第七十八話
― 同じ頃 ―
京の町にうっすらと雪化粧が施された頃。
いつもよりまばらになった人影が、寒そうに背中を丸めながら足早に立ち去っていく。
そんな中。
傘を持ち合わせていないあかねは屯所への道を急いでいた。
これが夜であれば、闇に紛れて屋根の上を行くのだが・・・・・・。
雪のせいで人が少ないとはいえ、まだ夕刻だ。
誰が見ているかわからないのに危険を冒すわけにはいかない。
寒さで赤くなった手に白い息を吐きかけながら、少しでも早く帰ろうと裏路地を小走りで通り抜ける。
何度目かの路地を曲がった頃。
あかねは何かを感じ、突然歩みを止めると空を見上げた。
「!!」
顔を上げたあかねの視界に飛び込んできたのは、人が空から落ちてくる様子だった。
いや。
正確には屋根にいた人物があかねの前に飛び降りてきたのだが・・・・・・。
しかも、キラリと光る何かを手に握りながら・・・・・・。
「はぁぁぁっ!!」
凶器を振りかざし飛び掛ってきたその人物を後ろに飛びのくことで交わしたあかねだったが、その発せられた声には聞き覚えがあった。
「あ・・・・・かり?」
「・・・・・・さすがはあかね殿。腕が鈍ったわけではないようで、安心致しました」
「相変わらずだね・・・・・・」
サラリと言ってのける朱里にあかねは思わず苦笑いを浮かべる。
「ご無沙汰しております」
忍び装束に身を包んだ朱里が顔を覆った布を外し、にこりと笑みを見せる。
「元気そうだね」
「京に戻られたというのにお顔を見せては下さらなかったので・・・・・・こうして出向いて参りました」
朱里の口から発せられる言葉は丁寧だったが、どこかトゲがある。と思いながらもあかねの表情は心なしか緩んでいた。
「もしや、約束をお忘れですか?」
「いや、忘れたわけでは・・・・・・」
「では何故お顔を出しては下さらなかったのですか?」
「それは・・・・・・」
「・・・・・・はぁ」
口籠るあかねの様子に朱里はわざとらしく大きな溜め息を吐くと肩をすくめた。
「ま、あなたのことですから・・・・・・さしずめ・・・・・・里の任務に戻ったわけではないから顔を見せるわけにはいかないとか、前隊長がフラフラ顔を出すのは良くないとか、勝手に余計な気をまわしたのでしょうが・・・・・・」
「勝手に余計な気って・・・・・・相変わらず手厳しい物言いをするね・・・・・・そんな事を言うためにわざわざ来たの?」
「そう見えます?」
ニヤリと笑みを浮かべる朱里にあかねは口元を緩めた。
「見えないこともないけど・・・・・・そんなに朱雀部隊の隊長がヒマだとは思えないよ」
「それもありますが・・・・・・」
(あるんだ・・・・・)
思わず心の中で突っ込みを入れるあかね。
だが朱里は構うことなく言葉を続ける。
それも・・・・・・・。
真面目な顔つきで。
「今夜は別の用件で参りました」
先ほどまでとは違った口調。
それは昔、任務を共にしていた頃を思い出させるものだ。
朱里はうっすらと雪の積もり始めたその場に右膝をつくと、右手を左胸に当て頭を下げた。
「どうか里にお戻りください。貴方様は新撰組などという浪人集団におられるべき方ではありません。玄二殿の裏切りにより玄武部隊はもはや壊滅寸前、この難局を治める為にもあかね様のお力が我ら鞍馬の里には必要なのです。どうか一刻も早くお戻りになり、以前のように朧様の右腕として我々を導いて下さい。これはわたくしの一存ではなく我が朱雀部隊の総意にございます」
静かな口調とは裏腹に、朱里の言葉には切実な願いが込められていた。
それは言葉だけではない。
朱里が示す態度そのものが、それを現す。
跪き、右手を胸に当てる仕草は忠誠の証。
隊長をしていた時に何度その姿を見てきたことか・・・・・・。
朱里のその姿に心が揺れないわけではない。
朱里の言う通り、里に戻るべきなのかもしれない。
それでも。
自分が決めた道を変えるわけには・・・・・・・いかない。
自分が護ると決めた人がそこにいる限り。
護りたいものがそこにある限り。
「玄二兄上を止められなかったのは私の責任。里に混乱を招いたのも私の力が足りなかったせいだとわかっている・・・・・・」
「では・・・・・・」
あかねの言葉に一瞬、朱里の顔が明るくなる。
「だが、壬生を離れるつもりはない」
「っ!!何故ですか!?そんなにも実の兄が大事だとっ!?」
声を荒げた朱里だったが、あかねの表情は変わることなかった。
「それも、ある。でも・・・・・・それだけじゃ、ない」
「・・・・・・どういう意味ですか?」
「この国は関が原以来の動乱に見舞われている。それも国を二分するのは攘夷か開国か・・・・・・鎖国という徳川の世が生み出したものを根本から揺るがすもの。もはや外からだけでは見えるものは少ない。ならば中に入り込んで情勢をさぐるのが上策だと思う」
「だから新撰組なのですか?」
「・・・・・・あそこに集う者は幕府に忠誠を誓った者たち。何よりもそこらの武士より武士らしく生きたいと強く思っている上、剣の腕も確かだ。うまく使えばこちらの良き駒になる。逆に言えば敵に回せば厄介・・・・・・万にひとつでも幕府に弓引くような動きを見せることあれば・・・・・・」
言葉を区切り視線を上げたあかねの瞳には強い光が宿る。
「私が始末する」
「っ!!」
「会津藩御預の彼らが裏切るとは思えないけど・・・・・・そうなった時は・・・せめてこの手で・・・・・・」
あかねが握り締めた拳を黙って見ていた朱里がゆっくり息を吐く。
「そうやって・・・・・・またひとりで全部を背負うつもりですか・・・・・・貴方という人は本当に・・・・・・少しは私にも分けて下さればいいのに」
そう言った朱里の顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。
それは変わらぬあかねの姿に安堵したのかもしれない。
「朱里・・・・・・」
「微力ながら・・・・・・私に出来ることがあれば何でもお申し付け下さい。何もかもをお一人で背負うには此度は大きすぎます。持ちきれなくなった荷物を背負うぐらい、今の私になら出来るはずです・・・・・・これでも貴方の後任を務める唯一の存在ですよ?」
あかねを補佐出来るのは自分だけなのだと。
朱里は強調したかったのかもしれない。
同じ『朱』の名を頂く者として。
「そうだね・・・・・・でも、昔から頼りにしてたよ?なんでもハッキリ口にしてくれるとこなんて特に、ね?」
これ以上もないほどの笑みを見せるあかねに、朱里は照れ臭いのかプイッと顔を横に向ける。
「どうせなら他のことで頼りにして頂きたい・・・・・・」
「クスッ・・・・・・なら一つ、頼んでもいいかな?」
「はい、もちろん」
「京の町に入り込んだ長州者のことを調べて知らせて欲しい」
「承知」
「ついでに・・・・・・彼らの狙いも知りたい。何の為に戻ってきたのか」
「承知。ならばこちらも・・・・・・お願いが」
「?」
「玄武隊の統括を・・・・・・」
「わかった。すぐに師匠に伝令を送り引継ぎするよ」
「ありがとうございます。ならばその手配はこちらにお任せを」
その時。
朱里が見せた表情には信頼と忠誠が滲み出ていた。
それは。
昔と同じ・・・・・・いや、昔以上のもの。
少なくとも。
あかねの瞳にはそう映っていた。