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第五十六話

 文久3年 11月初旬


 寒さが日に日に増してゆく京都。

 その西に位置する壬生と呼ばれる場所に新撰組屯所がある。


 その頂点ともいうべき局長を務めている近藤勇。

 いつもは穏やかな顔をしている近藤だったが、この日に限っては硬い表情を浮かべ額にはうっすらと汗を浮かべている。

 自分の居室にいるというのに、居心地が悪そうな顔をしているのには・・・・・もちろん訳がある。



 数分前。

 部屋にいた近藤の元を訪ねてきたのは、新撰組という男所帯に咲く一輪の花ともいうべき存在。

 そして、つい最近。

 近藤自身が自分の想いに気づいたばかりの愛しい相手。あかね。


 普通なら彼女の来訪を喜ぶべきなのだろうが・・・・・・先日、つい抱きしめてしまったという恥ずかしさと後ろめたさがあるのも事実だ。

 あのあと、あかねが何も言わなかったので何事もなかったように接してきたのだが。

 内心、いつそのことを言われるかとヒヤヒヤしていたのもまた事実だ。


 そして、今日のあかねの来訪。

 来るべきときが来た、と近藤が思ったのも当然といえば当然だろう。

 しかも今日のあかねの表情は硬く、どこか怒っているようにも見える。

 近藤はザワザワと自分の心が揺らめくのを感じていた。



 もし、聞かれたらなんと答えよう?

 自分が(いだ)くこの気持ちを告げるべきだろうか?


 だが、祝言を控えた彼女に気持ちを告げたところで迷惑なだけではないか?

 このまま何も言わずに祝うのが、武士(おとこ)ではないのか?

 まして自分は江戸に妻子のある身だ。

 その自分が彼女に何を言える?



 あかねを部屋に迎え入れ、向かい合って座りながら近藤の思考はグルグルと自問自答を繰り返す。



 「局長・・・・・・先日の・・・・・・」

 あかねが言葉を発した途端。

 近藤の心臓はドキンッと跳ね上がった。


 (き、きた・・・・・・やっぱり、そのことか・・・・・・ど、ど、どうする!?)

 「・・・・・あの、あれは・・・・・どういう意味ですか?」

 視線を合わせたあかねの瞳は、心なしか潤んでいるように近藤の目には映った。


 (・・・・・・ど、どう答える!?)

 動揺したまま答えるべき言葉を必死に捜す近藤。

 それに構うことなくあかねは言葉を続ける。


 「どうしても気になってしまって・・・・・・」

 「あぁ・・・・・・えぇっと・・・・・・」

 少し上目遣いになりながら、自分を見つめるあかねの姿に近藤は身体が熱くなるのを感じた。


 いっそ、伝えてしまおうか?

 この胸に秘めた想い・・・・・・。

 いっそ自分のものにしてしまえば・・・・・・。


 そんな身勝手とも言うべき考えまで沸き起こってしまう。



 「あの・・・・・局長?」

 「わ、わたしは・・・・・・」

 決意を固めたように顔を上げる近藤。

 そんな近藤の言葉を遮るようにして、あかねは一気に言葉をぶつけた。


 「兄さまには・・・・・・想う方でもいらっしゃるのでしょうか?」

 「・・・・・・は、はぁ!?」

 近藤の口から漏れたのはこの場に似つかわしくないほど素っ頓狂な声。


 一気に真っ白になる頭。

 決意を固めた近藤の言葉は、そのまま空中に解けて消えた。

 まるで、シャボン玉のように・・・・・・。



 「だって先日・・・・・局長が・・・・・・兄さまの私に対する感情は妹と知るからこそだって・・・・・・」

 「・・・・・・」


 あかねの言葉に全身の力が抜ける。

 (なんだ・・・・・・そっちか・・・・・・)

 もう少しで早まるところだった。と内心ホッとしながらも、何故か近藤の気持ちは沈んでしまう。


 あかねの関心は自分が抱きしめたことより、総司のことだった。

 それは寂しいというより、悲しいという方が正しいだろうか?

 結局、あかねの中での一番はどこまでいっても総司なのだ。

 それを改めて思い知らされた気がした。


 近藤にとっての恋敵は、祝言を挙げる相手などではなく。

 実の兄である総司。

 総司以上の存在になど、果たしてなれるのだろうか?


 それは姿の見えない相手と対峙するのに等しいほど、勝ち目のない戦いにも思え・・・・・厄介な相手に惚れたものだと近藤は溜息を吐いた。

 だからといって一度芽生えた想いは止められない。

 止めるどころか日に日に増していくばかりだ。


 


 「局長?」

 ひとり思考の中に浸っていた近藤を呼び戻したのは、あかねの声だった。

 視線を向けると、不思議そうに首を傾げている。


 「・・・・・・あぁ、すまない・・・・・・総司のことだったね?」

 首を傾げるあかねの仕草が、たまらなく愛しく見える。

 「はい」


 大きな目をクルクルさせ近藤の言葉を待つあかね。

 その表情を見ながら、近藤は話すべきかどうか躊躇(ちゅうちょ)していた。

 あかねの問いの答えを自分が持っているのは確かだ。

 だが、それがあかねを悲しませることも確かなのだ。


 言うべきか、言わざるべきか・・・・・・。

 けれど、いずれ知る日が来るかもしれない。

 自分が話さなくても、他から聞くことになるかもしれない。

 遅かれ早かれ知る日が来るのなら・・・・・・。


 近藤は大きく深呼吸をすると、真っ直ぐにあかねと視線を合わせた。

 「・・・・・・総司は昔・・・・・目の前で女子(おなご)に自害されたことがあってね・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・えっ?」

