第四十三話
文久3年 9月13日
この日昼過ぎには見られた筈のあかねの姿が、夕食近くになっても見当たらず総司は大慌てで土方の部屋へ駆け込んでいた。
「あかねが?」
「いつもなら台所にいる刻限だというのにどこにも姿がなくてっ!!」
息を切らし飛び込んできた総司に、土方は顔を上げた。
「夕食の支度もしてないのか?」
「いえ、それは昼間のうちに済ませてあるみたいで・・・・・・」
「なら、すぐに戻るんじゃねぇのか?」
なんでもないだろう?とでも言いたげな表情を浮かべた土方は、視線を手元の書類へと戻した。
「誰にも告げずに遅くなるなんて、今までに一度も無かったじゃないですかっ!?」
「・・・・・・それもそうだな。本当に誰も聞いてないのか?」
総司の言葉に改めて納得する土方。
「はいっ、昼間屯所に居た人たちには全員聞きましたが、何も聞いていないってっ!!ど、どうしましょう!?も、もしかして誰かに攫われたとかっ!?」
動揺する総司の想像があらぬ方向へと向かい始め、土方は深い溜め息を吐く。
「馬鹿言え。あいつが攫われるようなタマかよ?考えてもみろ、そんじょそこらの奴に負けると思うか!?」
「で、でもぉ・・・・・・なんだか嫌な予感がするんですよね・・・・・・こう、虫の知らせ・・・・・みたいな・・・・・・」
土方の意見は尤もだが、冷静ではない総司は半泣き状態だ。
「まぁ、お前の心配する気持ちもわかるが・・・・・・もう暫く待ってみろ。案外ケロッとした顔で戻ってくるかもしれんぞ?」
「・・・・・・はい・・・・・」
同じ頃。
あかねは外が薄暗くなり始めたのを感じながらも、屯所に戻れる状態ではなかった。
何故なら・・・・・・。
自分の身体がとても重く感じられ、閉じそうになる瞼を必死で開けながら目の前でニヤつく新見錦を睨みつけていたからだ。
(ついて来たのはやはり・・・迂闊だったか・・・・・・)
今更ながらも、後悔の念に駆られる。
どうにか切り抜ける策を練ろうとするが、うまく頭が回らない。
それどころか、猛烈な睡魔と戦うだけでも精一杯だ。
(今度ばかりは・・・・・・)
ダメかもしれない。
そんな弱気な言葉しか浮かばない自分が情けなく思えた。
― 遡る事、数刻前 ―
久しぶりに昼間の時間が空いたあかねは、これまた久しぶりに島原の明里の元を訪れていた。
そこで、あかねはとある情報を得ていた。
ひとつは芹沢の妾、お梅のこと。
そして、もうひとつは目の前にいる新見のことだった。
その足で急ぎ屯所に戻ろうとしたあかねを待っていたのは、新見本人だった。
しかも、島原大門を出たところで鉢合わせたのだ。
その時は偶然かとも思ったが、今の状況を考えれば後をつけられていたのだろう。
その時点で警戒すれば良かったのだろうが、なにしろあかねも新見に聞きたいことがあった。
それゆえ簡単に誘いにのり、祇園までついて来たのだ。
「山緒」という料亭に入った2人。
始めは普通に食事をし、酒を酌み交わしていた。
自分の身体の異変に気づいたのは、ついさっきだ。
「お前は近藤くんや土方くん、それに沖田くんとも親しかったな?どんな手を使って取り入ったんだ?」
ニヤニヤとした不快に感じる笑みを浮かべる新見に、あかねは軽蔑するかのような視線を送る。
「は、はぁ?何かと思えば・・・・・・顔を合わせるうちに話す機会が増えただけのことですよ?それ以上でもそれ以下でもありません」
「そんなことはないであろう?その帯についた帯止めは沖田くんから贈られた物だという事は知っている。男が下心もなしに貢ぐわけがなかろう・・・・・・近藤くんとも2人で出かけていたし、土方くんの部屋にお前がよく通っていることも知っている。こんな小娘のどこに、そんな魅力があるのかと思っていたが・・・・・・」
まるで値踏みでもするような視線を向けられ、あかねは苛立ちを隠すかのように視線を下へ向ける。
