第六十五話
京都 島原 『角屋』
診療所にて療養していたあかねが、3日ぶりに屯所へと戻ったこの日。
快気祝いと称して、近藤は総司とあかねを連れ角屋へと足を運んでいた。
たまには「上げ膳据え膳」で楽をさせてやりたい・・・・・・というのが本音ではあったが、女子にとっては命とも言うべき大切な髪を失わせてしまったことに対する償いも込められていた。
あかねの短くなってしまった髪を見た総司は言葉を失っていたが、あかね本人は至って普通でいつも通り明るい表情で笑ってみせる。
だが、近藤にはそれが逆に痛々しくも見えた。
「今宵はあかねくんのために、明里と深雪を呼んでおいたよ?」
「そうなんですか!?・・・・・・お2人に会うのは久しいので、嬉しいです!」
子供のような笑みを見せるあかねの姿に、近藤は目を細める。
「そういえば深雪さんとは古い知り合いでしたっけ?」
「はい、幼い頃に何度か・・・・・・」
総司の質問に答えようとしたあかねの言葉を遮ったのは、角屋の番頭の声だった。
「明里はんと深雪はんがお着きどす」
番頭の声と同時に開け放たれた障子の向こうには、三つ指で頭を下げる2人の姿。
「ようおいで下さりました」
「堅い挨拶は抜きにしてくれないかい?今宵はあかねくんの・・・・・・」
快気祝いなのだから・・・・・・と言いかけた近藤だったが、あかねの名を聞いた瞬間に深雪が顔を上げあかねの元へと走り寄っていた。
「あかねはんっ!やっと会いに来てくれはったんどすかぁ!?」
「お、お雪ちゃん・・・・・・」
いきなり抱きつかれたあかねは、少し困ったように苦笑いを浮かべている。
「うち、首を長ごうして待ってましたんぇ?きっと会いに来てくれはるって・・・・・・って!?どないしゃはりましたんぇ!?その髪!?」
これ以上もないほど目を大きく見開いた深雪の白く細い指が、あかねの髪に触れる。
「ほんに、まぁ!?何がありましたのや!?」
深雪と同じように驚きの声を上げる明里。
2人から浴びせられる痛いほどの視線に、あかねは肩をすくめる。
「まぁ、なんというか・・・・・・気分転換?」
笑って誤魔化そうとするあかねの表情に、明里は視線を近藤に移した。
「・・・・・・・」
明里と目を合わせた近藤はバツが悪そうに視線を外す。
「女子が気分転換やから言うて、そない短く髪を切るやなんて・・・・・・聞いたことおまへんぇ?」
少し疑うような眼差しを向ける深雪だったが、その瞳はどこか懐かしそうな色を宿している。
「そう、かな?昔に戻ったみたいで、結構気に入ってるんだけど・・・・・・?」
言いながらも、あかねは肩までの長さになってしまった自分の髪に手をやる。
「確かに出逢った頃のあかねはんを思い出しますなぁ」
「でしょ?私もあの頃のこと思い出しちゃったよ・・・・・・懐かしいね」
「へぇ・・・・・思えばあかねはんはあの頃から、ちっとも変わったはりまへんなぁ。うちのこと庇ってくれはったあの時と・・・・・なぁんにも変わらはりまへん」
「庇った?」
深雪が独り言のように漏らした言葉に、総司が聞き返す。
「へぇ。うちが浪人に囲まれて困ってるとこ、助けてくれはったんがあかねはんどしたんや。あん時・・・・・・うちを庇って怪我まで・・・・・・」
悲しそうに瞳を伏せる深雪の言葉をあかねが遮る。
「お雪ちゃん!」
あかねの顔は先ほどまでとは違い真剣そのものだった。
その瞳が、それ以上は言うなと語っている。
「あかね、さん・・・・・・?」
深雪の言葉の続きが気になるのか、それともいつもと違う表情を見せるあかねに驚いたのか、総司はくい入るようにあかねの顔を見ていた。
「うち・・・・・・」
一瞬の沈黙のあと。
思いつめたような表情をした深雪が、少し涙目になりながらあかねの腕にすがりついた。
