第八十三話
「先生っ、おかえりなさぁい」
何の前触れもなく開かれた扉の向こうには、満面の笑みを浮かべた総司が立っていた。
「兄さま!?まだ起きていらしたのですか?」
「あかねさんも、おかえりなさい・・・・・・いえ、ねぇ、うっかり土方さんの部屋で寝ちゃってたんですけど・・・・・・起こされちゃいましたよ・・・・・・なんだかすごく不機嫌でしたけど?」
近藤の近くに座った総司が不思議そうに首を傾げて見せる。
「「あぁ、やっぱり」」
思わず声を揃えてしまった近藤とあかねが、互いの顔を見て吹き出す。
「???」
「それより、総司。留守を守ってくれてありがとう」
「やだなぁ、先生ったら。そんなお礼を言われるようなことはしていませんよ?・・・・・それより有馬はどうでした?」
にこにこと屈託なく笑う総司に近藤も心を和ませる。
―明日になれば元の浪人集団になるかもしれないというのに―
「あぁ、おかげでゆっくりさせて貰ったよ」
「そうですか、それは良かった・・・・・・あかねさんも疲れたでしょう?土方さんが無理ばかり言うから・・・・・・」
口を尖らせる総司にあかねはにっこりと笑みで返す。
「ふふっ、大丈夫ですよ。有馬など近いものです・・・・・・私よりも局長の方がお疲れになったと思います。少々、飛ばしましたので」
「ははは。確かにあんなに早く走る馬は初めてだったよ」
「へぇ、それは楽しそうですねぇ。今度わたしも乗せて下さいよ?」
「はい、喜んで」
瞳を輝かせる総司に、あかねは迷うことなく笑顔で即答する。
「いやぁ、やめておいた方がいいぞ・・・・・・総司」
「どうしてです?」
キョトンとした顔をする総司を見ながら、近藤は答え辛そうに苦笑いを浮かべた。
「いや・・・・・・乗せて貰っておいてこんなことを言うのはなんだが・・・・・・」
「ふふっ・・・・・・かなりの暴れ馬、だからですか?」
「あ、いや・・・・・・」
バツ悪そうな表情をする近藤に、あかねは笑い声を立てる。
「確かに彼は気性の荒い性格ですから・・・・・・それに昔から何故か殿方を嫌う傾向もありますし・・・・・・それ以外は文句のつけようもない名馬なのですが」
(いや、気性が荒いのが難点というのでは・・・・・・・?)
と、近藤は密かに心の中で突っ込みながらも「なるほど」とひとり納得したように頷いた。
(どうりで。一度だけ休憩を取るために立ち寄った茶屋で、突き刺さるような鋭い視線を感じたハズだ。あれは・・・・・・馬だったのか)
そんなことを思い返していた近藤は、ブルッとひとつ身震いする。
近藤の心の呟きは、さておき。
「彼?と、いうことは・・・・・・牡馬ですか?」
「えぇ。駿輝は師匠が手を焼くほどの気性で・・・・・・けれど不思議と私とは気が合って・・・・・・今では、私の良き相棒なんですよ?」
「あはは。シロもそうでしたが・・・・・・その駿輝もきっと、あかねさんのことが大好きなのですね」
さも可笑しそうに笑う総司に首を傾げる近藤。
「シロ?」
「前に話しませんでしたっけ?カラスのこと」
「あぁ・・・・・・そういえば・・・・・・」
「そういえばって・・・・・・やっぱり信じてなかったのですね?ヒドイなぁ」
そう言うと総司はぷぅっと頬を膨らませ、そっぽを向く。
「ははは、スマンスマン。だが、今度は信じるぞ?なにしろ駿輝に乗ったあとだからなぁ」
困ったような笑みを浮かべた近藤が頬をポリポリと掻く。
「そんなにも、だったのですか?」
興味津々とでもいうかのように瞳を輝かせる総司。
「あぁ。出なければ・・・・・・今朝有馬にいたわたしがここにいることは出来ないさ」
「ならば是非、会ってみたいです。ね、あかねさん?」
総司があかねに視線を向けると、あかねは座ったままこっくりこっくりと船を漕いでいた。
「おや、眠ってしまったのかい?」
「考えてみれば・・・・・・昨夜から一睡もしてないんじゃ・・・・・・」
「そうか・・・・・・なら、そのまま寝かせてあげよう。起こすのは忍びないからね」
