第六話
その日。
昼前には、屯所中にあかねの噂が広まっていた。
元来、噂話というのは広がるのが早い。
それは。
どの時代であっても、どんな場所であっても・・・・・同じである。
特に男ばかりの浪士組に女が来るとなれば、尚更である。
しかもご丁寧なことに、この噂話には瞬く間に尾ひれがついた。
もちろん初めからそうなったわけではない。
「賄いをしてくれる女子が入ったらしい」
というところから始まり、
「それは美人だった」
というものがいれば
「俺は醜女だと聞いたぞ?」
というものも出てくる。
実物を見に行けば済みそうなものだが、稽古中に抜けるなど出来るハズがない。
万が一抜け出せたとしても、土方に見つかった時のことを思うとそんな勇気は出ない。
要するに、ほとんどが想像と妄想でしかないのだ。
「でも、なんでここに来るんだ?」
「他で働き口がないなら・・・・・やっぱ醜女、だろ・・・・・?」
などなど。
噂はすぐに尾ひれをつけ、当事者の預り知らぬところで勝手にひとり歩きをする。
それが噂、というものだ。
最後には、
「八木源之丞の隠し子らしい」
「いやいや、八木源之丞の妾だろう」
とか。
結局、最後に行き着いたのは
「土方に捨てられた女が、無理やり押しかけたらしい」
という、いかにもありそうな話に落ち着いていた。
さすがにそんな話になっている事など当の本人である土方も、もちろんあかねも知らずにいたが。
すっかり真に受けた者も当然いる。
「そなたが、あかねとやらか?」
昼食も終わりあかねが一息ついた頃、恰幅の良い男が台所に顔を出した。
「は、はい」
「こんなかわいい女子の何が気に入らないというんだ?」
近づいてきたその男が自分の顎に手を当て、マジマジとあかねの顔を見る。
「な、なんのことでしょう??」
言われた意味が全くわからないあかねが、当然のことながら首を傾げる。
「あんな頭の固いやつのことなど、さっさと忘れてしまえ。そうじゃ!ワシが忘れさせてやろう」
「は、はい?あの、何を・・・・・・?」
「よいよい。遠慮などするな」
訳がわからないという顔のあかねとは対照的にニンマリ顔の男が、あかねの手を掴むと無理やり引っ張っていく。
「さ、さ。共に参れ」
「い、いえ、あ、あのっ」
急に引っ張られたあかねは体勢を崩しながら、半ば引きずられるような形で連れていかれる。
あかねが連れ去られた後。
そんなことになっている事など夢にも思わない総司が、ひょっこり台所に顔を出した。
「あれ?あかね、さん?」
(どこ行っちゃったのかなぁ)
キョロキョロと辺りを見回すが、あかねの気配は無い。
特に用事があったわけではないので、たいして気に留めることもなく総司はその場を離れる。
そんな様子を物陰から見ていた男がひとり。
だが、その気配に総司が気付くことはなかった。
あかねが連れてこられたのは、八木邸の離れだった。
その時点で、自分の手を引く男が芹沢なのだろうとあかねは薄々理解していた。
「まぁ、そこへ座れ」
「は、はぁ」
部屋の中には昨夜も飲んでいたであろう残骸と、酒の匂いが残っていた。
芹沢はそれを蹴散らすように場所を開け座ると、あかねにも座るよう勧めた上でお猪口を手渡し酒を注ぐ。
「まぁ、飲め。イヤなことは酒でも飲んで忘れるのが一番だろ?」
「あ、あのぉ」
「ん?どうした?飲めぬわけではなかろう?傷心を癒すにはこれに限るぞ?」
そう言うと自分のお猪口に酒を注ぎ、グイっと飲み干した。
「傷心?・・・・・・ですか?」
芹沢の言葉の意味がわからない。
(初対面にして、何故傷心??)
