第三十七話
文久3年 8月12日
この日、あかねは朝からご機嫌だった。
八坂神社では一度も見物することが出来なかった相撲を、今日はゆっくり見れるのだ。
機嫌がいいハズである。
佐伯から聞き出した長州藩の計画は、すぐさま鞍馬の里へと伝令を飛ばした。
もちろん伝令に飛んだのは、シロだ。
そのシロが里からの文を持って戻ったのは2日前。
そこには「今は動くな」という趣旨が綴られていて、追って連絡するとあった。
つまり「後は任せろ」ということだ。
おかげで、悪魔のような計画を知りながらも相撲見物をゆっくり楽しめるというわけだ。
「今日はわたしの傍にいてくださいね?・・・・・でないと、また土方さんから雑用頼まれてしまいますからね?」
総司の言葉にあかねは素直に頷く。
どうやら今回は信じてくれたらしい。
まぁ、今回は土方と口裏を合わせているのだから大丈夫だと思っていたが・・・・・・。
これも、普段の土方の行いがあってのことだな。
などと思いながら、あかねは笑みを浮かべていた。
「そういえば、芹沢局長はいらっしゃらないんですか?」
芹沢とお梅の姿が見えないことに気づいたあかねが問うと、後ろにいた土方が答える。
「もう充分楽しんだから、今日は出かけるってよ。まぁ引きとめる理由もねぇから行かせたが・・・・・どうせ、あの妾のワガママだろうよ」
「ハハハ・・・・・人の女には、ホント容赦ないな。トシは・・・・・・」
土方の横で近藤は苦笑いを浮かべる。
「確か、大坂相撲対京都相撲の組み合わせなんですよね?楽しみだなぁ」
「今日のあかねさんは、子供みたいですねぇ?そんなに楽しみに思って貰えると開いた甲斐がありますよ・・・・・・ね?近藤先生?」
「総司の言う通りだよ・・・・・喜んでもらえてよかった」
朝から目尻が下がりっぱなしの近藤と総司を見ながら、土方はひとつ溜息を吐く。
あかねがいるだけで、2人はとても嬉しそうだ。
いや、2人だけではない。
あかねを囲むように座っている永倉、原田、藤堂、斉藤・・・・・・そして己自身も。
不思議な女だ。
佐伯の処断の時に見せた冷酷な一面。
それを知っていても、あかねの傍は心地いいと思える。
彼女の纏う空気は暖かい。
不思議と落ち着く。
それを知っているから、皆が集まるのだろう。
相撲見物を終えたあかねは皆が片付けに追われている中、食事の支度をする為ひと足先に屯所へと戻っていた。
といっても目と鼻の先だが。
台所へと入ったあかねを、ここにいるはずのない人物が出迎えた。
「お、翁っ!?」
「おぉ、久しいのぉ?」
満面の笑みを浮かべる翁の姿に、あかねは目を見開いていた。
「ど、ど、ど、どうしてこんなところに??」
「おぉ、そんなに驚いて貰えると来た甲斐があったぞ?」
「こ、こ、こ、こんなところ誰かに見られたら!!」
「ワシがそんなヘマをすると思おたか?」
あまりの落ち着き様に、あかねは深い溜息を吐いた。
「・・・・・・何かあったのですか?」
「いや、別に?」
悪びれることもなくサラリと答える翁に、あかねはもうひとつ溜息を吐いた。
「今回はお主の情報のおかげで、早めに手を打つことが出来たとバァさんも言っておったぞ?どうやってあんな大きな情報を得たのじゃ?」
そう言うと翁はその場に置いてある胡瓜を手に取り、一口かぶりつく。
「あぁ・・・・・・あれは偶然ですよ。隊内に入り込んでいた間者から聞いただけなので」
「ほぉ・・・・・・で?・・・・・・その間者は始末済みというわけか?」
明らかに目を逸らしたあかねの心を見透かすように言う翁。
「元々、そういう命令でしたので・・・・・・」
