第二十三話
「ん・・・・・・」
深い眠りから覚めたあかねは少しぼおっとする頭のまま、ゆっくり瞼をあげた。
部屋の外からは楽しそうな笑い声が聞こえる。
声のする方へと顔を向けるが、襖の模様が自分の部屋のものと違うことに気づき、もう一度天井に目をやる。
(どこだっけ・・・・・・)
見知らぬ部屋。
聞きなれない人の声。
ゆっくり記憶の糸を辿るが、イマイチ状況が掴めない。
三本木まで来たのは確かの筈だ。
いや、正直言うと自信はない。
ゆっくり身体を起こすと、倒れる前よりも随分身体が楽になっていることに気づく。
あの時感じた吐き気と頭痛は、すっかり無くなっていた。
少し身体にだるさは残っているが、ずっと寝ていたせいかもしれない。
(どのぐらい眠っていたんだろう・・・・・・)
開けられた窓から心地良い風が舞い込み、フワリとあかねの髪を揺らす。
外の日差しは照りつけるようなものではなさそうだ。
(夕刻・・・・・・か・・・・・・)
屯所を出たのが朝だったから、半日は眠っていたことになる。
ボンヤリと外を眺めながら、そんなことを考えていると襖が開けられた。
「やっと目ぇ覚めはったんどすか?このまま気がつかぁらへんかったら、どないしよぉか思いましたえ?」
入ってきた女の顔には安堵の色が浮かんでいた。
「どうどす?気分は?」
その女は襖を閉めると、あかねの寝ている布団の側に座る。
「おかげさまで、もう大丈夫です。ご迷惑おかけしてしまって・・・・・・」
言いながらもあかねは、申し訳なさそうに深々と頭を下げた。
「困ったときはお互い様って昔から言いますやろ?・・・・・・それよりお腹空いてまへんか?丸一日眠ってはったんどすえ?」
あかねの様子に、ふふっと優しい笑みを浮かべた女。
男なら癒されると喜んだだろうが、あかねはそんな冗談が思い浮かばないほど衝撃的な言葉が耳に残っていた。
「えっ!?丸、一日!?」
「そおどすえ?よっぽど疲れてはったんどすなぁ」
目を丸くしてその言葉を繰り返すあかね。
そんなあかねの様子に女は更に目尻を下げていた。
「そうや、名前!聞いてまへんどしたなぁ・・・・・・うちは幾松言います」
(幾松っ!?)
その名を聞いて驚きながらも、なんとか顔には出さないようにするあかね。
「あ、申し遅れました。あかねと申します。大変ご迷惑おかけし、その上お世話になったというのに名乗ることもせず、申し訳ありません」
「名乗れんかったんは気ぃ失ぉてはったんやから、仕方おへんやないの?それに目ぇ覚ましてくれはっただけで充分。可愛らしい名前も聞かせて貰うたことやし、気にせんといてな?」
「ありがとうございます」
「・・・・・ほな、ちょっと待ってておくれやす。今お粥でも用意させますさかい・・・・・・な?」
そう言い残した幾松はにっこり笑って部屋を出て行く。
(いや、ほんと・・・・・・自分の運の強さに感謝だね・・・・・・)
当初の予定とは違ったが、思いがけず幾松の側に潜り込むことに成功した。
こんな幸運、ないだろう。
倒れたときは最悪だと思ったが。
結果良ければ全て良し、である。
あかねはひとりになった部屋の中で、コッソリとほくそ笑んでいた。
― 京都 市中 ―
隊務を終えた佐々木愛次郎は、いつもより早足で目的地へ向かっていた。
時折、右手を懐へと入れそこにちゃんとそれがあることを確かめる。
壬生浪士組が会津藩から給金を賜ったあの日から、佐々木はずっと悩んでいた。
この給金で大好きな人に何か贈りたい。
ずっとそう思いながら、何がいいのかわからなかった。
何しろ生まれて初めての感情である。
そもそも女子というものが、何を贈られれば喜ぶのかなど知るはずもなかった。
それが、今日。