「そのような事を言うのはおやめください。御三方に失礼です・・・・・・それより私の方にも少々お伺いしたいことがあります。新見副長が長州の桂さんと、親交があるという噂はまことですか?」
長州の桂さん・・・・と名を出したところで、あかねは真っ直ぐに新見を見据える。
「なんだと?誰がそのようなことを・・・・・・・」
一瞬、動揺したのか目を泳がせた新見の表情を見て、あかねは噂が真実だと確信した。
「なにゆえ長州と親しくされているのですか?・・・・・・まさか、新撰組副長というお立場にありながら・・・・・・新撰組を裏切るおつもりではないでしょうね?」
あかねは苛立ちのせいか、つい強い口調で新見への不快感を露わにしてしまう。
その瞬間、新見の顔色が変わった。
「口の聞き方を知らぬ女だな」
そのままあかねの手をガシッと掴む。
「なっ!?お放しくださいっ」
危険を感じたあかねが手を振り切ろうと立ち上がった。
「えっ!?」
立ち上がろうとしたあかねの身体は、何故か足に力が入らずその場にへたり込んでしまった。
「お前・・・・・・そうとう酒に強いようだな?あれだけ飲んで、顔色ひとつ変えないとは・・・・・・普通の女なら一杯も飲めば意識を失うというのに」
イヤらしい笑みを浮かべ舐めるような視線を送る新見に、あかねは背筋が凍るような寒気を覚えた。
「ま、まさか・・・・・・酒に、細工を?」
「まぁ今頃気づいても遅いが、強い眠り薬を混ぜておいた。初めからお前を俺の手駒にするつもりだったからな。動いたことでやっと効いてきたようだな」
少しずつ間を詰めようと近づく新見から逃げるように後退りするあかね。
「な、ぜ?私を手篭めにして・・・・・・何の得が?」
「まぁ、しいて言うなら・・・・・・近藤たちのお気に入りのお前を犯して俺のモノにすればアイツらの鼻は明かせるし、お前を盾にすれば簡単に俺を消すことも出来まい?そうなれば新撰組は俺の手中に入ったも同然。一石二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなりうる」
ニヤニヤと笑みを浮かべる新見。
「そ、そんなこと・・・・・あなたは武士として恥ずかしくはないのですかっ!?」
「ならば、お前は犯されたと近藤たちに言えるのか?お前が言わなければ、真実が明らかになることはあるまい?お前が自分の意思で俺の妾になった、それが真実になる」
「!!」
新見の腹黒さに表情を凍らせ、あかねはただただ目の前の卑劣な男への怒りを増長させる。
「さぁ、諦めて俺のモノになれ。もう逃げ道はない・・・・・それに長州とのことを知られている以上、お前の口は何があっても塞ぐ必要がある。恨むなら好奇心旺盛な自分の性格を恨むんだな」
新見の言う通り、あかねの背中には冷たい壁があたる。
あかねは全身に嫌な汗が流れるのを感じていた。
「私・・・・・ごときを、手に入れたとて・・・・・近藤局長が、貴方の思い通りになるなど・・・・本気でお思い、なのですか!?」
あかねの声は怒りと恐怖に震えていた。
「ならなければ、また他の手を考えれば良い。まぁ、それはお前に関わりのないことだが」
こんな卑劣な男に自分の身体を自由にされるというのか?
まだ誰にも触れられたことのないこの身を、こんな男に汚されるのか?
そして、一生惨めな思いをして生きろと?
嫌だ。
そんなのは嫌だ。
この時初めて、自害したあぐりの気持ちがわかった。
死んだほうがマシだ、と思ったあぐりの気持ちが・・・・・・。
考えろ。
何か切り抜ける方法はある筈だ。
何か・・・・・・。
そうは思っても、思考回路はほぼ停止し始める。
ダルイ。
身体が重い。
眠い・・・・・・。
そう思ったあかねの目に新見の手が伸びてくるのが見えた。
その手が締められた帯を解こうと動いている。
もうダメだ・・・・・・。
何も出来ない・・・・・・。
こんな男に・・・・・・。
- カラ、ン -
諦めかけたあかねの耳に、総司から貰った帯止めが畳の上に落ちる音が響く。
(・・・・・・にぃ、さ・・・・ま・・・・・)