第八十四話
夜明け前。
隣に温かい体温を感じたあかねが目を開けると、そこには総司の気持ち良さそうな寝顔があった。
(な、んで?)
寝惚け眼のまま昨夜の記憶を辿っていたあかねが、ゆっくりと身体を起こして固まる。
(いや、ホント・・・・・・どういうこと?)
左側で気持ち良さそうに眠る総司は・・・・・・まだわかる。
が。
右を向けば近藤の寝顔。
その向こうには・・・・・・どうやら土方まで寝ているらしい。
(そっか・・・・・・知らない間に寝ちゃったのか・・・・・・)
ぼんやりしたままの頭がその答えを導き出すのに、そう時間は掛からなかった。
(でも・・・・・・どうして土方副長まで?)
さすがに眠っていた間のことなどわかるはずはない。
そう思いながらも、その光景を見ていると昔のことが思い出される。
まだ幼い頃の。
鞍馬の里での日々が・・・・・・。
(あの頃も・・・・・・こんな風に皆で枕を並べて眠ったっけ・・・・・・)
懐かしそうに目を細めたあかねが総司に布団を掛けなおし、そっと部屋を後にする。
身支度の為に自分の部屋へ戻ろうと廊下を歩いていたあかねだったが、縁側でふと足を止めた。
そこに広がるのは・・・・・・。
真っ暗な外の闇。
そこに唯一照らされる月明かり。
あと半刻もしないうちに太陽が顔を出し光が差す。
そうすれば・・・・・・。
夜に輝く月は見えなくなるだろう。
それが自分の姿に重なる。
夜の闇に紛れて生きてきた自分。
それでも夜の闇に輝く月は美しい。
血に塗れた自分とは大違いだ。
満ち欠けを繰り返す月と欠けることのない太陽。
似ているようで全く別のものだ。
それはまるで。
真っ直ぐに武士道を貫こうとする近藤と、人を欺き続ける自分の違いを見せつけられているように思える。
それでも美しく輝こうとする月の姿が、痛々しく思えてあかねの胸を締め付けていた。
その刹那。
あかねの頬を生温かい涙が伝う。
誰の目にも留まることなく―。
夜が明け、陽が照らすと新しい一日が始まる。
早朝、黒谷へ向かった近藤が屯所に戻ってきたのは・・・・・・日が西へと傾き始めた頃だった。
戻ってきた近藤は無言のまま自室へと入り、その後を土方と山南が追うように部屋へと消えていく。
まだ何も知らされていない隊士が見ても、何かあったことがわかるほど近藤の様子はいつもと違っていた。
なにより。
いつの間にか有馬から局長が戻っていたことで、一層隊士たちの不安は高まっていた。
それは当然だろう。
帰るという知らせもなく。
突然局長が戻るのは、一大事以外に有り得ないのだから。
「どう、だったんだ?容保様には会えたのか?」
沈黙に耐えられなくなった土方がまず口を開く。
土方にしろ、山南にしろ、最悪の結果は想定している。
もちろん覚悟も決めている。
近藤の話次第で今後のことを考えなければならない。
でも・・・・・・。
本音を言えば怖いのだ。
出来れば避けて通りたいと願ってしまいたくなるほどに。
覚悟を決めたつもりでも、どうすればいいのかなどわかるはずがない。
それほどに心は乱れていた。
覚悟など。
すぐにグラついてしまいそうなほどに揺れている。
「トシ・・・・・・俺は思わず涙してしまったぞ」
近藤が自分のことを「俺」と呼ぶということが、冷静ではないことを表していた。
ゴクリ。
と、土方が生唾を飲み込む。
覚悟はしていた筈だ。
それでも、いざとなると身体が震える。
武者震いだ。などと強がりを言える状況ではないし、強がりを言わなければならない相手がいるわけでもない。
「容保公は、なんと?」
山南の絞り出すような声が部屋に響く。
答えを聞きたい。
でも知るのが怖い。
いつの間にか握った拳に力が入る。
「新撰組はこのまま会津藩御預のまま、何も変わりないとの仰せだ」
真っ直ぐに二人を見据えた近藤が、大きく息を吸い込み言葉を放つ。
「っ!?・・・・・・本当か!?」
近藤の表情からは思いも寄らなかったいい結果だ。
これ以上もないほどに喜ぶべき言葉だ。
ならば。
なぜ?
