あとはひとりでなんとかなりそうだし」


 「いえ、わたしも!」

 一歩踏み出し力強く言う朱里の言葉に、あかねは首を横に振る。


 「ううん。気持ちだけ貰っておくよ」

 「で、でもっ!」


 「ありがとう、朱里。でも、これは新撰組の一員である私の仕事だから。それに・・・・・朱里には天子様の警護の強化を頼みたい。なんだか嫌な予感がしてならないから、ね」

 「嫌な予感?」

 「うん・・・・・・何の根拠もないけれど、どうも胸騒ぎがして」


 「わかりました。あなたの勘は当たることも多いですし、聞き流す訳にはいきませんね」

 「今回ばかりは外れて欲しいところ・・・・・なんだけどね」

 そう言って笑みを向けたあかねだったが、その表情には苦渋が色濃く(にじ)み出ていた。


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