第四十六話
文久3年 9月16日
昼間の喧騒とは打って変わって、静けさに包まれた新撰組屯所。
夕刻から振り出した雨は少しずつ激しさを増しはじめていた。
総司たち新撰組隊士は全員、島原の「角屋」へ出かけていて八木家の人間以外屯所に残っているのはあかねとお梅の二人だけだった。
「よぉ降りますなぁ」
お梅は窓を少しだけ開けて、そこから外の様子を覗いていた。
そんなお梅に、あかねは真剣な眼差しを向ける。
「お梅さん・・・・・。どうしてここに居るんですか?・・・・復讐・・・・・ですか?」
唐突に向けられた言葉に、お梅は目を丸くしてあかねを見据えた。
「・・・・・・・・・・やっぱりあのあかねはんどしたか・・・・・・」
「!!覚えて!?・・・・・気づいてたんですか!?」
お梅の言葉に今度はあかねが目を丸くした。
「置屋に身ぃ置いた女子が、身請け以外の理由で出られるなんて・・・・・なかなかありまへん・・・・・・そら印象にも残りますえ?」
お梅はふふっと口元に笑みを浮かべる。
「確か・・・・・養女として貰われた家は江戸やて聞いてたけど?なんでこないなところで女中なんかしてはりますのえ?」
「えっと・・・・・・まぁ、いろいろありまして・・・・・・」
「・・・・・・そうどすかぁ・・・・・・まぁ、生きてたらいろんな事がありますさかいなぁ・・・・・」
あかねの質問に答えることも無かったが、お梅はそれ以上聞こうともしない。
それどころか、視線を窓の外へと戻していた。
あかねが島原に身を置いたのは確かだが、それは修行の為であって遊女になる為ではない。
突然江戸に行くことが決まったあかねが、島原を出たあとにどんな噂が立っていたかなど本人が知るはずもなかった。
「・・・・・・あかねはんは明里はんのとこに居はったんどしたなぁ?」
「え、えぇ・・・・・明里さんとは最近も会ってます」
「そぉどすかぁ。ほな、お雪ちゃんとも会おたはりますのか?」
「あ、いえ・・・・・・島原を出て以来会ってません。明里さんからは元気にしてると聞いていますが・・・・・」
「なんや、あかねはんと話してたら懐かしゅうなってきたわぁ・・・・・・」
そう言って目を細めるお梅に、あかねはどう切り出すべきか考えていた。
このまま昔話を続けるわけにはいかない。
お梅の真意を確かめる必要がある。
芹沢の傍にいる本当の理由を。
このまま話を逸らさせるわけにはいかない。
「あ、あの・・・・・・」
切り出そうとしたあかねの言葉を遮るように、お梅は口を開いた。
「それにしても・・・・・・相変わらず勘がええんやね?その器量に気立て・・・・・・そのうえ頭の回転・・・・・・お武家はんの養女に貰われて行ったんもわかる気ぃがしますなぁ?・・・・・・あかねはんの思うとる通りや・・・・・・うちは弟の復讐のためにあの人に近づいた・・・・・・」
「!!」
そう言って悲しそうに瞳を伏せたお梅の姿に、あかねは目を見開く。
やっぱり・・・・・。
そうだったのか。
ならば、明里から聞いた噂話は事実だろう。
「大阪で芹沢さんに斬られた熊川という力士・・・・・・お梅さんの弟だったんですね?」
真っ直ぐにお梅を見つめ問うあかねに、お梅は小さく頷いた。
「そう・・・・・・うちのたったひとりの家族・・・・・・あの子がいたからうちは遊女に身ぃ落としても頑張ってこれた・・・・・・」
「だから・・・・・・仇討ちを?」
「そぉどす・・・・・・その為にあの人に近づいた・・・・はずやったのに・・・・・」
暫く沈黙が続いたあと、お梅は静かな口調でそう答えた。
(はず・・・・だった?)
「初めは憎いとしか思ぉてへんかった・・・・・・せやけど、いつからか自分の気持ちがわからんよぉなってしもて・・・・・・」
(え・・・・・・?)
驚きを隠せないあかねに構うことなくお梅は言葉を続ける。
「憎い人やのに、一緒におると楽しいんよ・・・・・・殺したいと思うのに、もっと一緒におりたいと思う・・・・・もう、うち・・・・・・どぉしたらえぇんか・・・・・わかれへんわ」
お梅は言葉を詰まらせながらも隠し続けた心の内を吐き出し続けた。
「可愛い弟を奪った人やのにっ・・・・・・何度も機会はあったのにっ・・・・・うちは決心がつかへんかった・・・・・・なんで憎いはずの人をっ!なんで好いてしもうたんっ!?うちはどないしたらええのっ!?」
昂ぶる感情が抑えきれないのかお梅の瞳には涙が浮かび、その姿があかねの胸を締め付ける。
「憎いのに好き・・・・・・好きやのに殺したい・・・・・殺したいのに、一緒におりたい・・・・・・」
だんだんと消え入りそうな小さな声になりながら、泣き崩れるお梅の姿にあかねは掛ける言葉が見つからなかった。
大切な家族を奪った憎むべき人。
でも・・・・・・愛する人。
その相反する感情。
それが彼女の中に同時に存在していて。
それはきっと苦しいことで・・・・・。
彼女はずっとその狭間で揺れている。
このまま何もせずに全てを忘れて愛する男の傍に居るべきか・・・・・・。
それとも愛する弟の仇を討つべきか・・・・・・。
どちらをとっても。
愛した人を裏切ることになるのは確かだ。
その狭間で苦しみ、答えを出せずにいるのだろう。
そんな彼女に何を言えばいい?
