第六十二話
京都 新撰組屯所
大坂での一件を知るはずもない京都残留組の面々。
当然のことながら、いつもと変わらない日々を送っていた。
12月を目前に控え、より一層寒さの増した京都の朝。
この日もあかねはいつもどおりの時間に目を覚ます。
「コホンッ、コホンッ・・・・・・・」
身体を起こして初めに感じたのは、いつもと違うダルさ。
そしてやけに出る咳。
(やだなぁ・・・・・・風邪でもひいたかな・・・・・・)
ひとり呟きながらも身支度を整え、八木邸を後にする。
(少し寒気がする気はするけど・・・・・・動いてるうちに治るよね?)
そんな風に思いながら、向かいにある屯所へと足を向ける。
なにしろ、休んでなどいられないのだ。
だが、あかねの予想は大きく外れることになる。
皆が朝食を終えた頃には、頭がボーッとするほど症状は悪化していた。
とはいえ。
いつもと変わらず笑顔を作るあかねの体調に気づく隊士などいない。
あかね自身も気づいて貰いたいとは思っていないのだから仕方がないのだが。
そのまま昼を過ぎた頃。
(あー、お味噌が切れそうだ・・・・・・今日はあまり出歩きたくないんだけどなぁ)
と言っても、誰かに頼むのは申し訳ない。
「はぁぁぁ・・・・・・」
少し大きめに溜息を吐きながらも、仕方なくあかねは重い身体を引きずりながら町へと買い物に出ることにした。
そして・・・・・・。
いつもよりゆっくりした歩調で屯所から出て行くあかねの姿を見ていたのは、偶然通りかかった近藤だった。
「・・・・・・・・?」
無事に買い物を終えたあかねの前に2人の男が立ちはだかったのは、屯所までもう少しという場所でだ。
こんな日に限ってついてない。
まるで今日が厄日のような気にさえなる。
「そなたが駒野だな?」
「は、はぁ?」
「とぼけても無駄だ、近藤の妾だということはわかっているんだ」
いきなり現れたその男たちは、あかねの両脇にピッタリと張り付き腕を掴むとあかねの口に手を当て塞いだ。
「!!」
その瞬間。
あかねが左側に立つ男のスネを蹴り上げる。
いわゆる弁慶の泣き所、というやつだ。
「いだっ!!」
蹴られた男が態勢を崩しあかねの左腕が自由を得ると、その勢いのまま右側の男の顎を直撃した。
ふいを突かれたもう1人の男は、避ける間もないまま目を白黒させながら後ろへと倒れ込む。
「ぐはっ!!」
「こ、このアマっ!!」
スネを押さえていた男があかねを睨みあげると同時に、あかねはその男を気絶させようと右腕を振り上げる。
「・・・・・なかなか元気な女だな・・・・・・」
ふいに背中から聞こえた声は気配もなくあかねの背後に立ち、振り上げられた腕を掴む。
「っっ!!」
「さすがは、近藤の妾といったところか・・・・・・」
「・・・・・・」
あかねの背後に立った男は、あかねの首元に刀を突きつけ鋭い眼差しを向けていた。
(3人目がいたとは・・・・・・それに・・・・・この男からは人斬りの・・・・・・血の匂いがする・・・・・・)
あかねはクラクラする頭でそれを感じ取っていた。
「おとなしくすれば危害を加えるつもりはない」
男は言葉とは裏腹に、背中越しで刀を突きつけ歩くように促す。
「・・・・・・」
その場には先ほどあかねが買ったばかりの味噌が残されていた。
「あかねくんが、まだ戻っていない?」
隊務を終えた総司が近藤の部屋を訪れたのは、夕七ツ半を過ぎた頃だった。
「そうなんです・・・・・・味噌を買いに行くと言って出て行ったきりらしくて・・・・・・もう外は暗くなり始めているというのに・・・・・・」
心配そうな表情を浮かべる総司に、近藤は先刻見たあかねの後ろ姿を思い出していた。