「あ、あの、何か誤解があるようなのですが・・・・・」
あかねはお猪口を手に戸惑うが、芹沢は構うことなくグイグイ酒を飲み干していく。
「んん?誤解?何を言う?そなたは土方に酷い目に遭わされたのであろう?・・・・・・・全くあの男は融通の利かん、わからずやじゃからな。何が気に入らんというのだ、そなたのようなかわいい女子・・・・・・」
(土方さんに酷い目に??・・・・・・・ってまさか私のことを信じるとか信じないとかのこと?・・・・・・あれ?でもあれは総司兄さまとのことで言われただけで・・・・・・ん!?まさか私の正体を知ってるってこと?・・・・・・いや、まさか・・・・・・)
芹沢の一言にあかねの思考回路がフル回転する。
「別に酷い目になど・・・・・・」
とりあえず探りを入れてはみるが、
「でも、会いたくてきたと聞いたが?それなのにあの男ときたらっ」
「!!!」
芹沢の言葉にあかねはハッとする。
(確かに、兄さまに会いたくて押しかけたが何故それを知られている?真実を知っているのは4人だけのハズ・・・・・・話を聞かれていたのか?そうだとしたら、どこまで知られている?兄妹ということだけ?それとも・・・・・・)
あかねは自問自答を繰り返すが、どこまで知られているのかわからない以上どうすることも出来ない。
「あの土方という男は氷のように冷たいと思っておったが、まさかそなたのような女子まで、あやつの毒牙にかけられていたとは・・・・・・・心配するな。ワシは優しくするからな?あんな鬼と違って大事にするぞ?絶対に捨てたりはせんぞ」
ニヤつきながらも言い終わらないうちに、芹沢の手があかねの肩に置かれガッチリと捕らえる。
「ええっ!?」
近づいてくる芹沢の身体を必死に手で突っ張り拒みながら、その腕から逃れようとする。
「私は捨てられてなどっ!!」
「よいよい、強がらずとも」
「い、いえ。強がりなどではございませんっ!そ、それにっ、土方さんの毒牙にもかかってはおりませんっ!」
どんどん至近距離になってくる芹沢の顔を渾身の力で押し返しながら、あかねは必死で逃れようと試みる。
「何を今さら・・・・・・隠さずともよい。土方に捨てられたのに追いかけてここまで来たと聞いたぞ?」
「・・・・・は、はい??なんですか、それは?そんなの知りません!!」
「??屯所内ではその噂で持ちきりだったぞ?」
「デタラメですってばっ!!」
そう言うとありったけの力で芹沢を突き飛ばす。
なんとか腕から抜け出したあかねが、ゼイゼイと息をつくのを見ながら芹沢は少しつまらなそうな表情を浮かべる。
「なんだ、デタラメであったか・・・・・・まぁ、よい。折角だからワシの酒につきあえ」
酒が入って上機嫌な芹沢は悪びれることもなく、酒を差し出す。
「い、いえ、もう戻らないといけませんので・・・・・・これで失礼します」
「なんじゃ?ワシの酒は飲めぬと言うのかぁ?」
少し目の据わった芹沢が立ち上がろうとするあかねを制し、無理矢理飲ませようとする。
これにはさすがのあかねも観念したのか、困った表情をうかべながらも渋々着座した。
一杯、また一杯・・・・・・と注がれるままに飲み干すと、
「いける口じゃなぁ。気に入ったぞ。ここで困ったことがあったら何でも相談しろよ。この芹沢が力になるぞ?ワッハッハ・・・・・」
と負けじと自分も飲み干していく。
半時ほど芹沢の酒の相手をしていたあかねだったが。
芹沢が酔いつぶれて眠ったのを見届けると、心底疲れた表情を浮かべて離れを後にする。
なんとか解放されたことにホッとしたのもつかの間。
今度は背後から忍び寄った影に口を押さえられ、木陰へと連れ込まれた。
(!!今度は一体ナニ!?)
がっちりと身体と口を押さえ込まれたあかねは、抵抗虚しく連れ去られる。
どこか懐かしい匂いを感じながら・・・・・。