第四十八話
静まり返った部屋に降り続く雨の音だけが響き渡る。
厚い雲に覆われ月明かりもなく。
ただ静寂だけがあかねと総司を包み込んでいた。
総司はゆっくりと動かなくなった2人の元へと歩み寄り、その場に静かに正座すると深々と頭を下げた。
「芹沢先生の御最期、確かに沖田総司が見届けました・・・・・武士らしい立派な御最期にございました」
その後ろには同じように、正座し頭を下げるあかねの姿。
丁度その時。
部屋に踏み込んだ土方、山南、原田の3人は部屋の中の状況を理解出来ず、茫然としたまま廊下に立ち尽くし絶句していた。
折り重なるように倒れている芹沢とお梅の姿。
そして頭を下げたまま微動だにしない総司とあかね。
ひと目見ただけで全てを理解しろ、と言う方が無理だ。
「ど、どういうことだ・・・・・・これは・・・・・・」
暫く沈黙が続いた後。
土方の問いかけに答えたのは総司だった。
「芹沢先生は自らの過ちを、自らの命を以って償われたのです」
「せ、切腹した・・・・・というのか?」
「わたしとあかねさんが見届けました。立派な御最期でした・・・・・・」
総司は顔を上げてもなお、土方に背中を向けたまま答えていた。
「女は?女も自害したというのか?」
「はい。芹沢先生の後を追われました」
「・・・・・・」
総司の隣で足を止めた土方は、涙を流す総司に気づき言葉に詰まる。
見れば、俯いたままのあかねの頬も濡れている。
土方はひとつ溜息を吐くと「わかった」と短く答え、それ以上何も聞く事なく部屋を出て行く。
「ごめんなさい、土方さん・・・・・・今夜はまだ・・・・・・言葉がみつかりません・・・・・」
消え入りそうな総司の呟きを聞いた山南と原田は、互いに顔を見合わせ土方の背中を追うように部屋を後にする。
翌日。
あかねの部屋には土方の姿があった。
総司が巡察に出たのを見計らって訪れたのだ。
そんな土方にあかねも隠すことなく全てを話した。
武士として最期に芹沢が出した答え。
そして武士らしい最期。
何も隠す必要はない。
恥じる事のない立派な最期だ。
土方はあかねの話に耳を傾けながら、芹沢の迎えた最期に思いを馳せるかのように天井を仰いでいた。
「そうか・・・・・・芹沢さんは勘付いていたのか・・・・・・最期まで、あの人には敵わねぇな。結局俺はあの人を越せなかったってことか・・・・・・」
そう言って笑った土方の顔が淋しそうに見えて、あかねは掛ける言葉が見つからなかった。
土方たちが八木邸に踏み込んだとき。
副長助勤の1人である平山五郎だけが刀を手に向かってきた。
もう1人、隣の部屋に居た平間重助は平山の声を聞き裏から逃げたという。
それは2人が連れ帰っていた馴染みの芸妓たちも同じだった。
今朝から隊士たちを動員させ探索にあたらせているが、誰ひとりとして見つかってはいない。
全てを聞き終えた土方は、今回のことを総司が気づいていたという事実にも驚いていた。
あれほど気をつけていたというのに、総司は感じ取っていたのだ。
つまりはこの先、総司を抜きに事を進めるのは無理だということだろう。
それはあかねの気持ちに反することだ。
それを考えると土方の心はチクリと痛みを覚える。
「私は兄さまに人斬りにはなって欲しくないと思っていますが、兄さまの士道を穢すつもりもありません。兄さまが護りたいものの為に剣を抜くことを、止めるつもりはありませんよ?」
自分の心を見透かすようなあかねの言葉に、土方は思わず顔をあげ食い入るようにあかねの顔を見つめる。
「兄さまが護りたいと思うものを私も護る。兄さまが士道を通すために抜く刀なら、私は最期まで見届けます・・・・・・それが私の忍道です」
変わらない真っ直ぐな瞳に映るのは、強い決意。
気を抜けば吸い込まれてしまいそうなほど真っ直ぐな瞳。
土方はそれを見つめながら、素直に綺麗だと思っていた。
これほど澄んだ瞳が持てるのは、心に迷いがない証拠だろうとさえ思え少し笑みが零れる。
「忍道?」
「はい。武士が士道なら・・・・・・忍びは忍道。私は自分の忍道に従うだけですから」
そう言って笑ったあかねの顔は幸せそうに輝き、土方は眩しそうに目を細めた。
女にしておくのは勿体ないと思えるほどの志し。
もしあかねが男だったら、間違いなくこの新撰組の幹部にしていたことだろう。
いや、今でも充分一員として扱っているのだが・・・・・・。
数日後。
芹沢の葬儀は盛大に行なわれ、隊士たちは突然の訃報に涙していた。
芹沢の死は様々な憶測を呼んだが、その真相が明かされることはついに無かった。
