第五十五話
文久3年 10月末日
会津藩からもたらされたのは年明け早々に決まった将軍上洛に合わせ、大坂の治安回復を命ずるものだった。
それに先立ち。11月には一橋慶喜が大坂城に入城することも決まり、それに伴い新撰組も大坂へ向かうことを命ぜられたのだ。
それを知らされた鬼の副長コト土方歳三は頭を抱えることになる。
近藤勇を局長とした今の新体制になってまだ日も浅く、局長を大坂に向かわせるのは気が進まない。
かと言って、会津藩からの直々の命令を軽んじるわけにもいかない。
大坂に派遣する人材選びを間違えれば、会津の信頼を失うことにもなりかねないのだ。
「ならば、我ら副長が2人出向くしかありませんね?」
「やはり、山南さんもそう思うか?」
「えぇ。少数精鋭という形を取れば問題ないでしょう。副長助勤も数名連れ、あとは腕の立つ隊士を選ぶのが一番良いかと・・・・・・」
ここ数日。
大坂行きの人材選出を共に考えてくれたのは、同じ副長を務める山南だ。
「この男、やはり頼りになる」と土方は内心思っていた。
「なら、永倉に原田あたりが妥当だな?」
「そうですね。それで幹部が4人、あとは隊士から5、6人連れて行けば充分でしょう。何日かかるかわからない以上、京の人数をあまり減らすわけにもいきませんし・・・・・・」
「まぁ、近藤さんの傍に総司と斉藤、それに藤堂を残しておけば大丈夫だろう・・・・・・それに、相談役として源さんもいることだ。大抵のことは乗り切れるだろ?」
「えぇ。斉藤くんはなかなか頼りになりますし」
それに、あかねもいる。
それが土方にとっては何よりも心強いことだった。
その夜。
土方に呼ばれたあかねは下坂の話を聞かされていた。
「大坂・・・・・・ですか?」
「あぁ、公方様ご上洛前に慶喜公が大坂城に入城される運びとなったんでな。それに合わせて下坂せよとのお達しだ。それで俺と山南さんで出向くことにした」
「上洛・・・・・・」
あかねはその言葉を繰り返すように呟くと、黙りこくる。
「?・・・・・・あぁ、そうか。お前の祝言もその頃に予定されていたな?どうだ、腹は決まったか?」
「えぇ・・・・・まぁ・・・・・・」
「なんだ、お前にしちゃぁ歯切れの悪い答えじゃねぇか?」
「あ、すみません・・・・・・ただ、私の気持ちは固まったのですが・・・・・・」
「総司のことか?」
「いえ、そういうわけでは・・・・・・・」
「?・・・・・・まぁ、いい。お前が自分で決めて出した答えなら、誰も文句はねぇさ」
「・・・・・・・」
「まぁ、いい。お前には俺の留守の間のことを頼みたい」
「局長のことは命に代えてもお守りいたします」
いつもと同じ凛とした空気を纏い答えるあかね。
だが、土方はそれを見ながら複雑な心境に駆られていた。
「・・・・・・お前、無理してないか?」
「は?」
「先日の一件、近藤さんから聞いた・・・・・・俺はお前を人斬りにしたいわけじゃねぇぞ?」
土方の言葉にあかねの表情が一瞬曇る。
「・・・・・・はい。あの時は天子様を侮辱された気がして・・・・・・気がついたら刀を抜いていました。でも、もう大丈夫です」
顔を上げて答えたあかねの瞳に嘘はなかった。
「・・・・・・ずっと思っていたんだが・・・・・・お前の里親は朝廷に仕えていると言っていたな?・・・・・・お前自身もそうだったのか?」
「!!・・・・・・隠す事ではないので申し上げますが、副長のご推察通り・・・・・・私が以前、御所務めをしていたのは本当です」
「やはり、そうか・・・・・・では、天子様に会ったことも?」
想像通りだったのだろう。
土方の表情に驚きの色は見られなかった。
「・・・・・・はい。詳しく申し上げれば、天子様の御妹君和宮内親王さまのお傍に仕えておりました」
