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第二十四話



 数日ゆっくり身体を休めることが出来たあかねは、この日久しぶりに気分のいい朝を迎えていた。

 窓の外はまだ薄暗く、夜明けまでもう少しと言ったところだろう。


 (まだ誰も起きてはいないだろうな。ここはお礼も兼ねて朝食(あさげ)の支度でもしておきますか・・・・・・)

 そう考えたあかねは、布団から抜け出すとさっさと身支度を整え台所に向かう。


 手馴れた手つきで味噌汁を作りながら、ふと屯所のことを思い出す。

 (みんな・・・・・・ちゃんと食べてるかな・・・・・・)

 小皿を手に、味見をし満足そうに頷く。

 「ん、美味(おい)しい」

 (まぁ、いつも手伝ってくれてたし・・・・・心配することもないよねぇ?)

 そう思いなおすと、漬物を切り始めた。


 そのあかねの勘は、見事に外れているのだが。

 そこは、まぁ・・・・・・知らぬが仏というやつだ。



 「あれまぁ・・・・・誰かと思おたらあかねはんやないの?・・・・・・えぇ匂いがすると思おたら・・・・・もう起きても大丈夫なんどすか?」

 ふいに聞こえた声の方を見ると、そこにはまだ少し眠そうな顔をした幾松が立っていた。

 寝起き、とはいえ。

 美人はどんな時でも美人だ、とあかねは心の中で呟く。


 「あっ、おはようございます・・・・・・この通り、もう大丈夫です!」

 幾松に向かってブンブンと音がしそうな程腕をまわすと、あかねは笑顔を見せた。


 「お世話になったので、せめて食事の支度ぐらいはさせて貰おうと思って・・・・・・」

 「それはおおきに。きっと皆喜びますえ?」

 元気そうなあかねの姿を見て安心したのか、幾松はいつもの優しい笑みを浮かべた。


 「そういえば、あかねはん?おうちの人が心配したはるんと違う?大丈夫?」

 もう何日もここに居て、家族も心配しているだろうと幾松はずっと気になっていた。

 そんな幾松の問いに、あかねは急に暗い表情をする。

 いや、正確に言うとわざと(・・・)だ。


 「・・・・・・・大丈夫・・・・です」

 「どないしたん?帰れへん事情でもあるん?」

 あかねの様子に何かあると思った幾松が更に聞く。


 「・・・・・・いえ・・・・・・」

 「うちで良かったら話して?なんか力になれるかもしれへんし・・・・・・もう他人やあらへんのどすし・・・・・・な?」

 言いにくそうにするあかねの手を幾松はそっと握った。


 「・・・・・・家族は・・・・・・いません・・・・・・」

 「・・・・・え?」

 (つぶや)くように言ったあかねの言葉に、幾松は驚いたように目を見開く。


 「京には・・・・・・生き別かれになったままの兄を・・・探しに来たんです・・・・・・」

 「!・・・・・・そうやったん?・・・・・・無理に聞いたりして堪忍え?」

 悲しそうに言うあかねの顔は、幾松の目には今にも泣き出しそうに見えた。


 「い、いえ。そんな・・・・・・」

 「ほな、行くとこ無いのと違うの?良かったら、ここにおってもええんよ?きっとこれも何かの縁やろうし・・・・・な?そうしよし?せめてお兄はんが見つかるまで、な?」

 握っていた手に力を込め、優しい口調で諭すように話す幾松の姿にあかねは少し罪悪感を感じていた。


 「で、でも・・・・・・」

 「遠慮なんかすることあらへん。困った時はお互い様やて言うたやろ?」

 「・・・・・・いいんですか?」

 申し訳なさそうな表情を浮かべ、(うかが)うように幾松を見る。


 「ええんよ。それにここは置屋え?女子(おなご)の1人や2人増えたかて、どおってことおまへん。好きなだけおったらええんよ?」

 「ありがとうございますっ!幾松さんっ!」

 深々と頭を下げるあかね。

 「ほな、決まりやね」

 あかねの嬉しそうな声に、幾松は満足そうに笑った。


 そんな幾松の顔を見ながら、あかねは心の中で何回も詫びていた。

 (ごめんなさい・・・・・・幾松さん・・・・・・)


 他人(ひと)を騙して、その懐に潜り込む。

 隠密である以上、それが任務だ。

 今まで何度、何人、騙してきたことか・・・・・・。


 その度に、胸が締め付けられる。

 けれど、これが自分の使命だ。

 そう自分に何度も言い聞かせてきた。

 それでもやっぱり・・・・・・。

 胸は痛む。




 ― 壬生浪士組屯所 芹沢の部屋 ―


 珍しく。

 清々しい気分で目覚めた。

 一体、いつ以来だろう。

 こんなに朝早くから目が開いたのは・・・・・・。


 そう思いながら、自分の腕に心地よい重みがあるのに気づく。

 そこには規則正しい寝息を立てる、お梅の姿があった。



 あぁ、そうか。

 久しぶりに欲しいものが手に入ったからか。



 思わず笑みが(こぼ)れる。

 幸せそうに自分の腕の中で眠るお梅の寝顔を見ながら、その髪を優しく撫でた。



 昨日―


 いつもなら昼過ぎに顔を見せるお梅が、いつまでたっても姿を見せない。

 内心、苛立ちを覚えながらもそれを押さえるために芹沢は町をブラついていた。


 (今夜はひとり、やけ酒だな)