偶然隊務で通りかかった店先で、彼女に似合いそうなものを見つけたのだ。
それはお世辞にも豪華なものとは言えない。
小さな花を散りばめただけの、質素な簪。
でも、彼女にとても良く似合いそうだと思った。
その簪をつけた彼女の笑顔が思い浮かぶほどに。
(喜んでくれる、かな・・・・・・)
そう思いながらも、顔は自然と緩んでしまう。
佐々木は通いなれた道を少し早足になりながら通り抜ける。
店の前まで来た佐々木は、思わず町屋の角に身を隠していた。
目的地である八百屋の前に、局長である芹沢の姿があったからだ。
そっと覗いてみると、芹沢が八百屋の娘あぐりと話しているのが見えた。
(どうしてこんなところに芹沢局長が・・・・・・)
不思議に思いながらも、芹沢が立ち去るのを息を顰めじっと待つ。
小半時ほど経った頃だろうか。
楽しそうに話しこんでいた芹沢が、やっとその場を立ち去った。
どんな話をしていたかは聞こえなかったが、佐々木は言い知れぬ不安に襲われる。
それは。
芹沢が壬生浪士組の中でも、もっとも女好きで有名だったから。
その証拠に最近では屯所に女を連れ込んでいるという噂まである。
その上。怒ると手がつけられないほどの乱暴者だという事も知っていた。
もし、芹沢が彼女を気に入ったと言い出したらどうしよう。
自分は局長にはっきりと言えるのだろうか。
そんな風に考える自分自身が、とても情けなくて泣きたくなる。
佐々木はギュッと目を閉じると、大きな溜め息を吐く。
(出直そう・・・・・・)
とてもじゃないが今の自分では、彼女に贈り物をする資格はない。
(これは・・・・・・もっと自分に自信が持てるようになってから渡そう)
彼女を護れる自信がついたら渡そう。
胸を張って
「誰にも渡さない」
そう言える自分になったら。
そう思いなおすと手に持っていた簪を握り締め、懐へとなおすと来た道を引き返す。
(あぐり・・・・・・それまで待っていてくれ・・・・・・)
― 壬生浪士組 屯所 ―
静まり返った屯所の中で近藤と土方は向き合ったまま、難しい表情をしていた。
「八坂神社での相撲興行はいいとして・・・・・・」
「あぁ、もうひとつの場所は・・・・・・ここ、だな」
土方は地図を指で指し示す。
「やはり・・・・・・壬生寺か?」
「あぁ。俺たちが仕切ったことを皆に知らしめるには、絶好の場所だろ?」
ふふんっと得意気に眉を上げる土方に、近藤はやれやれと息を吐く。
二人が話しているのは、来月に迫った相撲興行のことだ。
わざわざ出向いてくれる力士たちの為にも、ちゃんと仕切ってやりたい。
近藤はそう思っていたが、土方の方は壬生浪士組の名を売り込む良い機会だと考えていた。
その上。
このことを聞きつけた京都相撲の興行主から、是非参加したいとの申し出を受けた。
これは盛り上がる。
土方にとっては願ったり叶ったり・・・・・・というところだろう。
準備することは多々あった。
なにより力士たちの宿所を押さえなければならない。
そんな時に京都相撲からの申し出だ。
受けない筈はない。
大坂から来る力士の宿を提供するなら、参加を認めるという交換条件であっさり問題は解決された。
「その頃には、あかねくんも戻ってきているかな?」
ふと、近藤があかねの名を口にすると土方はフッと笑みを浮かべる。
「さぁな・・・・・・しかし、すっかり静かになったな。ここは」
「そうだな」
「それに・・・・・・メシが不味くなった」
土方が心底嫌そうな表情を浮かべ愚痴ると、近藤は苦笑いするしかなかった。
「はは、それは仕方ないさ」
「まったく・・・・・今までアイツ等・・・・・何を手伝ってやがったんだか・・・・・・」
そう呟くと土方は、深い溜め息を吐いた。
補足です。
小半時・・・・・約30分ぐらい