「ほぉ。そうか。相変わらず手際の良い仕事ぶりじゃな?」
「そういうわけでは・・・・・・」
背を向けて答えるあかねに、翁は急に真剣な表情になった。
「何を気にしている?任務遂行は喜ぶべきことじゃろ?」
「・・・・・・それは・・・・・・そうですが・・・・・・」
そこまで言ってあかねは大きく息を吸い込み翁の方へと振り返った。
「翁・・・・・・人を好きになるとは・・・・・・どういうことなのですか?」
澄んだ瞳で真っ直ぐな視線をぶつけるあかねに、翁はしばし言葉が出なかった。
「恋とは・・・・・・命懸けでするものなのですか?・・・・・・私は今までお仕えする主のためなら、いつでもこの命を投げ出す覚悟でした・・・・・・でも、好きな相手のために命を捧げるとはどういうことなのですか?そこには主従関係があるのですか?」
「何があったかは知らぬが・・・・・・お主の口から恋などという言葉が聞ける日が来るとは思わなかったぞ?・・・・・・そうじゃなぁ・・・・・・恋にはいろいろある。お主が言うように命懸けの恋というのもあるじゃろうが・・・・・・ワシは共に生きる道を選んで来たからのぉ・・・・・・どちらが正しいとか間違っているとかでは無いが・・・・・・死んだら好きな女子の温もりすら感じられなくなるじゃろうから・・・・・・ワシの中にその選択肢はないのぉ」
「共に生きる道?」
「そうじゃ。ワシとバァさんは初めからその道しか考えていなかったからのぉ。出来ればお主にもそういう生き方をして貰いたいと思っているぞ?なにしろ死んだら終わりじゃからな?」
ははは。と笑って答える翁を見て、あかねは心のモヤが晴れていくような気がしていた。
そうだ。
この2人は何度も引き裂かれそうになりながらも、共に歩くことを選んできた。
昔、そう聞いたことがある。
それを聞いた時、2人の強さに憧れた。
いつか自分もそう有りたいと・・・・・・。
「しかし・・・・・知らぬ間にお主もそんな年頃になったのじゃな・・・・・・いや、少し遅すぎるぐらいか・・・・・・でもまぁ、好いた男のひとりやふたり、出来てもおかしくはないか・・・・・・今までがなさ過ぎたぐらいじゃからのぉ・・・・・・」
翁は自分の顎鬚を撫でながら、しみじみと呟いた。
「で?誰なんじゃ?」
「何がですか?」
「何が?じゃなかろう?お主の惚れた男のことじゃ」
そう言うと翁は視線を戸口の方へと向ける。
「お前も気になるじゃろ?・・・・・・のぉ、銀三?」
「・・・・・・やっぱり気づいてらしたんですか・・・・・・」
翁の言葉に戸口から姿を見せた銀三は、バツ悪そうに頭を掻いていた。
「お前の気配に気づかぬとでも思おたか?甘いわ」
フフンと鼻を鳴らす翁の前に、銀三は片膝をついて頭を下げる。
「ご無沙汰しております。頭領」
「もう頭領ではない・・・・・・元気そうじゃな?銀三」
「はい。おかげさまで、このとおり元気にございます」
「なによりじゃ」
「いつからいたんですか?斉藤さん?」
軽く睨みつけるように言うあかねに、銀三は冷や汗を掻く。
「え、えーっと・・・・・お前が『何かあったのですか?』って聞いたあたりから?かな?ハハハ」
銀三の答えにあかねはワナワナと拳を震わせる。
「それって・・・・・・ほっとんど、はじめっからじゃないのっ!?」
「いや、スマン。何か出ていく機会を逃してしまって・・・・・・」
殴りかかろうとするあかねの腕を押さえながら、必死で弁解する銀三。
翁はそんな2人の姿を見ながら、
(相手がコヤツでないことだけは・・・・・・確かじゃな)
とひとり思っていた。