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第七十話

 文久4年 1月15日

  京都 壬生寺



 「申し訳ありません」


 一瞬の沈黙のあと。

 ため息に似た吐息と共に服部が口を開く。


 「・・・・・・やっぱりな」

 「え?」


 「お前のことだ・・・・・・そう言うだろうと予見はしていたが・・・・・・実際言われると結構キツイな」

 辛そうな表情で空を仰ぐような仕草をする半蔵にあかねは言葉を失っていた。


 「今のお前にとって仕える相手は新撰組・・・・・・といったところか?」

 「・・・・・・はい。この命はもはや私のものに(あら)ず、新撰組局長のもの。そんな私が服部半蔵殿の妻になるわけには参りません」


 「新撰組局長・・・・・・のものか。お前、らしい答えだ・・・・・・だが、それでも俺はお前を妻にしたい」

 「・・・りゅう、にぃ?」

 思わず出た昔の呼び方。


 「・・・・・・と言ったら、お前は困るか?」

 「そ、それは・・・・・・」

 「今すぐに、とは言わない。だが国の乱れが治まり平和な世になれば、新撰組は存在意義がなくなる。そうなればお前も御役御免だろ?・・・・・・そうなってからでいいんだ」

 そっとあかねの髪に手をやると、優しい眼差しで顔を覗き込む。


 「・・・・・・」

 あかねは思いがけない言葉に目を見開いたまま固まっていた。



 あかねにとっては生まれて初めてのこと。

 誰かに気持ちを告げられることも。

 想われていることを実感したことも。



 そして。

 今まで兄としか思っていなかった半蔵が、こんなにも自分を必要としてくれている事実がやけに心地よく思えて自然と涙が浮かぶ。


 それはあかねが初めて『愛』というものを知った瞬間でもあった。

 忠義、忠節、忠誠ではなく。

 ただ単純に相手を想う気持ち。

 その温かさ。



 「あかね?」

 黙り込んだあかねの瞳から涙が流れ落ちたことに驚いたのは、半蔵の方だった。

 思えば、あかねの涙など久しく見ていない。


 というより、何があっても涙など流した事のなかったあかねが・・・・・・。

 こんなにも自然に流しているのだ。

 自分の知らない時間が、あかねの中の何かを変えたのだろうか。



 「龍にぃ・・・・・ありがとう」

 「おま、え・・・・・・少し変わったな」

 あかねの変化に半蔵は目を(みは)った。


 「?」

 「いや、何でもない」


 頬に流れる涙を優しく指で拭いながらも、半蔵の心中は穏やかではなかった。

 確かにこの一年ばかり会わなかった間にあかねは変わっていた。


 ハッキリとはわからないが、確実に何かが変わったことを感じさせられる。

 それはひとりの人間としての成長か、それとも女としての成長か。



 もしかすると・・・・・・。

 あかねの心には誰か想う相手がいるのではないか。

 本人の気付かぬ内に大きな存在となっている相手が・・・・・・。


 そんなどうしようもない不安が襲ってくる。

 いっそこのまま連れ去ってしまおうか、と思うほどに。


 だが、その疑問は自分の胸の奥へと押し込める。

 不安など言い出せばキリがない。

 昔とは違い離れて暮らしている分、そんなことは百も承知だ。



 「それで・・・・・・どうだ?上様に顔を見せる気にはなったか?」

 「・・・・・・いえ、やはり、それは・・・・・・」

 「そうか、仕方ないな。まぁ、上様もお忙しい身だ。お目通りが叶ったとしても、ゆっくり時間が取れないかもしれないからな」


 予想通りの答えだったのだろう。

 半蔵は自分の(あご)に手をやりながら、闇に包まれはじめた空を見上げた。


 「あの・・・・・・今回のご上洛は?」

 「帝から上洛せよとの(おぼ)し召しだからな・・・・・・さしずめいつまでも攘夷を実行しない幕府に痺れを切らしてのことだろう」

 「幕府の考えは、変わってはいないのですね?」


 「あぁ・・・・・・前年の長州の失態を見ても力の差はハッキリしている。(まつりごと)を行なう幕府が負ける戦をするわけにはいかない・・・・・・幕府が負ければ日本国は終わる」

