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第三十五話

 文久3年 8月7日


 八坂神社において開かれる相撲興行を取り仕切る為、この日の壬生浪士組の屯所は朝から隊士たちがせわしなく動き回っていた。

 おもだった幹部達はもちろん隊士たちのほとんどが雑務にかり出され、昼を過ぎた頃には屯所内も閑散と静まり返っていた。



 そんな人気(ひとけ)のない屯所に、ひとりうな垂れるように座る隊士がひとり。

 佐伯又三郎である。


 佐伯又三郎はここ数日、悪夢にうなされていた。

 夢の中に現れたあぐりは、初めは優しく微笑んでくれる。

 でも次第に険しい表情を見せ、最期は目を見開いたまま口から血を流し死んでいく。


 その光景は、あの日自分の目の前で死んだあぐりの姿そのものだった。

 見開かれた瞳は、佐伯に対する憎しみと軽蔑が込められ・・・・・・。

 死んでいるはずのあぐりの口は、恨みの言葉を並べ立てる。



   よく・・・も・・・・・・


   呪って・・・やる・・・・・・



 それは毎夜のように続き、佐伯の心は恐怖に覆われていた。

 いつか呪い殺される。

 そんな風に実体の無いものに怯え続け、佐伯は疲れきっていた。




 「顔色が悪いようですが・・・・・・大丈夫ですか?」

 「!!・・・・・・君か・・・・・・」

 木陰に隠れるようにして座っていた佐伯に声を掛けたのはあかねだった。


 「身体の具合でも悪いんですか?」

 「いや・・・・・・大丈夫だ・・・・・・」

 そう言って(うつむ)く佐伯に、あかねは一瞬冷ややかな眼差しを向ける。


 「・・・・・・皆さん八坂神社に行かれてますよ?佐伯さんは行かないんですか?」

 「あぁ・・・・・少し気分がすぐれなくて・・・・・・・君も行ったんじゃなかったのかい?」

 「えぇ、そうなんですけど・・・・・・隣、座ってもいいですか?」

 あかねの問いに佐伯は軽く頷く。


 「もしかして佐々木さんが亡くなったことを気にされているんですか?確か・・・・・よくお2人でお出かけになられていましたよね?」

 「!!」

 一瞬顔を強張らせた佐伯だったが、その表情はすぐに平静を装い無表情へと戻る。


 「あんなことがあったばかりで・・・・・・私もなんだか相撲を楽しむ気にはなれなくて・・・・・・局長たちには内緒にしてくださいね?」

 そう言って人差し指を口元にあてて悪戯っ子のような瞳をするあかねに、佐伯は少し頬を緩めた。


 「もしかして・・・・・・佐伯さんもわたしと同じ気持ちなのではないですか?」

 「!?・・・・・あ・・・・・ま、まぁ・・・・・・そうかな・・・・・・」

 「お優しいんですね・・・・・・本当はちゃんと切り替えなくちゃいけないのはわかってるんですけど・・・・・・なかなか上手く切り替えられなくて・・・・・・」


 「・・・・・・少し外に出ませんか?」

 「え?」

 「気分転換に付き合って頂けたらって思って・・・・・・ダメ・・・・ですか?」



 2人は並んで屯所から出ると、行き先を決めることなく歩き始める。

 あかねは佐伯の横を歩きながら、後悔の念に駆られていた。

 前に町中で、佐々木とあぐりの姿を見かけた時に感じたあの視線。

 今にして思えばあれは佐伯だった。


 もっと早くに思い出せていれば・・・・・・。

 2人は死なずに済んだのかもしれない。

 こんな悲しい結末を迎えずに済んだのかもしれない。


 そう思うと、自分の無力さ無能さが腹立たしくて仕方ない。

 その行き場のない怒りを堪えながらも、佐伯の隣を歩き続ける。



 佐伯は隣を歩くあかねの横顔を見ながら、少し心が落ち着くのを感じていた。