近藤が布団を敷くと、総司が大切そうにあかねを運び寝かせる。
普段のあかねなら人の気配を感じて目を覚ますところだが・・・・・・。
余程疲れているのか、それとも総司の顔を見て安心したのか、ピクリとも動かない。
「それじゃ、わたしも今夜はここに居てもいいですか?」
「あぁ。もちろんさ」
心なしかウキウキした様子で近藤の分の布団を敷くと、総司はなんの躊躇いもなくあかねの隣に潜り込む。
そんな総司を少し羨ましく思いながら、近藤は自分の布団へと潜り込んだ。
「なんだか先生と枕を並べて眠るなんて・・・・・・試衛館以来ですね?」
「そうだな・・・・・・あれから一年か・・・・・・早いものだな」
「本当に。あっという間の一年でしたね・・・・・・でも、あかねさんのおかげでなかなか楽しい一年でしたよ?わたしは・・・・・・」
隣で規則正しい寝息を立てる愛しい妹の顔を眺めながら、総司は幸せそうに笑う。
「それに・・・・・・何度も助けられた。本当に彼女には感謝しているよ」
「不思議ですよね・・・・・・あかねさんの存在すら・・・・・・今まで知らずに生きてきたのに・・・・・・今ではあかねさんがいなくなることが考えられない・・・・・・あかねさんには戻らなければならない場所があるというのに・・・・・・ずっとここにいて欲しいと願ってしまう・・・・・・」
そう言ってあかねの髪を撫でる総司の表情は寂しげにも見え、近藤は横たえていた身体を少し起こした。
「総司・・・・・・」
「二足のわらじを履かせることは、彼女の負担でしかないというのに・・・・・・それがわかっていながらも、わたしはあかねさんの手を離せないでいる・・・・・・わたしは兄失格でしょうね、きっと」
独り言のように呟く総司の顔はいつもと違って少し大人びていた。
「初めて、だな・・・・・・お前が誰かに執着するのは・・・・・・だが、それが人の心というものだ。好きな者と共にありたい、と願うのは至って普通のこと。気に病むことではないぞ?・・・・・・それに、だ。あかねくんも同じ想いだからこそここに居るのだろう?お前がそんなことを言えばあかねくんが悲しむ・・・・・・お前はもっとわがままを言ってもいいぐらいだ」
顔を上げた総司の視界に入ってきたのは、近藤の優しい眼差し。
幼い頃からずっと傍にあったもの。
どんな時でも近藤は総司の近くにいた。
泣きたいときも、怒りたいときも。
いつだってその優しい表情は変わらなかった。
「先生・・・・・・」
「やっとお前が見つけた守りたいものなのだろう?だったら、その想いを大切にしなさい」
そしていつも。
優しくわからせてくれる。
進む道を示してくれる。
―総司にとって絶対の存在―
そしてもうひとり。
「今夜は俺もここで寝るっ」
突然、何の前触れもなく開けられた襖の向こうには・・・・・・。
自分の布団を抱えた土方が立っていた。
その表情は抱えた布団に隠れて見えないが・・・・・・。
おそらくは不機嫌そうな、それでいて照れ臭そうな顔をしているのだろう。
だが。
土方はそれ以上何も言わずに近藤の隣に布団を並べ、ガバッと頭まで布団をかぶる。
その様子を黙って見ていた近藤は嬉しそうに笑っていた。
「本当に昔に戻ったみたいだな、今夜は」
「もう。今夜は折角3人仲良く『川』の字で寝ようと思ったのにぃ」
ニヤニヤと面白そうにからかう総司に、土方は布団に潜ったままで抗議の声を上げる。
「うるせぇっ、ガキは早く寝やがれ!」
「はいはい。おやすみなさい」
「はい。は一回だっ」
「はーい」
近藤は左右で言い合いをする可愛い弟分の声を聞きながら、瞼を閉じる。
明日の事を考えれば、不安だ。
身体がどんなに疲れていても、不安に曇った心のままで眠ることなど出来なかっただろう。
それでも。
久しぶりに床を並べて二人の声を聞いていると、不思議と心が落ち着く。
まるで。
昔に戻ったかのように。
近藤は口元を緩めると、ゆっくりと眠りの淵へと落ちていった。