第八話
それは。
とある昼下がりのことだった。
慌ただしい昼食の時間も終わり、台所を預るあかねがちょうど一息ついた頃。
ひょっこり、と総司が顔を出したのである。
「あかねさん、ちょっといいですか?」
総司の声にあかねの顔が嬉しそうに緩む。
「兄さま、どうなされたのですか?」
「えぇ、たいしたことではないのですが・・・・・・時間が空いてたら少し散歩にでも行きませんか?」
総司は少し照れたように、頬をポリポリと掻いた。
「は、はいっ!もちろん喜んでっ!」
ふたりが並んで屯所から出ると、外には春というより初夏の日差しが降りそそいでいた。
「今日は春というには少し暑いぐらいですねぇ。夏が近いということでしょうか?」
そう言うと総司は眩しそうに空を見上げ、日差しを遮るように手をかざす。
あかねはその様子を目を細めて見つめていた。
「そういえば、今年はちゃんとお花見してなかったなぁ。京で見る桜はまた一味違ってキレイなんでしょうねぇ」
すっかり葉桜になってしまった桜の木を見上げて、総司は少し残念そうな表情を浮かべ呟く。
そんな総司にあかねはふっと柔らかく微笑む。
「では、来年の春は私がご案内します・・・・・・どこがよろしいですか?嵐山?仁和寺?それとも清水?兄さまのご希望とあれば、どこへでもご案内致します」
あかねが桜の名所の名を口にする度に、総司の瞳はどんどんと輝きを増す。
「どれも捨てがたいですねぇ。いっそ全部まわりましょうか?あぁ、もう。早く来年にならないかなぁ」
総司の言葉にあかねはプッと吹き出す。
「もう、兄さまったら。まだ春も終わったところだというのに・・・・・・」
「そういえば、そうでしたね」
あははは。と、総司が笑うとあかねもつられるようにクスクス笑った。
「あれ?あかねはんやおまへんか?」
ふいに後ろから声を掛けられて、2人が同時に振り返ると。
そこには、まだ幼さの残る少女が立っている。
「お志乃、ちゃん?」
「やっぱり、あかねはんどしたか。偶然どすなぁ」
お志乃と呼ばれた少女は、ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべあかねを見上げる。
「あかねさん?この子は?」
どう見ても七、八歳に見える子供と親しげに話すあかねに総司は首を傾げる。
「あっ、彼女は島原の禿でお志乃ちゃんです」
「禿って・・・・・・そんなところにも知り合いが?」
「あっ、ええっと・・・・・・。ちょっと前にお世話になったことがあって・・・・・・」
そんな2人の会話を遮るように、志乃があかねの袖を掴むとクックッと引っ張っる。
「そんなことより、時間があるんやったらお妓はんに顔みせてあげてくれはらへん?きっと喜びはるわぁ」
「え?で、でも・・・・・・」
明らかに困った表情を浮かべるあかね。
その原因が隣にいる男にある、と踏んだ志乃が総司にチラリと視線を流す。
「ええやない、そっちのお兄はんかて付き合うてくれはるやろ?」
有無を言わせない強い口調の反面、少し潤んだような瞳で総司を見上げる志乃。
(童ながらに末恐ろしい・・・・・)
などと思いながらも、総司は首を縦に振る。
「ほらぁ、ええて言うてはるし。行こ?な?」
志乃は少し強引にあかねの手を取ると、グイグイ引っ張るように歩き始める。
既に総司のことは眼中にないらしい。
「お、お志乃ちゃんっ」
あかねは申し訳なさそうな顔を総司に向けるが、総司は嫌な顔をするどころか少し興味があるというような表情であかねに笑いかけ、後に続く。
島原 置屋の一室
「あれ、まぁ・・・・・あかねはん?」
「そこで、偶然会うて引っ張ってきてしもた。お妓はんが喜ぶと思うて・・・・・・・」
あかねと総司が連れてこられたのは花街島原にある置屋のひとつで、お志乃の帰りを待っていた天神の明里は驚いた顔であかねを迎え入れた。
「ご無沙汰してます。明里さん妓さん」
「ほんまどすなぁ。元気そうで安心しましたえ・・・・・・そちらは?」
明里があかねの隣に座る総司に目をやると、2人を見比べる。
「あっ、えぇっと・・・・・・」
口ごもるあかねを見てお志乃がニヤつきながらからかう。
「あかねはんにも、やっとええ人が出来たんやなぁ。ウチも一安心したわぁ」
「もうっ!お志乃ちゃんは相変わらず、口が減らないんだからっ」
「これ、お志乃。生意気言うてんと、お茶の用意してきよし」
明里がやんわり一喝すると、はぁいと返事を残して部屋から出て行く。
「堪忍え。あかねはん、あの子はホンマに・・・・・・」
頬に手をあて、軽く頭を下げる明里の仕草は同じ女のあかねでさえ見惚れてしまうほど色香が漂っていた。
「いいえ、慣れてますから」
ははは。と笑うあかねに明里は安心したように頬を緩めた。
「元気そうで安心したえ。何年ぶりやろねぇ?・・・・・・・もしかしてそのお人・・・・・・」
明里はあかねの隣に座る総司の顔をジッと見つめると、自分の口元に手をあて少し考え込むがすぐになにかを思い出したのかポンっと手を打った。
「・・・・・・・あかねはんのお兄はんと違う?」
「「えっ!?どうして?」」
