第四十五話
文久3年 9月14日
京都守護職本陣 黒谷
会津藩主松平容保公からの呼び出しに出向いた近藤、土方、山南の3名は、とある密命を受けていた。
『芹沢鴨を粛清せよ』
これが大和屋の一件、及びそれまでに起こした数々の事件に対する会津藩の出した結論だ。
もう目を瞑ることは出来ない。
これ以上問題を起こす前に処断せよ。
それが会津公から突きつけられた答えだった。
これに対して、近藤は会津公に弁明を試みた。
二度と問題は起こさせないから。
もう一度だけ機会を与えて欲しい、と。
だが、それが聞き入れられることはなかった。
もし、芹沢をこのまま処断しないのなら・・・・・・。
新撰組を解散せよ。
頑なに言い切る会津公の言葉に、近藤は返す言葉が出なかった。
そこまで強く言われれば、いくら近藤でも首を縦に振る以外ない。
芹沢を護る為に、多くの隊士を路頭に迷わせる訳にはいかないのだ。
それが局長としての当然の答えだった。
それでも。
頭ではそう思っても。
心が拒否するのもまた事実。
約半年とはいえ、苦楽を共にしてきた同志をまた斬らねばならないのか。
仲間の命と引き換えにしてまで、新撰組を護ることが果たして正しい道なのか?
近藤の心は揺れていた。
黒谷からの帰り道。
押し黙ってしまった近藤の気持ちを察したのか、土方が言葉をかける。
「あんたの気持ちもわからねぇでもないが・・・・・・これは芹沢さんのこれまでの行いに対する報いだ。どうすることも出来ねぇ・・・・・せめて俺達の手で葬ってやるのがあの人にしてやれる、最期の手向けじゃねぇのか?」
「しかし・・・・・トシ、俺には・・・・・・出来んよ」
「あんたが手を下す必要はねぇさ。俺が殺る」
「!!」
ハッキリとした口調で言い切る土方に、近藤は目を見開く。
「大将ってぇのは、どんなときでもドシッと構えてるもんだ。そのために俺達がいるんだぜ?」
「もちろん、わたしも行きますよ?私も副長の一人ですからね・・・・・・土方くんだけに重荷を背負わせるつもりはないので」
土方の肩に手を置き、ニッコリと微笑む山南。
「山南さんまでっ!」
「近藤さん・・・・・わたしは芹沢さんを尊敬しています。けれど、芹沢さんの起こす問題は我々にとって悪影響でしかないのは確かです。芹沢さん自身が自分の暴走を止められないのなら、仲間であるわたし達が止めてあげるのもまた、優しさではないですか?」
迷いのない真っ直ぐな山南の瞳が近藤を捕らえて離さない。
「わかったよ・・・・・・」
2人の言う事は正論だ。
それでも心が迷うのは、芹沢に頼ってきた自分の弱さか・・・・・・。
それでも目の前にいる2人の強い意志を感じ取った近藤は、頷くことしか出来なかった。
もし拒否したところで結果は変わらない。
それならば、せめて自分が罪を背負うべきだ。
自分の命令で2人が手を汚した。
その事実があるのとないのとでは大違いだろう。
それが局長としての自分に出来る唯一のことだ。
それで少しでも2人の罪を軽く出来るのなら。
罰を受けるのは自分だけでいい。
いや、自分ひとりでいい。
他の者は皆、罰を受ける必要などないのだ。
局長として、新撰組のために選び取る道がたとえ棘の道であっても。
最期の決断は自分が下すべきだ。
それが鬼の所業だとしても、だ。
そうすることで罰を受けるのが自分だけであれば、局長として本望だ。
この時、近藤の決意は固まった。
それを初めに察したのは、土方だった。
「そうと決まれば、策を練らねぇとな。素面のあの人に勝てる気はしねぇからな・・・・・・それに事を大きくしねぇ為には、こちらも最少人数でかかるべきだろう?」
「ならば、宴席でも設けましょうか?日頃の労を労うという名目で隊士たちも全員屯所から離しましょう。手薄になった屯所に賊が押し入り芹沢さんは襲われた・・・・・・筋書きとしてはこんな感じでしょうか?」
「さすが山南さんだな、それでいこう。あとはこちらの人数だな・・・・・腕の順で行けば総司だが・・・・・・芹沢さんと親しかったアイツには向かねぇな・・・・・だが、出来れば仲間内で固めるべきだろうし・・・・・・」
土方は考え込むように空を仰いだ。
芹沢と互角に渡り合えるのは総司だろう。
山南には親しかったから・・・・・と言ったが、命令すれば総司は了承するだろう。
そんなことは百も承知だ。
そして仕損じることは決してないだろうことも。
