第六十一話
このとき。
その場にいた土方は自分の耳を疑った。
そしてそれは。
当の本人である山南もまた、同じだった。
「じょ、冗談!?・・・・・だよなっ!?もっとちゃんと診てくれっ、そんな筈はないだろっ!?なっ!?先生っ!!」
「いいえ・・・・・・事実です・・・・・・」
「頼むっ!!嘘だと言ってくれっ!!先生っ!!」
掴みかかる土方に動じることなく。
その医者は毅然とした態度と言葉を貫く。
『もう二度と剣を持つことは出来ません』
山南の負傷した左腕を診た医者はそうハッキリと言い切る。
少しの躊躇もなく。
淡い期待も抱かせないように、と。
それが医者として出来る優しさと信じて。
― 大坂 蘭方医 田上良庵診療所 ―
「その刀傷は腕を動かすのに大切な筋を斬っています。一度切れてしまったものを繋げることは・・・・・・今の医学では出来ません。酷なことを言うようですが・・・・・・刀を握ることは・・・・・・無理だと考えて下さい」
「そ、んな・・・・・・」
医者の言葉を聞きながら、土方は軽いめまいを感じていた。
「ただ、全く動かないわけではありません。日常生活にはそんなに支障はないでしょう・・・・・ただ重いものを持つことは無理だということ忘れないでください。酷使すれば、全く動かなくなる可能性もあります」
淡々と話す医者に土方は声を荒げる。
「俺たちは侍だぞっ!?刀を握るのが仕事なんだっ!!」
「ならば・・・・・・無理にでも刀を握り戦場に出ますか?出るのは勝手です・・・・・ですが・・・・・・その動かない腕で刀を握ったところで今までのように剣は振るえない。そんな身で戦場に出ればどうなるか・・・・・・結果がわからないわけではないでしょう?」
それは明らかに死を連想させる言葉。
死ぬと知りながら行かせるつもりか?とでも言いたげな田上良庵の言葉に土方は固まる。
「もう・・・・・・いいですよ、土方くん。これも、天命なのでしょう」
土方とは正反対に、山南の声はやけに落ち着いていた。
まるで全てを受け入れたとでも言うかのように。
「山南さん・・・・・・」
「たとえ刀が握れなくても・・・・・・わたしは侍です。剣を捨てても志しまで捨てるつもりはありません・・・・・・だから、そんな顔しないでください」
見れば土方の顔は今にも泣き出してしまいそうで。
刀を失った山南以上に事の重大さに押し潰されてしまいそうになっていた。
その表情に滲むのは後悔と苦渋の色。
誰の目にも、土方が己を責めているのがヒシヒシと伝わる。
「すまないっ!!俺は無力だ。なにより大馬鹿者だ。俺を責めてくれ、お前のせいだと責めてくれっ!!」
頭をこれでもかというぐらいに深く下げる土方の肩に、山南の暖かい手が置かれた。
「わたしは武士です。この手に刀を握ったときに死ぬ覚悟はしていました。剣客としてのわたしは死にましたが、ただの男になったわたしは幸いにも生きています。それに・・・・・・わたしたちは斬る覚悟も斬られる覚悟もした上で刀を握っていたはずですよ?だから君が責任を感じる必要はない・・・・・・命あっての物種と言うでしょう?それとも、刀を握れなくなったわたしはもう必要ありませんか?」
ふふっと笑みを浮かべ土方の顔を覗き込む山南。
「ま、まさかっっ!?」
「なら、顔を上げてください。大丈夫、剣などなくても立派に新撰組の隊士として働けるということ・・・・・・証明してみせますから」
顔を上げた土方の目に入ったのは、笑顔を見せる山南の姿だった。
「それにたとえ罠だとわかっていても・・・・・・そこに敵がいるのなら刀を抜くのは当然のこと・・・・・・君がわたしの立場だったとしても迷うことなく踏み込んだ筈です。もしも踏み込まなければ、それは士道不覚悟・・・・・・つまりは切腹。副長であるわたしに士道不覚悟の名目で腹を斬らせるつもりですか?」
「そ、そんなつもりはっ!?」
「でしょう?なら、やはりこれは天命。避けることの出来ない運命なのでしょう。ならばわたしはその運命に従い自分の道を見つけます・・・・・・もちろん手を貸してくれますよね?」
「あぁ、もちろん・・・・・・」
「その言葉を聞いて安心しました・・・・・・さすがは相棒、ですね?」
「・・・・・・俺に出来る限りのことをする、あんたは何も心配しなくていい。ただその怪我を治すことだけ考えてくれれば・・・・・・それだけでいい」
強く唇を噛み締めながらも真っ直ぐな瞳を見せる土方に、山南は満足そうに笑った。
「ありがとう、土方くん」
2人の様子を黙って見ていた田上良庵は、初めて目の当たりにする新撰組という狼の人間らしい姿に目尻を下げていた。
狼だの人斬りだのと世間で言われている彼らも、自分たちと何も変わらない。
泣いたり喚いたり・・・・・・笑ったり・・・・・・どこにでもいる普通の男たちだ。
そこに幕府も長州もない。
そしてそんな彼らが最も幕府に忠誠を誓い、幕府のために働いている。
幕臣が頼りにならないと陰で言われている今だからこそ、彼らは存在しているのだろう。
幕府にとっては都合のいい捨て駒。
状況が変わればあっさりと切り捨てられる。
それを知っているからこそ、彼らは今を精一杯生きている。
眩しいほどの輝きを放ち。
共に歩む仲間を信じて。
2人の姿を見ながら田上もまた彼らの真の姿に魅入られていた。
せめて彼らが大坂に滞在している間は医者として出来る限りのことをしよう、と。
自分に出来るのはそれぐらいしかないが・・・・・・。
それでも彼らの力になりたい。
診療所に山南を残し、定宿である京屋へと戻った土方を待ち受けていたのは永倉たちの質問攻めだった。
先に戻った隊士から話しを聞いたのだろう。
山南の容態を心配する皆の質問を受けながら、土方は結局最後まで本当のことを告げようとはしなかった。
山南の腕がもう刀を握れないこと。
二度と剣士山南敬介の有志を見ることは出来ないこと。
それが名誉の負傷だとしても。
ひとりの剣士を失ったことには変わらない。
そしてそれは。
山南の願いでもあった。
「まだ皆には言わないでほしい」
皆に心配をかけたくないという山南の精一杯の優しさ。
自分が一番辛いはずのこんな時でも。
まわりのことを思う山南の優しさに、土方は頭が下がる思いだった。
ならば自分も山南に心配をかけないように任務を遂行することに専念しよう。
山南がここに戻ってきたときに安心出来るように。
土方はそう強く自分に誓いを立てていた。
この大坂での一件。
山南の負傷を聞いた会津藩主松平容保公からは、見舞金を贈られるのだが後世に詳しい話が残されていない。
これは土方が多くを語らなかったせいもあるが、尊攘派浪士の方に生存者がいなかったことも大きな要因と思われる。
だがこのことが山南の運命を変えてしまったのもまた事実であり、避けることの出来ない運命だったのかもしれない。
それこそ。
山南の言う、天命というものなのかもしれない。
ただ運命の歯車はここから少しずつ狂い始め・・・・・そう遠くはない未来に非情なほど冷酷な結末を用意していた。
それはまだ。
もう少し先の話である。