 「では軍備を整えつつ・・・・・・国を開く、と?」


 「・・・・・・いずれは、そうなるだろうな。薩摩辺りはそれを想定して軍備強化に(いそ)しんでいると聞く。それが幕府の為になるのか、それとも・・・・・・」

 言葉を濁らせた半蔵の真意を読み取ったのか、あかねはすぐに否定するように首を左右に振った。


 「!!まさかっ!?江戸には天璋院さまがられるのですよ!?」

 「あぁ・・・・・・だが、お父上であられた島津斉彬さま亡き今・・・・・・薩摩がどう動くかなど、わからないだろう?」



 天璋院・・・・・・先代の十三代将軍家定公に嫁いだ三番目の御台所で、今は家茂公の養母として大奥に君臨する薩摩出身の姫。

 和宮にとっては姑にあたるお方だ。



 「そ、んな・・・・・・お家の為、藩のため江戸へ嫁がれたというのに・・・・・・それではあまりにも天璋院さまが・・・・・・」

 その天璋院のいる幕府に向かって薩摩が弓を引くことなど・・・・・・あるのだろうか?

 あかねは疑問を感じていたが、同時に半蔵の言葉にも一理あると思っていた。


 「まぁ、まだそうと決まったわけではない。可能性のひとつを言ったまでのことだ」

 「・・・・・・はい」

 確かに決まったわけではない。

 あくまでも想像でしかないのだ。


 だが、そこまで先を見据えようとしている半蔵には頭が下がる思いだ。

 自分ではそこまでの考えは及ばない。

 それは御庭番頭領とただの隠密である自分との明らかな差を感じさせるものだった。



 「難しい話はこれぐらいにして・・・・・・お前のいる新撰組のことを聞かせてくれ。今どんな暮らしをしているのか・・・・・・お前の兄とはどのような男か」

 「はい・・・・・・総司兄さまは一言で言うなら、子供のようなお方です」


 「子供?」

 「はい。純粋で無邪気で真っ直ぐで・・・・・・ただ近藤局長のために生きている・・・・・・そんな方・・・・・・主君と定めた局長の為なら・・・・・・どんなにその手が血に(まみ)れ様とも笑っていられる・・・・・・そんな、お方です」 


 「おまえはその兄の為に生きる決意をしたのだな?・・・・・・その命を散らせることになったとしても・・・・・・」

 「その為に私は沖田総司の妹としてこの世に生を受けたのだと、そう信じて生きてきました。兄の為にこの命を散らせることが出来るのなら・・・・・・これ以上の幸せはありません」

 キッパリと言い放つあかねに半蔵は少し淋しそうな笑みを浮かべる。



 「それが・・・・・・お前にとっての幸せか」

 瞳を伏せるようにして呟いた半蔵に、あかねは首を傾げる。

 「・・・・・・?何か、おかしなこと言いましたか?」


 「いや、お前は・・・・・・女としての幸せを求めたことはないのかと、思ってな」

 「女として・・・・・・ですか?」

 「あぁ・・・・・・誰かを恋慕う気持ちを抱いたことは・・・・・・ないのか、と」

 「・・・・・・」


 半蔵の言葉に暫し考え込むあかね。

 ブツブツと呟きながら首を傾げるその姿に半蔵は内心ホッとしていた。



 少なくとも。

 あかね自身が誰かを慕っている様子はないだろう。

 その心に密かに想う相手がいるから断られたわけではないのなら、自分にもまだ希望はある。


 本人がそれを望もうと、望むまいと。

 いつかその心を(とら)えることが出来るかもしれない。


 「まぁ、いい。俺にとっては充分だ・・・・・・来た甲斐があったというものだ」

 「??」


 思わず呟いた半蔵。

 その言葉の意味が理解出来るはずもなく・・・・・・あかねは首を傾げるばかりだった。



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