だが、未だ目を覚まさないあかねの傍から総司は離れようとはしない。
土方としても、無理に引き離す気にはなれなかった。
それに、あかねとの約束もある。
総司を巻き込むことは出来ない。
「そうなると・・・・・やはり原田くんや永倉くんでしょうね・・・・・・」
「そうだな。2人のうちのどちらかを選ぶなら・・・・・原田が適任か」
翌日15日 早朝
総司の腕の中で意識を手放したあかねは、そのまま丸一日眠り続けていた。
やっと目を覚ましたあかねは見慣れた自分の部屋の天井を見つめる。
ボーッとした頭のせいで、あの夜の出来事がすべて夢の中の事のような気がした。
眠ったおかげで感覚の戻った身体に最初に感じたのは、足に走る痛みと自分の手を握る誰かの温もり。
ゆっくり首を動かしたあかねの目に、手を握ったまま眠る総司の姿が入る。
「・・・・・・に、い・・・さま?」
小さく呟いたあかねの声が届いたのか、総司の手がピクッと動いた。
「・・・・う・・・・ん・・・・・・」
ゆっくり瞼をあげる総司に、あかねがふわっと微笑む。
「ずっと・・・・・・傍に居てくださったんですか?」
あかねの声に総司はガバッと起き上がると、安心したような表情を浮かべた。
「よかったぁ・・・・・もう目を覚まさないんじゃないかと、心配しましたよ?どうですか?気分は・・・・・・傷、痛みますか?」
「・・・・・・大丈夫です・・・・・・私、どのくらい眠ってたんですか?」
「丸一日ですよ。でも、目を覚ましてくれて良かった・・・・・・」
心底ホッとしたような表情を浮かべる総司に、あかねは目を細める。
あの夜のことは、紛れもなく現実だ。
それは自分の足に残る痛みが物語っている。
あの時は薬の影響で感じられなかった痛みだったが、いまだにズキンズキンと痛みが走る。
それほど、深く突き刺したのだろう。
もう諦めかけていた自分を助けてくれたのは総司だ。
あの時の総司の温もりが、今でも身体に残っている。
だからこそ現実逃避せずにいられる。
総司を護りたいと思っていたのに。
護られたのは自分の方だった。
もう二度と総司に剣を抜いて欲しくないと思っていたのに。
自分の甘さ、愚かさが総司の手を赤く染めてしまった。
それでも。
総司が来てくれた事実が嬉しかった。
「屯所の皆には夏風邪をこじらせて寝込んでいることにしてありますからね?」
「・・・・・・・」
「だから何も気にせず、ゆっくり休んで下さいね?」
「・・・・・・ありがとうございます、兄さま」
好奇の目に曝されないように、と。
恐らくはあの場にいた土方の取り計らいだろう。
いくら思考回路が働かないとはいえ、それぐらいのことは理解出来る。
自分は結局護られてばかりだ。
自分がここで役に立ったことなど、あるのだろうか?
そんな疑問が頭を過ぎる。
それでも。
それでも自分はここに居たい。
総司の傍に。
近藤や土方の傍に。
家族だと言ってくれた人達の傍に。
何が出来るのかはわからない。
受けた恩を返したい。
いや、理由など必要ではない。
自分がここに居たいと。
心からそう願っている。
「あ、そうだ・・・・・・明日の夜はわたしも出掛けないといけないので、お梅さんにあかねさんの看病を頼んでおきました・・・・・・たまには女同士っていうのもいいでしょ?」
何気なく口にした総司だったが、あかねは「お梅」という名を聞いて少し目を見開いた。
「・・・そうですね、私もお梅さんとは一度ゆっくり話したいと思っていたので・・・・」
「それは丁度良かったです。本当はあかねさんの傍に居たいんですけど・・・・・どうしても全員参加だって土方さんが言うので・・・・・・」
「全員参加?・・・・・・何かあるのですか?」
「なんでも日頃の労を労う・・・・・とかで宴会を開くんだそうです。こんなこと今まで一度もなかったので、皆さんは嬉しそうなんですけど・・・・・・わたしはああいう場所、苦手なので気が乗らないんですよねぇ・・・・・・」
そう言った総司の顔が少し曇るのを見て、あかねは笑みを浮かべた。
「ふふっ、ということは、場所は島原ですね?」
「そうなんですよぉ。たしか角屋って言ってたかな?・・・・・・少し遅くなるかもしれませんから、先に休んでて下さいね?」
そう言った総司の表情が一瞬曇ったようにあかねの目には映った。
それは何かを予感しているのか、それとも遊里に出かけることが心底嫌だと思っているからか・・・・・・その時のあかねには読み解くことが出来なかった。