第七十六話
新撰組屯所 土方の部屋
「突然訪ねて来て申し訳ない」
「あ、いえ。こちらこそお見苦しいところを・・・・・・」
申し訳なさそうに頭を掻き、苦笑いを浮かべる近藤と向かい合う形で半蔵は腰を下ろしていた。
そんな二人の間に座るあかねがいつもとは違い固い表情で半蔵に視線を送る。
「本日はどのような用向きにございますか?」
あかねにしては珍しくどこかトゲのある言葉。
その表情を見ていた銀三は心の中で深いため息を吐いていた。
同じく部屋の隅に同席していた土方と総司も驚いたように顔を見合わせている。
「あ、あかねくん?どうしたんだい?折角訪ねて来られたというのに・・・・・・」
その場の重い空気に耐えられなかったのか、近藤はあかねを諭すような言葉を並べるが彼女の顔つきが変わることはなかった。
「誤解を解きに来たんだ」
「誤解?弁解の間違いではないのですか?」
「・・・・・・」
あかねの口から出た厳しい言葉に皆が凍りつく。
一番近くに座っている近藤が土方に救いを求めるような視線を送るが、さすがの土方も助け舟の出しようがないのか動こうとはしない。
「いや、誤解だ。確かに俺は師匠の思惑に気づいていたが、此度のことを受けたのは師匠のためではない。俺がお前を妻にしたいと思ったのは事実だ。先日お前に言ったことも俺の本心だ。それだけは・・・・・・信じて欲しい」
近藤たちがオロオロとする中、半蔵は真剣な眼差しをあかねに向けていた。
「・・・・・・何を信じろと?頭領は知っていたのでしょう?あのお言葉が真実だと仰るのなら、何故教えては下さらなかったのですか?」
「お前の言う通りだな・・・・・・だが、師匠の思惑はどうであれ俺はお前と一緒になれるのならと思ったんだ。だが後悔しなかったわけではない。実際お前に断られて内心ホッとしたぐらいだ・・・・・・だが師匠の考えも否定出来ない」
「それは・・・・・・私に跡を継げと?」
「そうだ・・・・・・いや、正確に言うならお前以外に適任者がいるとは思えない。本当はお前もわかっているのだろう?」
「朱雀部隊の隊長は私ではありません。現隊長が長になるのが慣例ではないのですか?」
「お前の言う通りだ・・・・・・だが朱里を補佐するはずの玄二がいない今、その役目をアレ一人で果たせると思うのか?それとも・・・・・・可愛い妹分が重責に潰される様を見たい、とでも言うつもりか?」
「っ!!」
半蔵の言葉に唇を噛み締め黙りこくるあかね。
それは言葉だけでなく、半蔵の強い眼差しに捕らえられ身動きが取れなかった・・・・・・とも言える。
話の内容を全て把握している銀三もまた、無言のままあかねの表情を見守る。
もっとも立場上、口を挟むわけにもいかないのだが・・・・・・。
ただ。
全く話の見えない近藤たちは・・・・・・。
言葉を発することも出来ず、成り行きを見守ることしか出来ないでいた。
「頭領の仰ることはもっともです。でも・・・・・・私は自分が護ると決めたものを護りたい。今のこの時間を大切にしたい、ただそれだけではいけませんか?」
搾り出すような声で訴えるあかね。
それでも半蔵の射抜くような眼差しは変わらない。
「悪い、とは言わない。だが、覚悟はしておけ。お前にしか出来ないことである事実は変わらない」
「・・・・・・」
あかねの心に「お前にしか出来ないこと」という半蔵の言葉が深く響き渡る。
と、同時に。
ここに来て玄二のいない事実を改めて思い知らされた気がしていた。
玄二を止められなかった自分の不甲斐なさ。
それがこんな形で自分に降り掛かるなど、想像もしていなかったことだ。
言い換えれば・・・・・・・。
これは自分に課せられた罰なのかもしれない。
そんなことを考えていたあかねを後押しするかのように、半蔵は言葉を続けた。
「俺たちはその為に日々修行に明け暮れて来たんだ。それに・・・・・・宮さまとも約束したのだろう?帝をお支えしお守りすると」
まるで心を見透かされているかのような半蔵の言葉。
と、同時に江戸を発つ時の和宮の顔が思い出される。
涙を堪えて笑顔で送り出してくれた、あのなんとも言えないせつない表情。
あの時、自分に誓ったはずだ。
この御方が護ろうとする全てを護ろう、と。
ゆっくりと顔を上げ、半蔵と視線を合わせたあかねの瞳には力強いものが宿っていた。
「ならばその誓いを果たせ。何も鞍馬の里に戻らずとも指揮は取れるだろ?今はまだ師匠も元気だがいつどうなるかわからぬ。少しでも負担を減らして楽をさせてやれ。それが育ての親に出来る唯一の親孝行だ」
「はい」
短い返事と共に大きく頷いたあかねからは、強い決意を感じられる。
それを読み取ったのか、半蔵の表情は柔らかいものへと変わりあかねの頭にポンッと手を乗せる。
その仕草は昔と何も変わってはいない。
手の温もりも同じもの。
そして、それは・・・・・・。
どんな言葉よりもあかねを安心させるものだった。
「案ずることはない。お前には俺がついている。たとえ離れていても、国を護る気持ちが同じなら大丈夫だ・・・・・・・それに、お前には心強い仲間がいるのだろう?」
そう言いながらあかねの頭をクシャリと撫でると、近藤へ視線を向ける。
「信じていますよ、近藤さん。新撰組が身命をとしてこの国の為に働いてくれると」
「もちろんです!国を思う気持ちは我らとて同じ。ご信頼に添えるよう精進して参る所存です」
「その言葉を聞いて安心しました・・・・・・これであかねを残して行けそうです・・・・・・いずれは上様と共に江戸へ戻る身なので・・・・・・あかねのこと、頼みます」
混沌とする世情において。
朝廷も幕府も日々揺れ動いている。
それは民衆の不安を煽り、人々の心が荒んでいることも肌で感じられる。
全ては外国勢力が開国を迫ったことに端を発しているのだが、わかっていても打ち払うだけの力が幕府にはないのだ。
国を閉ざすということは、井の中の蛙も同然。
欧米列強の持つ技術に驚かされるばかりで、対抗する手段がない。
慌てふためいて新たな力を得ようとしても、すぐに手に入るわけではない。
今攻撃されれば国は滅ぶ。
だが侵略されるのを黙って見ているわけにはいかない。
「・・・・・・ところで・・・・・・全く話の内容が理解出来ないのは・・・・・・わたしだけですか?」
ポリポリと頬を掻きながら、苦笑いを浮かべる総司に半蔵が思わず笑い声を立てる。
「なるほど。あかねに聞いていたとおりの御方のようだ・・・・・・」
「??」
「沖田さん・・・・・・あなたにもお願いしたいことがあります」
「はい?なんでしょう?」
「あかねが無茶をしないよう、自分の命を粗末にしないよう、見張って頂きたい。あなたの言う事なら聞くでしょうから」
「もちろんです。あかねさんのことは任せて下さいっ!必ず護りますから」
力一杯頷いて見せる総司に、半蔵は更に瞳に力を込める。
「・・・・・・そのために沖田さん自身の命も粗末にはしないで頂きたい。あかねにとっては貴殿の存在こそが生きる理由なのですから」
「・・・・・・心得ました」
半蔵の真剣な眼差しに、総司もいつの間にか表情を引き締め深く頷いていた。
とても力強く。