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第八十七話

 新撰組の進退がハッキリしたことで、元の生活を取り戻していた屯所。

 その屯所の奥にある、総長山南の部屋。


 そこには珍しくあかねの姿があった。



 「最近、めっきりお顔を見せては下さらないと・・・・・・明里さんが淋しがっておられましたよ?」

 「・・・・・・まいったねぇ、これは」

 思いも寄らないあかねの言葉に山南は困った表情で頭を()いていた。



 先日、土方が富沢の為に開いた花見の宴。

 木津屋まで近藤と総司を送りに行ったあかねは、帰りに偶然明里と顔を合わせたのだ。



 「他に好きな(かた)でも出来たのではないか、と不安そうにされていました」

 「そんなことは、決して・・・・・・」

 にこやかな表情を浮かべながらも、あかねの瞳の奥は笑っていない。

 それを感じた山南は、苦笑いを浮かべることしか出来なかった。 


 「では、何故(なにゆえ)ですか?」

 「ここのところ忙しくてそれどころでは・・・・・・」

 一瞬。目を逸らした山南にあかねの瞳の奥がキラリと光る。


 「山南副長・・・・・・いえ、総長」

 「・・・・・・・」

 呼びかけてみても茶を(すす)ることで誤魔化そうとしている山南の様子に、あかねは表情を硬くする。



 「もしや・・・・・・腕の具合が良くないのでは・・・・・・・?」

 「っ!!」

 思わず手にしていた湯のみを落としそうになるが、なんとか山南は踏みとどまっていた。

 その動揺した様子に、あかねがさらに言葉を続ける。


 「・・・・・・失礼かとは思いますが・・・・・・総長の左腕は・・・・・・」

 「土方くんに聞いたのかい?」

 あかねの言葉が終わらないうちに全てを察したのか、山南が諦めたような表情を浮かべる。


 「いえ。土方副長は何も仰っていません」

 「では、なぜ?」

 あかねの強い眼差しに、同じく強い眼差しで返す山南。


 「私は毎日皆様のお食事を用意しています。もちろん、山南総長に茶碗を手渡すのも日課です・・・・・・・最近、左側からお渡ししても必ず右手で受け取られるので・・・・・・もしや、と思い・・・・・・試すようなことをしてしまい申し訳ありません。どうかお許しください」

 先ほどまでとは一転。

 深々と頭を下げるあかねに山南は慌てたように表情を緩める。


 「いや、いいよ・・・・・・まさかそんな些細なことで見破られてしまうとは・・・・・・わたしもまだまだ詰めが甘いということか」

 「総長・・・・・・」

 顔を上げたあかねの瞳は切なそうに揺れていた。


 「・・・・・・君の察するとおりだ、あかねくん。わたしの左腕は・・・・・・思うように動かない」

 「っ!!」

 予想していたこととはいえ、実際に本人の口から聞かされると急に現実味が帯びてくる。


 「あぁ、そんな悲しそうな顔はしないでおくれ?わたしは当に覚悟していたんだから」

 「そんなっ!?」

 事実を聞かされただけで動揺が抑えられないというのに。


 山南は「覚悟していたこと」とキッパリ言い放つ。

 その強さに。

 あかねは目を(みは)っていた。


 「いいんだ、これもわたしに与えられた試練だろうからね」

 「・・・・・・」


 『試練』などと言って笑えるようになるまでに、どれほどひとりで苦しんだのだろう。

 日々、動かなくなっていく己の腕をどんな気持ちで見ていたのだろう。

 そして。乗り越えるためにどれほど涙したのだろう。


 武士にとって刀がどれほど大きな意味を持つか。

 同じく刀を握ってきたあかねにもそれは理解出来る。

 刀と共に生きるはずの道を、突然絶たれたのだ。


 あかねにはその強さが測り知れなかった。

 「自分だったら・・・・・・」などと幾ら考えたところで、実際には動く腕を持ちながら想像することしか出来ないのだ。


 それでも山南は笑みを絶やさない。

 誰にも心配させないように、ひとり悲しみも苦しみも心に秘めて。



 もしかすると・・・・・・・。

 土方も見抜いているのかもしれない。

 だからこその総長(・・)ではないだろうか?