なんでもないことのようにサラリと言ってのけるあかねの言葉に、土方の目が驚きに見開かれていく。
「な、なにっ!?」
「宮様が江戸へ御輿入れの際、私も江戸へと付き従いお世話をさせて頂いていました」
「宮様・・・・・・!?って御台所のっ!?」
「はい」
思いがけない人物の名に、土方はこれ以上もないぐらい動揺していた。
御所務めの忍びならば、一度くらい顔を合わせたことぐらいあるだろうと予想はしていたがまさかそんな重要任務に就いていたなど思ってもみなかった。
なにしろ相手は雲の上の存在だ。
土方が驚くのも無理はない。
「お、おまっ、それっ!?」
「何故宮様の元を離れてまで、ここに来たのか?と言われるのなら、答えはご存知の筈」
「い、いやっ、しかしっ!?」
「そんな簡単に任務を放棄したのか?とお聞きになられるのなら・・・・・・答えは宮様の恩情としか・・・・・・」
「恩情?」
「宮様は兄上様であらせられる天子様を深く敬愛されていました。わたしに生き別れの兄がいるとお知りになられたときも、今回その兄が京にいるとお知りになられたときも、自分のことのようにお心を痛めて下さり・・・・・・兄さまに会いに行けとお命じになられたのです。兄を慕う気持ちを一番わかっているのは自分だと申され・・・・・・」
「・・・・・・・」
「それでも私は宮様のお傍に置いて下さるよう願い出たのですが・・・・・・京に戻り天子様の御為に働けと・・・・・・天子様の御為と言われれば、私が従わざるを得ないと宮様は思われたのでしょう。それで・・・・・・」
「京に、来た・・・・・・」
「はい。もし兄さまとの再会が果たせなければ、宮様のお傍に戻るつもりでここの門を叩きました」
あかねの話を聞き終えた土方は、愛用している煙管を取り出すと口にくわえた。
それは動揺を隠す為だったのか、それとも気を落ち着かせる為だったのか・・・・・・とにかく煙管に火を点け大きく煙を吸い込む。
「・・・・・・後悔はねぇか?」
「は?」
「将軍御台所の傍に居れば、それなりの暮らしは約束されていただろう?」
「・・・・・・では、副長は後悔されていますか?」
「はぁ!?俺っ!?」
「はい。浪士隊に参加などせず、試衛館の食客として暮らしていれば少なくとも命の危険はなかった・・・・・・それに比べ今は・・・・・・明日をも知れぬ身の上・・・・・・後悔してもおかしくはないでしょう?」
「馬鹿言えっ!俺は後悔など微塵もっ!・・・・・・・あぁ、そうか・・・・・・」
「はい。私も同じです」
何もせず、ただ生きながらえることより。
大切なものを護るため。
その為に自ら望んだ道。
だから今ここにいる。
「だから後悔はありません。むしろあのまま江戸にいたほうが、後悔したでしょう。それに・・・・・・あの時背中を押してくださった宮様の為にも、私は幕府を天皇家をお守りする・・・・・・それが、今の私に出来る唯一の恩返しと信じています」
強い眼差しと共に見せた笑顔。
その笑顔の裏側に秘められた決意。
彼女の強さの理由。
この時土方は初めてそれに触れた気がしていた。
あかねが時折みせる凛とした空気も。
大切なものを護るために躊躇することなく抜く剣も。
あかねと自分とでは見てきた世界が違いすぎる。
片田舎で燻ぶっていた自分と。
幼い時より天皇家の為に生きてきたあかねと。
根本から違うのだ。
背負っているものも。
触れてきたものも。
その瞳に映してきた景色さえも。
違いすぎる。
今の自分はあかねの隣にすら立ってはいない。
早く追いつきたい。
いや、追いつかなければならない。
彼女の持つ真の強さに。
誠の魂に。
そこにあるのは確かに、士道。
女子の身でありながらも、そこには確かに士道と呼ぶべき道が示されていた。