驚いた2人が声を揃えて聞き返すと、明里はクスクス笑う。
「やっぱり。よぉ似てはるわぁ。声まで揃えて」
明里の上品な笑い声が部屋に響くと、2人は顔を見合わせて吹き出した。
「プッ・・・・クックックッ・・・・・確かに。今のは息ピッタリでしたね・・・・・・でも、どうしてわかったんですか?わたしたちが兄妹だって?」
総司は笑いを堪えながらも明里に聞いた。
「んー、なんでやろねぇ?なんとなく雰囲気が似てる気がしたんどす・・・・・・そやけどほんまに会えたんどすなぁ?初めに話を聞いたときは、雲を掴むような話や思うてたんどすけど・・・・・・・願いは叶うんどすなぁ」
明里がしみじみ2人の顔を見比べ、良かったと言わんばかりに頷いた。
「ところで・・・・・・おふたりはどういうお知り合いなんですか??」
総司の問いに今度はあかねと明里が顔を見合わせた。
「ここの女将さんと私の養母が古い知り合いで、行儀作法や舞なんかを学ぶ為に預けられたことがあって・・・・・・その時に私の面倒を見てくださったのが明里さん妓さんなんです」
「あかねはんがちょうど今のお志乃ぐらいの時どしたなぁ?・・・・・・あの頃のあかねはんは、真っ直ぐな目ぇをキラキラさして・・・・・・ふふ・・・・・ここに来る女子は皆、太夫か天神になることを夢見てんのに、あかねはんは『お兄はんに会うこと』が夢やて、いつも言うてはりましたなぁ」
明里が懐かしむような目で昔語りをすると、あかねは顔を赤くする。
「もうっ、明里さん妓さんったらっ。恥ずかしいからやめてくださいよぉ」
「せやけどほんまの事やし仕方おへんやろ?・・・・・・そうやお兄はんの名前、まだ聞いてまへんどしたなぁ?」
「あっ、すみません。わたしは壬生浪士組の沖田総司です」
「壬生・・・・・・浪士組?」
『壬生浪士組』と聞き返した明里の顔が曇ったのを、あかねは見逃さなかった。
「妓さん?・・・・・・・何か気になる事でも?」
「壬生浪士組言うたら・・・・・・もしかして芹沢はんってお人・・・・・・」
明里が言い終わらないうちに総司が言葉を挟む。
「芹沢さんが何か?」
「・・・・・・うちはお座敷にあがったことおまへんから詳しいことまでは知りまへんけど・・・・・・なんやあんまりいい噂を聞いたことありまへんので・・・・・・」
「「・・・・・・・・」」
内心、やっぱりと思いながらも実際耳にすると返す言葉が見つからない。
あかねは総司をチラリと見るが、総司も難しい顔をして黙ったままだった。
「今の話は忘れておくれやす。あかねはんが相手やからついつい口が滑ってしもうて・・・・・・堪忍え?」
黙った二人を見て明里が困った顔で謝る。
「いえ、すみません。ご迷惑をお掛けしているのはこちらの者ですから・・・・・・どうぞ気になさらないでください。教えて頂いてありがとうございます」
気に病む様子の明里を気遣うように総司が言うと、明里は安心したように微笑んだ。
「沖田はんどしたなぁ?あかねはんはホンマにええ娘どす。これからも、よろしゅう頼みますえ?ウチにとってはかわいい妹の1人どすさかい。泣かしたら承知しまへんえ?」
「それは、もう。任せてください!」
胸を張った総司をあかねは嬉しそうに見つめていた。
島原をあとにしたふたりは。
日が傾き始めた屯所へと続く帰り道を、並んで歩いていた。
「あかねさんには驚かされてばかりですね?置屋に預けられたのも修行の一環ってやつですか?」
「えぇ、遊里はいろいろな人が出入りするので情報を集めるには一番ですし・・・・・・そのためには芸のひとつも出来ないと、っと言われて・・・・・・でも、明里さん妓さんのおかげで充実した日々を送ることが出来ましたよ。いろいろな人を見て勉強にもなりましたし・・・・・・」
あかねは懐かしむように遠い目をした。
「・・・・・・・ひとつ・・・伺っても、いいですか?」
いやに真面目な顔をした総司が急に足を止めた。
「は、はい?」
真顔の総司を見て、あかねはゴクリと唾を飲む。
「もしかして、お座敷にあがったり・・・・・・客の相手をしたり・・・・・・?」
「!!そ、そんなこと、してませんっ!!」
総司の言葉に顔を真っ赤にしたあかねが全力で否定する。
「はぁー。よかったぁ。もしそんなことが一度でもあったなら、相手の男を今から斬りに行こうかと思っちゃいましたよー。あぁ良かった、良かった」
ははは。と笑うと総司は何事もなかったように歩き出す。
「に、兄さま!?」
慌ててあかねが駆け寄る。
「だって、かわいい妹を汚されたと知って黙っている理由はないでしょう?」
総司が笑って言葉を続けると、あかねは少し顔を赤らめうつむく。
総司の言葉を噛み締めるかのように。
幸せに浸っていたあかねだったが、総司は唐突に話しを切り出す。
「あかねさんに言おうと思ってたんですが・・・・・・わたし大坂に行くことになったんですよ、急に」
「大坂・・・・・・ですか?」
総司の言葉に、あかねはただ聞き返すことしか出来なかった。
「えぇ。芹沢さんが行くって言い出したので、そのお供で・・・・・・」
そう言った総司の顔が夕焼けに照らされ赤く染まるのを、あかねはただただ見つめるしかなかった。