第九十一話
木屋町で起きた火事から一夜明けた壬生、新撰組屯所。
「昨夜は皆の活躍もあって、被害を最小限に止めることが出来た。ありがとう。また、現場で不審な動きをしていた者を捕らえることも出来、今取り調べている段階ではあるが火付けを働いたのはあの二人でまず間違いないだろう。本当にご苦労だった」
道場に集められた全隊士に向かって労いの言葉を掛ける近藤。
隊士の中には軽症を負ったものも多少いたが、皆誇らしげな表情で近藤の話に耳を傾けている。
「それから。これはまだ確定情報ではないが・・・・・・長州者が多数、この京に潜伏しているという情報がある。この先は今以上に気を引き締め、日々の隊務に励んで欲しい」
「「「「「はいっ!」」」」」
皆の返事を聞き、頼もしさを感じたのか近藤は満足そうに顔を綻ばせた。
と、同時刻。
土方は別の場所で別のコトを行なっていた。
隊士たちが近藤に注目しているこの時を利用して。
「そろそろ話す気になったか?」
窓のない暗闇。
光・・・・・といえば、小さく揺れるロウソクのみ。
その儚げな明かりにぼんやりと照らされた土方の顔。
そこには冷酷冷徹な笑みが浮かぶ。
「誰がっ!!幕府の狗なんかにっっ」
苦痛に歪む男の顔。
頬は赤く腫れ上がり、所々血が滲んでいる。
腫れ上がっているのは顔だけではない。
着物は所々破れ、そこから見える肌は顔以上に腫れ上がり赤い血が流れ出ている。
それでも。
男は挑戦的な表情を浮かべ続ける。
「そうか、まだ足りねぇか・・・・・・」
そう言った土方の手には、血のついた木刀が握られている。
「まぁ、口を割るにはまだ早ぇよな?まだまだお楽しみはこれから・・・・・・だろ?」
ニヤリ。と口の端を上げ首をコキコキと鳴らす土方からは、心底楽しんでいるかのような表情が窺え・・・・・男の背筋を凍らせる。
「おメェはそこの奴と違って、気を失ってくれるなよ?」
チラリ。と既に動かなくなってしまった、もう一人の男に視線を流す土方の顔は『鬼』そのものだ。
天井から吊るされた状態の男に、逃げ場などない。
だが、本能が逃げろと告げる。
これは人ではない、人の姿を模した鬼だ、と。
ゆっくりと距離を縮めてくる土方。
それに恐怖を感じた男は、いっそ舌を噛んで死のう・・・・・そうすれば。
何も語ることなく終われる、そう決意した時だった。
真っ暗な部屋に眩しいほどの光が差したのは・・・・・・。
「副長?」
「っ!!・・・・・・なんだ、来るなと言っておいた筈だぞ?」
突然開けられた扉。
そこから漏れ出す光に、暗闇に慣れすぎた目が一瞬眩んだのか土方は顔の前に手をかざす。
「すみません。でも、そろそろお腹が空く頃ではないかと思いまして」
この地獄のような空間に、何事もないかのように平然と入ってきたのはあかねだった。
それは、まるで。
吊るされている男の姿が見えないかのような言動。
それほど普通に。
ごく当たり前の表情で蔵の中へと足を踏み入れる。
何より。
女の声がしたことに驚いたのか、舌を噛み切ろうとしていたはずの男が顔を上げる。
「腹なんか減ってねぇぞ」
「副長じゃなくて、そこのお二人に持ってきたんですよ」
「はぁ?」
この場には似つかわしくないほどの笑顔を浮かべて、あかねは扉を閉めると動かなくなった男の方へと歩み寄る。
「・・・・・・大丈夫、みたいですね。まだ息があるようですし」
「お、おいっ!あんた・・・・・・」
「食べやすいように。と、お粥にしてきましたが・・・・・・食べて下さいますか?」
吊るされた男を少し見上げるようにして言ったあかねの顔は、まるで菩薩のように穏やかな笑みを浮かべている。
「・・・・・・・」
「水もありますよ?」
「あ、ありが・・・とう」
あかねの問いかけに、消え入りそうな声で答える男。
この男からすれば『掃き溜めに鶴』といったところだろう。
男は差し出されるままに水を飲み、与えられるままに粥を空っぽになった胃の中に流し込む。
その間、あかねは終始優しい眼差しを浮かべていた。