そして平穏な日常に戻り始めていた近藤の元に、会津藩からの呼び出しがかかったのは9月25日のことだった。
松平容保公によると、朝廷は新撰組の存在を認めると共に先月の働きに対する褒美を与えるとの知らせがあったのだという。
これは新撰組が、名実と共に朝廷からも認められる存在になったということを示していた。
文久3年 9月25日 夕刻
島原 「角屋」
「こんな風にお前たちと飲みに来るのは初めてじゃねぇか?」
「そうでしたね。前々から永倉先生とはゆっくり酒を酌み交わしたいと思っていたのですよ?やっと念願が叶って嬉しく思っています」
そう言って徳利を片手に酌をしようとする越後三郎を、永倉新八は手を差し出して止める。
「すまねぇ。飲みてぇのはヤマヤマなんだが、この後局長に呼ばれてるんだ。さすがに酔っ払って行く訳にはいかねぇからな?」
「そうなのですか?・・・・・・でも、まぁ一杯ぐらいなら?」
永倉の隣に座った松井竜三郎が、笑みを浮かべて永倉に杯を手渡すと永倉は渋りながらも受け取っていた。
「あ、あぁ・・・・・・ま、一杯ぐれぇなら・・・・・・・」
仕方ねぇな、と言いつつも酒好きの永倉は美味しそうに酒を飲み干す。
「あーウメぇなぁ、オィ。あ、俺に構わずお前たちはジャンジャン飲んでくれよ?ここは俺の奢りだからな?」
「あ、はい。ありがとうございます」
御倉伊勢武は少し居心地悪そうな笑みを浮かべながら、手にした杯を口元へと運んだ。
「それで?俺になんか話しがあったんじゃねぇのか?」
手に持っていた杯を少し名残惜しそうに見つめながらも膳の上へと戻した永倉が、正面に座る荒木田左馬之介に視線を移した。
「あ、はい・・・・・・・それなんですが・・・・・・・」
言い難そうな表情を浮かべながらも、隣にいる松永主計へ助けを求めるような視線を移す。
「なんだ?・・・・・・そんなに言い辛れぇことかぁ?」
5人の様子に永倉は少し表情を強張らせていた。
この日。
巡察から戻った永倉に声を掛けたのは御倉伊勢武だった。
「相談したいことがある」と言われれば、面倒見の良い永倉が断れる筈はない。
結局。
誘われるままに島原まで足を運んだ、というわけだ。
とはいえ。
前々からこの5人が長州の間者だということは、永倉の耳にも届いていた。
自分をひとり呼び出したということは、暗殺を目論んでのことか・・・・・・それとも懐柔しようとしているのか・・・・・・。
恐らくは前者だろう。
それは5人が時折放つ殺気が物語っている。
(しっかし、こいつら・・・・・・暗殺にはゼンゼン向かねぇな・・・・・・だが、5人相手じゃぁさすがに分が悪りぃな・・・・・・どぉすっかなぁ・・・・・ハァ・・・・・)
永倉は気づかれないように小さく溜息を吐くと、自分の両側に座る越後と松井の動向に気を配っていた。
幸か不幸かこの場にいる者は誰も大刀を持っていない。
皆、店に入った時に預けたのだ。
もちろん永倉自身もだが・・・・・・。
それが茶屋での規則だ。
(初めに動くとしたら・・・・・・両側に居る2人のどちらかだろうな。正面の荒木田からじゃ脇差は届かねぇだろうし・・・・・・ま、一番危ないのは帰り道だろうが・・・・・・だからといって気を抜く訳にもいかねぇな・・・・・・)
と、そこまで考えを巡らせたところで・・・・・・・。
ふと、疑問が浮かんだ。
・・・・・・・・・・・。
って言うか・・・・・・。
なんで、オレ!?
普通こういう場合、大将の首狙うもんじゃねぇの?
もしくは、副長とかさぁ。
なんでオレ!?
副長助勤なら他にもいるだろぉが・・・・・・。
例えば総司とか?
そうだ・・・・・・総司が狙われるならともかく・・・・・・。
なんでオレなワケ!?
あ、アレか!?
総司には勝てる気がしねぇが、オレになら勝てそうってコト!?
・・・・・・ナメられてんの?
あー、チクショウ。
気分悪りぃなぁ。
けど、どうするよ?
5人が束になって来たら幾らなんでもマズいぞ。
ぁんだよ、ちくしょう・・・・・・・。
そりゃぁよぉ・・・・・・。
1人を数人がかりで仕留めるってぇのは新撰組のやり方として確かにこいつらにも教えたぜ?
けどよぉ、ここでその流儀を使うかぁ!?
長州の間者のくせに、こんな時だけ新撰組流を通さなくてもいいんじゃねぇの?
って・・・・・・。
もしかしてオレ・・・・・・・。
本気でヤバくねぇ?
どうすんの?オレ。
っていうかどうなんの?オレ?
独り自問自答をしながら、永倉は背中に嫌な汗が流れるのを感じていた。