 そう思いながら調達したばかりの酒をブラブラさせながら歩いていると、一軒の八百屋が目に入った。

 その八百屋の店先に、「看板娘」という言葉が似合う娘が呼び込みをしていたからだ。


 (ちょっとからかって暇つぶしでもするか・・・・・・)

 そんな軽い気持ちで、芹沢は店の前で足を止める。


 「なかなか、可愛い娘じゃのぅ・・・・・・どれ、ワシの女房にでもなるか?」

 いきなりの言葉にその娘は目を丸くしたが、やがてキャッキャッと笑った。


 「いややわぁ、お侍はんったらっ・・・・・・売り物はウチやのうて野菜どすえ?」

 「なんじゃ、そうなのか?それは残念じゃなぁ」

 その娘の笑顔を見ていると、不思議とさっきまでの苛立ちが薄れていった。


 「もうっ、ご冗談ばっかりっ」

 「いや、ワシは真面目な男じゃからな?いつでも、嫁に来ていいぞ?」

 急に真面目な表情で言ってみる芹沢を、娘はさらに笑い飛ばした。


 「それどしたら、この茄子なんかお嫁にどうどす?今が旬どすえ?」

 そう切り返した娘に、芹沢は豪快に笑った。

 「なんじゃ、なかなかの商売上手じゃなぁ・・・・・娘、名は?」

 「へぇ、あぐりと申します。どうぞ、ご贔屓に」

 軽く会釈して答えた娘の名に、芹沢は聞き覚えがあった。


 「そうか、そなたがあぐりか・・・・・・」

 「へぇ・・・・・・?」

 芹沢の様子に首を傾げるあぐり。


 「佐々木という者を知っておるじゃろ?」

 「!・・・・・・も、もしかして・・・・・・壬生浪士組の方どすか?」

 驚いたように目を丸くするあぐりに、芹沢は小さく頷いて見せる。


 「その茄子、貰っていこうかのぉ?」

 「へ、へぇ・・・・・おおきに」

 芹沢に言われて慌てて茄子を包む。

 その手は少し震えていた。


 「あやつは真面目な男じゃからな・・・・・・大事にしてくれると思うぞ?」

 差し出された包みを受け取ると、何の前置きもなしにそう告げる。

 その言葉に、あぐりは少し顔を赤くした。

 

 「お、おおきに・・・・・・あの・・・・?」

 代金を払って立ち去ろうとする芹沢に、あぐりが声を掛ける。

 「おぉ、ワシは局長の芹沢だ。何か困ったことがあればいつでも相談にのるぞ?ついでに嫁にも貰ってやるぞ?」

 茶目っ気たっぷりの顔でそういい残すと、「わはは」と笑いながら芹沢はそのまま立ち去って行く。

 その背中を見送りながら、あぐりは「おおきに」と何度も呟くと頭を下げていた。



 あぐりと別れて、屯所に戻った芹沢を待っていたのはお梅だった。


 「なんじゃ、来ておったのか・・・・・・金ならないぞ?」

 もう今日は来ないだろうと思っていた芹沢は、お梅が待っていたことが嬉しかった。

 でも、それを表情に出すようなことは出来ない。


 所詮は人の(もの)だ。

 どんなに欲しがっても手に入ることはない。

 それはわかっている。

 けれど、どうしようもなく惹かれている自分に芹沢は腹立たしかった。


 「知ってます・・・・・・そんなこと・・・・・・」

 心なしか冷たい芹沢の言葉に、お梅は顔を上げることなく答えた。


 「なら・・・・・何しにきた?」

 突き放すような物言いしか出来ない自分に、情けなくなる。

 でも、苦しいのだ。

 どうしようもなく。


 どんなに想ってみても報われないなら。

 いっそ、嫌われた方がマシだ。

 そうすれば諦めもつく。


 「もう・・・・・・帰れまへんっ」

 そう言って顔を上げたお梅の目には、うっすら涙が浮かんでいた。

 「全部・・・・・全部っ、あんたのせいやっ」


 訳がわからなかった。


 お梅が泣いていることも。

 自分のせいだと言ったことも。

 そして・・・・・・。

 今、自分がお梅に抱きつかれている現実も。


 子供のように泣きじゃくりながら、お梅は芹沢の胸にしがみついて何度も何度も呟く。

 「あんたのせいやっ・・・・・・あんたに()うたからやっ・・・・・あんたなんて、あんたなんてっ・・・・・・嫌いどしたのにぃ・・・・・・」


 身体は震わせて泣くお梅の身体に、芹沢は自然と腕をまわしていた。

 「帰るとこが無くなったなら・・・・・・ここにいればいい・・・・・・」

 「・・・・・・初めっから・・・ヒック・・・・・そのつもりどすっ!」


 泣きながらもいつものような言葉を()くお梅に、芹沢は苦笑いを浮かべる。

 「気の強い女じゃのぉ・・・・・・」

 そう呟きながらも、お梅の身体を強く抱きしめる。


 そこに彼女がいることを確かめるかのように。

 これが、夢ではないことを確認するかのように。


 ただ強く抱きしめ、その紅い唇に何度も答えを求め温もりを確認する。

 これが、夢ではないと実感出来るまで。

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