恋すら知らぬ自分が何を言える?
どうすれば苦しむ彼女を救える?
あかねは何も言えぬまま、そっと手を伸ばし泣きじゃくるお梅の背中を優しく擦る。
そんなことぐらいしか思いつかない。
そんな自分が歯痒くてたまらない。
あかねの耳に聴こえるのは、降り続く雨の音とお梅のすすり泣きだけだった。
その静寂を破るようにして突然襖が開け放たれた。
驚いたあかねが、そちらに視線を移しそこに現れた人物の姿に目を見開く。
「!!き、局長っ」
思わず漏らしたあかねの声に、お梅は驚いたように顔を上げる。
無言のまま部屋へと足を踏み入れた芹沢は、顔を強張らせたままお梅の方へと近づいた。
(聞かれてたっ!?)
芹沢の堅い表情に、身体を硬くしお梅を背中に庇おうとするあかねだったが、芹沢はそんなあかねの横を無言のまま通り過ぎお梅の腕を掴む。
「せ、芹沢局長っ!?」
「すまぬ、あかね。お梅は連れて行く」
無理矢理お梅を立たせ、そのまま部屋を出ようとする芹沢をあかねは慌てて追いかけようと立ち上がる。
その瞬間―
足に痛みが走り、うまく立ち上がることが出来ずに座り込んでしまった。
「ま、待ってっ!待ってくださいっっ!!」
あかねの制止も聞かずに足を進める芹沢と、その芹沢に引っ張られながらもついて行くお梅。
そのお梅が少し振り返り、あかねに向かって微笑んだ。
「!!」
その表情は殺されることを望んでいるかのようで・・・・・・。
止めるなと言っているようで・・・・・・。
あかねは暫く動くことが出来なかった。
あかねの部屋を出た2人は、そのまま芹沢の自室へと向かい消えていく。
直後。
我に返ったあかねが痛む足を引き摺りながらも、必死に芹沢の部屋へと向かっていった。
(芹沢局長を止めないとっ!!お梅さんがっ!!)
殺されてしまうっ!!
そんな最悪の状況があかねの頭に思い浮かんでいた。
同じ頃。
総司は厠へ行くと言って宴会場を抜け出し、廊下に出ていた。
外を見れば、雨は小降りになっている。
(帰るなら今のうちかぁ・・・・・・芹沢さん達も帰ったみたいだし・・・・・・このまま帰っちゃっても誰も気づかないだろうな・・・・・・今ならまだあかねさんも起きてるかもしれないし・・・・・それに・・・・・・・うん。そうだ、帰ろう)
ひとり自問自答して納得したのか、総司はそのまま出口へと向かおうとして足を止める。
(あっそうだ、あかねさんへのお土産・・・・・部屋に取りに戻らないと・・・・・)
留守番をしているあかねに、と総司は料理を詰めて貰ったのだ。
屯所に戻ったら一緒に食べよう。
きっと喜んでくれる。
喜ぶあかねの顔を想像するだけで、総司は頬が緩むのを感じていた。
総司がこっそり角屋を出て暫く経った頃。
土方は山南と原田に目配せし、部屋を出て行く。
それに続くように時間を空けて、誰にも怪しまれないよう部屋を出る山南と原田。
そんな3人を黙って見送る近藤。
そして。
その状況を冷静に分析する銀三。
会津公から受けた命令が思い出される。
芹沢粛清を見届けよ、と。
それが今夜決行されるのだろう、と銀三は感じ取っていた。
土方たち3人は島原の大門のところで集まると、無言のまま屯所への道を歩き始めた。
これから自分たちのしようとすることを思うと、自然と無言になる。
相手が誰であろうと、人を斬りに行くのに気が進むはずはない。
相手が仲間ならば、尚更だ。
武士に憧れ、武士を夢見て京都に来た。
刀を手にした時、覚悟も決めた。
いや、剣術を学んだ時からわかっていたことだ。
剣が人を殺める手段だということも。
刀は人の命を奪う道具だということも。
それでも武士になりたいと願った。
その夢を叶えるためにここに来たのだ。
今更、恐れはない。
たとえ人の心を失ったとしても。
そこには護りたいものがある。
土方は真っ暗な夜道を歩きながら、それが自分たち新撰組のこれから歩む道に似ている気がしていた。
ただ真っ直ぐ。
暗闇をひたすら真っ直ぐ進む。
その先に待つのが地獄だとしても。
もう後戻りは出来ない。
鬼になると決めた自分に。
人の道など有りはしない。
あるのは修羅の道。
ただそれだけだ。