 気づきながらも敢えて口にせず、山南を守ろうとしているのではないか?

 そんな土方の想いを知っているからこそ、山南は誰にも告げずにいるのではないか?

 もしそうなら・・・・・・。

 自分はそんな二人の考えを踏みにじってしまったのではないだろうか?


 穏やかな笑みを(たた)える山南を目の前にして、自分の愚かさにあかねは言葉を失っていた。

 急に押し黙ってしまったあかねに気づいた山南が、ポンッとあかねの頭に手を置く。



 「それより。このこと誰にも言わないでくれるかい?土方くんはもちろん・・・・・・総司にも、ね」

 「えっ!?」

 沈みかけたあかねの心を引き戻すような山南の大きな温かい手。

 驚いた表情で固まるあかねを見ながら、山南は言葉を続ける。


 「秘密を知るのは君だけじゃないってことさ」

 「な、なぜ!?」

 咄嗟(とっさ)に口から出た言葉。

 それは否定することもなく、肯定してしまったことを表していた。


 「まぁ、強いて言うなら・・・・・・総司の君に接する態度かな?」

 「・・・・・・」

 「初めは君への強い執着は恋かとも思ったのだがね・・・・・・総司の態度を見ていて気づいたんだ。もしかしたら身内なんじゃないかってね。そうやって考えれば全て合点(がてん)がいく。君に対する態度も、君に向ける表情も」


 語りながらも穏やかに笑う山南の表情は「言い逃れ出来るものならやってみろ」と言わんばかりのもので、さすがにあかねも観念するしかなかった。


 「これは、参りましたね・・・・・・・どうにも弁解の言葉が思い浮かびません」

 「素性を隠すように言ったのは、土方くん・・・・・・と言ったところかな?」

 「!!・・・・・・・そこまでお見通しでしたか」


 そこまで見通していながら、誰にも言わないで胸にしまっていた山南は本当に「さすが」としか言いようがない。

 これにはあかねも脱帽するしかない。


 「ははは。土方くんらしいやり方だからね」

 「参りました」

 「いやいや。今まで黙っていたのはわたしも同じことを言っただろうと思ったからだよ?わたしと彼は正反対のようで似ているからね・・・・・・だから・・・・・・この腕のことを彼が知れば・・・・・・また自分を責めるだろう・・・・・・だから内緒にしておきたいんだ。たとえ彼が気づいているとしても、聞かなければ・・・・・・事実にはならないからね」


 山南の言葉にあかねが大きく頷く。

 自分が一番辛いはずなのに。

 それでも、この優しい男は周りのことばかり気に掛けている。


 「山南総長のお心は理解しました。絶対に誰にも言わないとお約束致します・・・・・・でも」

 「明里のことかい?」

 「はい・・・・・・明里さんには話してあげて欲しいと願ってしまいます。本当に好きな方のことはなんでも知りたい、どんなことでも聞きたい・・・・・・少しでもお力になりたい・・・・・・そう思っておられる筈ですから・・・・・・」


 明里に知らせれば涙を流すだろう。

 そんなことはあかねにも理解出来る。

 けれど。

 この優しい人に安らげる場所を確保して貰いたかった。

 ひと時でも心から笑える・・・・・・そんな居場所を。


 「そうか・・・・・・そうだね・・・・・・・わたしも明里には聞いて欲しいと思っている。情けない姿を(さら)したくは無い・・・・・・けれど・・・・・・明里の優しさにすがりたい・・・・・とも、ね」

 「山南総長・・・・・・」


 そう言って窓の外へと視線を流した山南の顔は悲しそうに曇って見え、あかねはそれ以上なにも言えず・・・・・・ただ黙って見守ることしか出来なかった。




 ―後日―


 真実を知らされた明里は泣きながら笑ったという。

 そして。

 泣きながら怒ったという。


 ひとりで思い悩んで苦しんできた山南を優しく抱きしめて・・・・・・。

 「もうひとりで苦しまないで」と。


 その二人の姿は遊女と馴染み客などではなく。

 ただ。

 互いを本当に大切に想い合う・・・・・・男と女でしかなかった。


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