「な、なぜ、あんたような女がこんなところにいる?こんな、鬼の棲家のような場所にっ」
喉の渇きと飢えを満たされた男が思わず疑問をぶつける。
それに対してあかねは答えることなく、ただ柔らかく笑むばかりだ。
男が一瞬抱いた希望の光。
だが、それは。
次の瞬間、打ち砕かれることになる。
「副長?駄目じゃないですか・・・・・・絶望ばかりを見せても、死なれてしまうとそこで終わりになるでしょう?せめて舌を噛み切られないように、口に詰め物ぐらいしておかないと」
笑顔を崩すことなく言い放ったあかねは、素早く男の口に手拭いを噛ませる。
それは思いもよらぬ行動だったのだろう。
吊るされた男だけではなく、土方でさえも目を丸くしていた。
「っ!??」
あかねに気を許していた男の顔が驚きに変わり・・・・・・やがて瞳には恐怖が宿る。
希望が絶望に変わる瞬間。
希望を抱いてしまったからこそ知る絶望。
「鞭ばかりではなく・・・・・・生きたいと思う希望を与える。ここから生きて出たいと願わせる。出るために何をすればいいか考えさせる・・・・・・それが真実を話させるための手法ですよ?」
「・・・・・・おまえの方が余程恐ろしいな」
唖然としたまま吐き捨てるように言った土方の顔が引きつる。
そんな土方の表情を読み取ったのか、あかねはチラリと視線を向けるがすぐに男の方へと向き直った。
「こんな話を知っていますか?針を飲むと・・・・・・それがゆっくり身体の中を巡り、身体の中からチクリチクリと痛んで・・・・・・やがて身体中の穴という穴から血が流れ出し・・・・・・ゆっくりゆっくりと時間をかけ・・・・・・死んで逝くそうです。大抵の人はあまりの苦しさに正気を失うのですが、たまに最期の瞬間まで正気を保つ人もいるとか・・・・・・。あなたはどうでしょうね?」
顔色ひとつ変えることなく。
笑みを見せたまま話すあかねの顔が、逆に恐怖感を増長させる。
男の青い顔からは更に血の気が引き、白くなっていく。
と、同時に。
吊られた身体がガタガタと震え、止まる気配すら感じられない。
言葉を奪われた男は本物の『鬼』を見るような目で、あかねを凝視している・・・・・・。
というより。
恐怖のあまり目を離せないでいるのだ。
「そうそう・・・・・針といえば、治療法として用いられていますが・・・・・・あれって身体にあるツボを刺激して悪いところを治す方法ですよね?でも、身体を治すツボばかりじゃないって知ってます?・・・・・・たとえば、四肢の動きを止めるツボや呼吸を止めるツボもあるそうで・・・・・・。ここだけの話ですが、どうやらそれだけではなく心の臓を止めることも出来るとか・・・・・・どこにそのツボがあるのか、試してみたいと常々思っていたのですが・・・・・・」
そう言って男の方を見たあかねの手には、いつの間にか鈍く光る細長い針が握られており、表情を変えることなく男の目の前でこれ見よがしに針を揺らす。
男の方は・・・・・・血の気の引いた土色の顔にうっすらと涙を浮かべ、怯えたように首を左右に振り続ける。
その瞳に浮かぶのは。
恐怖と絶望。
そして・・・・・・ただひとつ願うのは。
目の前に立つ、笑う鬼からの解放。
解放されるのなら。
生死などにはこだわらないと思ってしまうほど。
もはや土方のことなど忘れ去ってしまうほどの、絶対的な恐怖。
「話す気に、なりました?」
にっこり。と笑いかけるあかねに男はブンブンと音がするほど首を縦に振る。
「そうですか・・・・・・少し残念な気もしますが・・・・・・良かったです。ね、副長?」
「あ、あぁ・・・・・・」
急に話を振られた土方は心なしか顔を引きつらせながら頷く。
土方の顔には仲間ながらに恐怖が浮かんでいた。
(今、残念って言ったよな?聞き間違いじゃねぇよな?・・・・・・つくづく・・・・・・恐ろしい女だ。今日ほどコイツが味方で良かったと思ったことはないぜ)
土方の心の呟きなど。
あかねが知るはずもないのだが。
そして男の方は・・・・・・。
怯えた表情のまま、あかねを見ていた。
まるで地獄の底で鬼に遭遇したかのような表情で。