近藤は泣きそうな表情をしている?
「あぁ・・・・・・容保様は我らの事をとても気に掛けて下さっている・・・・・・そればかりか・・・・・・」
「「そればかりか?」」
(そればかりか・・・・・・の後に続く言葉で悪い内容があるのか?)
二人の頭には何通りもの言葉が浮かんでは消える。
近藤が次の言葉を発するまで数秒と掛からなかったはずだが、土方たちにはとても長く感じられていた。
「新撰組の一員になりたかった、と仰せであった」
「「!!」」
この時の二人の表情を例えるとすれば・・・・・・。
鳩が豆鉄砲を喰らった・・・・・・とでも言うような顔で、目を大きく見開いている。
或いは。
金魚のように口をパクパクさせて・・・・・・の方が的確だろうか?
どちらにせよ。
驚きの表情を浮かべていることに、間違いない。
「幕府を思う気持ちは同じ。誰よりも信頼している、と。共に幕府のために働く志しを持つ我らを、同志だと仰ったのだ」
近藤が言い終わらないうちに山南の目からは涙が溢れ、土方の方は目頭を抑え顔を上に向け肩を震わせている。
思い返せば・・・・・・・。
幕府の犬と罵られることもあった。
人斬り集団と後ろ指差されることもあった。
どちらも間違いではないが、褒め言葉ではない。
それでも。
ちゃんと見ていてくれる人がいた。
理解してくれている人がいた。
『同志』と言ってくれる人がいた。
それだけで充分だ。
その言葉だけで報われる。
今までの自分達の全てが、無駄ではなかったと思える。
三人はここが屯所だということを忘れ、声を上げて泣いた。
固く抱き合い、互いの肩を貸し合い、涙を流す。
互いの存在を確認し、喜びを分かち合い、ただただ泣き続けた。
まるで・・・・・・。
子供のように。
その夜。
八木邸にあるあかねの部屋には銀三の姿があった。
近藤から話しを聞いたあかねが呼び出したのだ。
「容保公にどんな進言をしたの?」
銀三に湯のみを手渡しながらあかねが問うと、銀三は申し訳なさそうに肩をすくめる。
「俺は何も言ってないんだ」
「え?」
驚きの表情を見せるあかねに銀三は深い溜め息を吐く。
「・・・・・・考えても見ろ。俺が今回のことを知ったのは・・・・・・お前と同じく一昨日の夜だぞ?昨日の時点で容保様と会おうとしたが、容保様は慶喜公のところにおられて話しをする猶予すらなかった・・・・・・今日こそは!と思っていた矢先にお前が局長を連れ帰ったせいで、その機会を逃してしまってたんだ・・・・・・・此度の容保様のお言葉は、容保様の本心だ。初めから、俺が手を打つ必要など無かったってことさ」
「本当に?」
「あぁ。本当だ・・・・・・全く、心配して損したぜ?・・・・・・まぁ、嬉しい誤算だからいいけどよ」
そう言った銀三の顔は自分のことのように嬉しそうだ。
「容保様って・・・・・・懐の深い、情に厚いお方だね」
「当然だ。なんたって俺が忠誠を誓った相手なんだからなっ」
得意そうに鼻を鳴らす銀三に、あかねも頬を緩める。
「それに・・・・・・あのお方の人を見る目は確かだぜ?この俺を臣下にしたぐらいだからな」
「すぐ調子に乗るんだからっ」
呆れた表情を見せながらも、あかねの顔は嬉しそうだった。
ひとりでもこの新撰組を理解してくれる人が幕府にもいる。
なによりその事実が嬉しかった。
きっと容保公も近藤の人柄に惚れているのだろう。
でなければ、ただの農民である彼らを「同志だ」などとは言わない筈だ。
その一言が彼らを武士にしてくれた。
侍として生きる道を示してくれた。
何の後ろ盾も無かった寄せ集めの彼らを。
武士として認めてくれる唯一の存在。
あかねはこの時はじめて心の底から「嬉しい」と思っていた。
誰の力でもなく。
彼ら新撰組が自分達の手で得た信頼。
存在していることの証。
それを実感出来た瞬間。
あかねの心は澄み切った空のように晴れ渡っていた。