「あん時から・・・・・・うち・・・・・・ずっと・・・・・・あかねはんが好きなんどす。どんな男はんと床を共にしようと・・・・・・うちの心に想うのはあかねはんだけ・・・・・・」
深雪の告白に、その場にいた者は皆固まっていた。
近藤はもちろん。
総司に至っては、持っていた箸を落としたことにも気づかないほど口をあんぐり開けていた。
そして・・・・・・あかねも驚きのあまり深雪を凝視している。
そんな中、ただひとり。
明里だけは深い溜息を吐いていた。
「ほんまどすぇ?うち、ほんまに・・・・・・」
訴えるような瞳であかねを見つめる深雪を止めたのは明里だった。
「深雪太夫・・・・・・皆さんがお困りどす・・・・・・堪忍してや?近藤せんせ」
「あ、いや・・・・・・」
深雪の言葉に動揺しているのか、近藤の目は明らかに泳いでいた。
それを見ていた総司がさも可笑しそうに笑い声を上げる。
「あはは、やだなぁ近藤先生ってば・・・・・・深雪さんの冗談を真に受けるなんて」
こと恋愛ごとには疎い総司が大口を開けて笑い飛ばすと、深雪は少しムキになって言い返す。
「冗談なんかやおへんぇ、沖田はんっ・・・・・・うちは本気どす。大坂に行っている間も、身請けされた時も・・・・・・この心にあったんはあかねはんのことだけ・・・・・・いつも・・・・・・あかねはんのことだけどした・・・・・・女子同士やのにおかしいと思わはるかもしれへんけど・・・・・・うちにとっては・・・・・・最初で最後の恋、なんどす」
深雪の言葉には嘘はない。
それは少し潤んだ瞳と、真剣な眼差しが示している。
なにより。
同じ想いを秘めている近藤の心には、痛いほど深雪の言葉が突き刺さる。
「えぇぇぇぇぇ!?だってぇっ!?」
「うちが女やからどすか?」
深雪の問いにブンブンと音がするほど総司が首を縦に振る。
「好きになったお人が・・・・・・偶然女子やっただけどす。こればっかりは仕方おへん」
そう言って微笑む深雪の表情はとても柔らかく、とても輝いていた。
女子同士だから・・・・・・などという概念に苦しんだこともあっただろう。
それでも。
深雪は想いを消すことが出来なかったのだ。
だからこそ。
彼女は胸を張って想いを口にすることが出来る。
誰に恥じる事もなく。
堂々と。
あかねが受け入れるか、など深雪にとっては問題ではない。
自分に嘘を吐くことの方が耐え難い苦痛なのだろう。
だからこそ彼女の表情はどこか清々しくも見える。
近藤はそんな深雪の顔が眩しく思えてならなかった。
同じ想いを胸に秘めているというのに。
こんなにも違うものか、と。
武士の恋は耐え忍ぶもの。
それが最も美しいと思っていた。
だが女子である深雪も長く耐え忍んできたのだ。
耐え忍び、やっと想いを口にした彼女は。
輝きに満ち、幸福に包まれていた。
今までで一番の美しさを放っているように近藤の瞳には映っていた。
「ところで・・・・・・身請けされたって・・・・・・ご亭主はどうされたのですか?」
深雪の想いを理解しようと努力する総司が、気になっていたことを口にする。
「へぇ。それは・・・・・・亡くなりましたんどす。それで・・・・・・居づろうなって島原に流れて来たんどす。他に行くあてもありまへんどしたし・・・・・・」
「そうでしたか・・・・・・それは、またご苦労を・・・・・・」
「いえ。おかげであかねはんとも再会出来たんどっさかい、うちにとっては良かったんや思うてますぇ」
「お雪ちゃん・・・・・・」
その夜の宴は遅くまで続いたが、近藤は終始何かを考え込む様子で飲み続け最後には珍しく酔いつぶれて眠り込んでしまう。
そんな近藤の姿を明里だけが黙って見守っていた。