そんな2人の元に駆け込んできたのは、真っ青な顔をした斉藤一だった。
「きょ、局長っっっ!!」
「!?斉藤くん?・・・・・・どうしたんだい!?」
斉藤のいつもとは違う雰囲気に、近藤は嫌な汗が流れるのを感じていた。
「こ、これをっ!!」
そう言って斉藤が差し出したのは文らしきもの。
と、なぜか味噌。
それはあかねが買いにいったはずの物。
それを目にした近藤の顔が一瞬で青ざめる。
新撰組局長 近藤勇殿
駒野は我が手にある
返して欲しくば、ひとり朱雀村の廃寺まで来られたし
下手な真似をすれば駒野の命は無い
その文に同じく目を通していた総司は、既に怒りに身体を震わせている。
それを感じ取りながらも、近藤の脳裏には最後に見たあかねの姿が浮かぶ。
「総司・・・・・・落ち着きなさい。ここはわたしがひとりで行く」
「で、でもっ!!」
「いや、あかねくんの安全を考えれば・・・・・・そうするしかない。大丈夫、彼女は必ず助ける・・・・・・だから」
「先生・・・・・・」
近藤の真剣な眼差しに総司は反論することが出来なかった。
あかねを駒野と呼ぶということは、少なくとも桂小五郎に繋がるということ。
つまり相手は長州者だ。
過激な連中が多いのがわかっているだけに、下手に刺激するわけにはいかない。
それに。
あかねが簡単に囚われてしまったということは、相手は相当の人数がいるか・・・・・・それともかなりの使い手がいるか・・・・・・。
最悪の場合。
あかねが動ける状況ではないことも考えられる。
近藤は思考を巡らせながら天を仰ぐと、静かに目を閉じた。
瞼の裏に映るのは、最後に見たあかねの姿。
(頼む・・・・・無事でいてくれ・・・・・・)
「ゴホッ、ゴホッ・・・・・・・」
廃寺に連れてこられたあかねは、時折苦しそうに咳き込みながらも辺りの様子を伺っていた。
両手を縛られてはいたが、この程度なら簡単に解くことが出来る。
そう思いながらも倒れ込んだ身体を起こす事はなかった。
いや、起き上がることが出来なかったのだ。
先ほど抵抗するために動いたせいで、身体は鉛のように重く感じられ思うように動いてはくれない。
(こんなところで捕まってる場合じゃ・・・・・・局長に迷惑をかけるわけにはいかないのに・・・・・・)
不甲斐ない自分の身体に苛立ちながらも、この状況でどうやって逃げるかを必死で考え続けながら外にいる浪人の話に聞き耳を立てていた。
「これで近藤を始末すれば、桂先生も喜んでくださる」
「そうだ、俺たちでも桂先生のお役に立てるんだ」
「先生には?」
「先ほど使いをやった」
外から聞こえる声は全部で4人。
使いに行った者が戻れば5人になる。
しかも桂小五郎の名まである。
(これは桂さんの差し金?・・・・・・まさか・・・・・でも駒野という名を知る者は数少ないはず・・・・・でも・・・・・)
会話を聞いていたあかねは、桂の名を聞いて驚きに目を見開いていた。
桂小五郎がこのような卑怯な手を使うとは思えない。
だが外にいる男たちが桂の名を口にしていることは確かだ。
それに三本木で会った頃と今では、状況は違いすぎる。
京を追われた長州が、幕府や会津藩そして新撰組を恨むのも当然なのかもしれない。
だとしたら。
桂が計画したのだとすれば。
狙いは近藤の首ただひとつ。
(桂さんを信じたい・・・・・・でも、局長を亡き者にしようと企んでいるのなら・・・・・・敵でしかない・・・・・・たとえ刺し違えてでも、局長は私が護るっ!!)
あかねは強く唇を噛み締めながら、どうするべきかを朦朧とし始めた頭で必死に考え続けていた。