 「いや、正確に言うと彼女は死ななかったのだから自害とは言わないのかもしれないが・・・・・・でもそれ以来、総司は女子(おなご)というものを避けるようになったんだ」


 近藤の口から語られる想像もしなかった総司の過去。

 あかねは驚きに目を見開いていた。


 「・・・・・・あの、その方はどうして兄さまの目の前でそのようなことを?」

 「惚れていたんだ・・・・・・総司に。気の強い女子(おなご)でね・・・・・自分の意見をハッキリ口にする娘だった。で、総司に夫婦(めおと)になって欲しいと・・・・・でも総司の方は好意を抱いていたとはいえそれは恋心と呼べるものではなかった」

 「・・・・・・」



 「当時の総司は剣術のことで頭がいっぱいで、女子(おなご)に興味を示さなかった。まぁ、今もそうなんだが・・・・・・歳のわりに幼かったからね。でも彼女とは気が合ったらしく、2人は親しかったんだ。とてもね・・・・・・彼女が総司に恋心を抱くのに時間は掛からなかった」

 あかねの顔色は話が進むにつれ青ざめていく。

 それに気づきながらも、近藤は言葉を続けていく。


 「だから・・・・・彼女はいつまでも煮え切らない総司に(しび)れを切らし、妻にして欲しいと詰め寄った・・・・・・当然総司は・・・・・・」

 そこまで話して、近藤は言葉に詰まる。

 あかねがポロポロと涙を(こぼ)しているのが目に入ったからだ。


 その泣き顔があまりに切なくて近藤の胸は締め付けられ、無意識のうちに手を伸ばしていた。

 でも、それはあかねの言葉によって止められた。


 「気にせず・・・・・・お話、続けてください・・・・・・グスッ」

 自分の手の甲で涙を拭いながら鼻を啜るあかねの姿はイジらしく見え、近藤は(たま)らず視線を逸らす。


 「あ、あぁ・・・・・・彼女はその時初めて知ったんだ。総司にとって自分は女ではなかった、ということを・・・・・・自分の勝手な思い込みだったということを・・・・・・思い詰めた彼女は・・・・・・そのまま総司の目の前で喉元を切り裂いた・・・・・・幸い急所を外れていた為、命を落とさずには済んだが・・・・・・総司の受けた衝撃は測り知れないほど大きく・・・・・・それ以来、女子(おなご)というもの全てを拒絶するようになってしまった」


 話し終えた近藤の顔は、当時を思い出したのか苦しそうに歪む。


 「だから・・・・・・私には・・・・・・」

 止め処なく流れ落ちる涙を拭う余裕すらないあかねの声は、悲しみに震えていた。


 「そう。君は妹だから恋慕の情を抱くことはないからね。唯一、安心して傍にいれる・・・・・・心を許せる存在というわけだ」

 そっとあかねの頬に流れる涙をすくう近藤の指もまた、震えていた。


 その指に絡まるあかねの涙はとても温かく、とても優しく。

 それはあかねの心に触れているような錯覚に囚われ、彼女の涙の全てを自分が包み込みたいとさえ願うほど近藤の気持ちは止められなくなっていた。



 「局長・・・・・・・」

 (かす)れるようなあかねの声に、近藤の胸はドキンっと大きく打ち付ける。


 「・・・・・・女子(おなご)というものは・・・・・・何故、好きな殿方のために命を絶てるのですか?」

 「えっ?」

 「・・・・・・あぐりさんも・・・・・お梅さんも・・・・・・好きな殿方のために死を選ばれました・・・・・・どうしてですか?・・・・・・私には理解出来ないのです」

 「・・・・・・」

 涙ながらに話すあかねの声は途切れながらも言葉を繋いでいく。


 「私は幼い頃より『自分の命は主君を護るために使え』と教えられてきました・・・・・・なのにおふたりは主君でもない方のために自害された・・・・・・それが人を愛するということなのですか?」

 「・・・・・・」

 あかねの言葉を聞きながら、近藤は答えることが出来なかった。


 愛する者のために命を懸ける・・・・・・。

 確かにそれもひとつの愛の形だろう。

 だが、それだけではない。

 愛する者を護るために生きる。

 みっともないと言われようと生きることで愛を貫くものもいる。


 どちらが正しいわけでも、間違っているわけでもない。

 ただ。

 愛には十人十色のかたちがあるだけのことだ。


 「君は誰のために命を懸けているんだい?・・・・・・総司のため?」

 「・・・・・・私が命を懸けるのは・・・・・・主君、と決めたお方の(つるぎ)となり盾となるがため・・・・・・今は局長をお護りすることが、新撰組を護ることに(つな)がると信じています」


 ハッキリとした口調で真っ直ぐに近藤を見据えるあかねの瞳には、一片の迷いも見られなかった。

 近藤はその瞳に吸い込まれてしまいそうな錯覚に(おちい)りながらも、何度もあかねの言葉を心で繰り返す。


 『主君』


 あかねにとっての近藤は主君以上でも以下でもない。

 言いかえれば、主君でなくなれば傍にいることはなくなるということだろう。

 主君でいる限り、あかねは傍にいる。


 だが、それ以上の存在になることは無いのだ。

 少なくとも、あかねの中ではそれが至極当然なことなのだろう。

 愛だの、恋だの、そんな感情を持つことは無い。


 近藤の耳にはそう聞こえたような気がしていた。

 それは想いを伝える前に拒絶されたも同じに思え、近藤の胸は押し潰されそうなほどの痛みに襲われていた。

 あかねの示す『主君』が、自分以外にいるとは気づかないままで・・・。


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