第四十二話
文久3年 9月
9月に入ったこの日。
近藤と山南、そして土方が作りあげた鬼の隊規が隊士たちに発表された。
その内容に皆が驚愕したのはいうまでもない。
事前に総司から聞かされていた芹沢が反対することもなく、全ては土方の思惑通りだった。
ただひとり。
何も聞かされていなかった新見錦だけが、不快を露わにしていた。
お梅が八木邸に来てからというもの、芹沢は確かに遊里や花街に出入りすることはなくなった。
だからといって芹沢派の皆がそれに習ったわけではない。
特に新見錦は、一時期の芹沢に匹敵するほどの傲慢さで飲み歩き続けていた。
最近は特に祇園がお気に入りの様子で、夜になれば必ずと言ってもいいほど入り浸り朝帰りすることも多い。
そんな新見が快く隊規を受け入れる筈がない。
うっかり気を抜けば足元をすくわれる可能性があるのだ。
そしてその怒りの矛先は芹沢へと向けられる。
芹沢がお梅に現を抜かしているせいで、近藤たちに好きにされているのだと新見は苛立ちを募らせ、そのウサ晴らしをする為に祇園へ通う・・・・・・という悪循環。
その祇園で、新見はとある噂を耳にすることになる。
「近藤くんに妾?」
「へぇ、確かにそう聞きましたえ?」
「いつのことだ?」
この日席についた芸妓から思わぬ話を聞き、新見は興味を示す。
「あれは・・・・・・もうひと月ほどなりますやろか?三本木の幾松はんが目ぇかけてた妓ぉで、あのまま育ててたら京都で一番の芸妓になるのも夢やないぐらいの器量持ちやったて」
「ほぉ・・・・・で、その芸妓の名は?」
近藤が身請けをした話など聞いたことがない。
いや、そんな素振りすら見せなかった近藤が妾を囲っていたという事実に新見は半信半疑で聞いていた。
これが事実なら、芹沢とお梅のことを黙認しているのも頷ける。
「えーっとぉ・・・・・・確か、駒野はんとか言わはりましたなぁ。うちも会うてみたかったわぁ。せやけど、新見はんは知らはりませんどしたんかぁ?」
「あぁ、お互い妓の話などしたことがないからなぁ・・・・・」
そう思いながらも新見はほくそ笑んでいた。
恐らく近藤にとって隠したいことなのだろう。
でなければ、噂にすらなっていないことがおかしい。
そう仕向けたのは土方の入れ知恵か・・・・・・。
どちらにしろ、それは近藤たちを黙らせる弱点になるかもしれない。
そこまで考えをめぐらせ、ひと月前のことを思い返していた。
(そういえば、大阪に行っていたあかねが屯所に戻ったのもその頃だったか・・・・・・)
その頃、屯所内の隊士たちが浮かれ気味だったことを思い出す。
(あの混乱に乗じて妾を囲ったというなら、なかなか計画的ではないか・・・・・)
それにしても話が上手過ぎる。
まるで、あかねが戻る日を知っていたかのようだ。
(そういえば・・・・・あの日、あかねを連れ帰ったのは・・・・・・確か近藤くんではなかったか?・・・・・・わざわざどこかまで迎えに行ったということか?・・・・・・いやしかし・・・・・それはそれで妙だな・・・・・・)
急に黙りこくった新見の姿に、その場にいた者たちは首を傾げていた。
― 新撰組 屯所 ―
近藤は屯所の前に立ち、しみじみと門を見上げる。
『会津藩御預 新撰組屯所』と掲げられた門前。
改名して、はや2週間。
初めは照れくさくもあったが、ようやくそれにも慣れてきた。
それと共に、日が経つにつれ賜った名の重みをヒシヒシと感じる。
やっと表舞台への第一歩を踏み出せたのだ。
「局長?」
門前に立ち止まったままの近藤の背中に、小首を傾げたあかねが声を掛けた。
「どうされたのですか?」
「あぁ・・・・・・新撰組になったんだなぁ、と思ってね」
ははは。と頭を掻いてみせる近藤にあかねはクスッと笑みを零す。
「そうだ、あかねくん。時間はあるかい?」
「?えぇ・・・・・・夕食までにはまだ時間はありますが・・・・・・」
「じゃあ、少し出ようか?甘味にでも付き合ってくれないかい?」
「はい!喜んでお供しますっ」
甘味という言葉にあかねはキラキラ瞳を輝かせる。
やはり女の子というのは、甘いものが好きなのだろう。
嬉しそうな顔をするあかねの姿に、近藤は目を細めていた。
「最近の総司は毎日楽しそうに見えるが・・・・・・君のおかげだね」
「いえ・・・・・・それを言うなら、私を屯所に連れ帰ってくださった局長のおかげです。もう・・・・・・以前のようなことは?」
手に持った串を皿に戻すと、あかねは神妙な顔をする。
「大丈夫、最近はないようだよ。共に巡察に出ている隊士たちから聞いたから間違いない」
あかねを安心させるように穏やかな笑みを浮かべる近藤。
「良かった・・・・・・」
そんな近藤にあかねは心底ホッとした表情を浮かべる。
「そういえば・・・・・・その帯止め・・・・前からしていたかい?」
ふと近藤の視線がそこで止まると、あかねは少し恥ずかしそうに答える。
「いえ・・・・・昨日、兄さまから頂いて・・・・・・」
「へぇ、総司が君に?なかなかいい趣味じゃないか・・・・・・それによく似合ってるよ」
近藤が褒めると、あかねの頬は嬉しそうに紅潮する。
(・・・・・・あの総司が女物を選んでる姿なんて・・・・・・試衛館にいた頃では考えられなかったことだな)
昔を思い出すかのように近藤は目を細め、空を見上げた。
「おや、これはこれは・・・・・・お揃いで」
突然掛けられた声。
2人は同時に声の主へと顔を向ける。
「新見さん」
「そうして並んでおられると、まるで逢瀬のようですな」
意地悪そうに言う新見の顔は、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべ2人を見比べるような視線を向ける。
「そんな誤解をして頂けるなんて、逆に光栄ですよ?」
近藤が平然とした様子で答えると新見はフンッと顔を背ける。
「ところで新見さんはどちらへ?最近、夜は屯所にいらっしゃらないようですが・・・・・・ほどほどにして戴かないと、下の者に示しがつきませんぞ?」
「フンっ、どこへ行こうがわたしの勝手だろう?わたしは君の部下ではないんだからなっ」
「もちろん新見さんを部下だなどと言っているわけではありません・・・・・・しかし、新見さんの行き付けは祇園の方だと伺いました・・・・・・あちらは長州に汲みする者の出入りも多いと聞いていますので・・・・・・」
急に向けられた近藤の鋭い視線に、新見は一瞬顔色を変える。
「わ、わたしがそのような者に遅れをとるとでも言いたいのかっ!?」
「そういうわけではありませんが・・・・・・用心に越したことはないと思ったまでで」
「大きなお世話だっ」
近藤の言葉に、新見は不機嫌な表情を浮かべるとそのまま去ってしまう。
「まったく・・・・・・もう少し副長としての自覚を持っていただかないと・・・・・・」
怒りを全身に滲ませながら歩き去る新見の背中を見送りながら、近藤が大きな溜め息を吐く。
あかねもまた、黙ったままその背中を見送っていた。