 悪夢にうなされ塞ぎ込む自分を気にかけてくれたあかね。

 自分が佐々木たちを死へと追いやった張本人だとも知らず・・・・・・。

 悲しみに暮れていると勘違いしている・・・・・・。


 それでもひとりでいるよりはマシだ。

 誰かと話していれば、あの悪夢のことを一瞬でも忘れられる。



 「佐伯さんはあぐりさんのことご存知だったんですよね?」

 あかねの口から「あぐり」の名が出た途端、佐伯は思わず足を止めてしまう。

 それに気づいたあかねも足を止め、振り返る。


 「お2人はどうして逃げようと思われたのでしょう・・・・・」

 「さ、さぁ・・・・・一緒に・・・・なりたかった・・・とか・・・・・・」

 途切れ途切れになりながらも、なんとか答えを返す佐伯にあかねは小首を傾げる。


 「それだけの理由で?」

 「・・・・・・いったい、何が言いたいんだ?」

 何かを探られているような気がして、佐伯は少し身構える。


 「いえ・・・・・・深い意味はないんですけど・・・・・・私はそこまで誰かを想ったことがなくて・・・・・・もし見つかれば死が待っていることは佐々木さん自身もわかっていた筈ですよね?それでも、彼女と逃げることを選んだ・・・・・・人を好きになるというのは、命懸けということなんでしょうか?私にはわからなくて・・・・・・」


 「・・・・・・すまない。わたしにもわからないな・・・・・・」

 あぐりのことは好きだった。

 でも自分を選ばなかったあぐりを憎らしく思ったこともある。


 あぐりが佐々木を選んだ理由を理解出来ない佐伯には、あかねの問いに答えることは出来なかった。


 「すみません・・・・・・変なこと言ってしまって・・・・・・でも、佐伯さんには不思議と何でも話せる気がして・・・・・・ご迷惑ですよね?」

 少し上目遣いに見つめるあかねに、佐伯はドキッとする。


 「いや・・・・・君と話していると少し気が紛れたよ・・・・・・ありがとう」

 「良かったぁ・・・・・・良かったら、またご一緒してくださいますか?」

 「あ、あぁ。もちろん・・・・・・」

 にこりと嬉しそうに微笑むあかねに、佐伯も悪い気はしない。


 「じゃあ、そろそろ戻ろうか?皆が帰ってくる前に・・・・・・」

 そう言って背中を向けて歩き出す佐伯の姿に、あかねは冷ややかな笑みを浮かべた。




 それから三日後の8月10日。


 相変わらず相撲興行のことで大忙しの壬生浪士組。

 皆が出払ったあとの屯所には、留守居役を申し出た佐伯とあかねの姿しかなかった。


 この三日の間、あかねは暇を見つけては佐伯と話し随分親しくなっていた。

 会話の内容は取り留めないものだったが、明らかに佐伯の態度は柔らかくなっている。

 あかねにとっては待ちにまった好機だった。



 この日。

 散歩に誘ったあかねが向かったのは、佐々木とあぐりが死んだ場所だった。

 花を手向(たむ)けたいと言うあかねに佐伯は断りきれず、渋々ながらも着いていく。


 断れば、必ず「何故?」と聞かれる。

 それを考えると黙って着いて行くのが得策だと考えたのだろう。

 黙ったまま前を歩くあかねの背中に視線を送っていると、ちょうどあぐりが自害したその場所であかねは足を止めた。


 「ここですよね?・・・・・・あぐりさんが自害されたのは・・・・・・」

 振り返ったあかねの瞳は冷ややかなものだった。

 「い、いや・・・・・わたしは知らないが・・・・・・」

 そう答えながらも佐伯の背中には、冷たい汗が流れる。


 「そうですか・・・・・・ご存知ない、ですか・・・・・・」

 真っ直ぐに見据えたあかねの瞳に、佐伯は動くことが出来なかった。


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