第二十二話
屯所を出たあかねが向かったのは、三本木にある花街だった。
数日の情報収集で何も掴めなかったわけではない。
たったひとつだが、かなり有力な情報を得ていたのだ。
それは。
三本木の芸妓、幾松が長州の桂小五郎の想い人つまりは恋人だという話だ。
情報を得たのは偶然だったが、信憑性はかなり高い。
というより、現状ではそれに懸けるしかなかったというのが本音だ。
桂小五郎。
長州藩の中心的人物。
幕府側からすれば、要注意人物。
壬生浪士組も常々その命を狙っていた。
その要注意人物の想い人と言われる芸妓が三本木にいるとわかった時点で、あかねの気持ちは固まっていた。
自分が取るべき行動はただひとつだ。
(今日も暑いな・・・・・・・)
照りつける日差しを恨めしそうに見上げると、グラリと一瞬だけ視界が歪んだ気がする。
(あれっ・・・・・・?)
思わず町屋の壁に手をつき、そこに背中を預ける。
(・・・・・・暑さのせい・・・・・・かな・・・・・・)
フラフラとした足取りのまま。
それでもあかねは目的地へと足を進めた。
日陰を選びながら歩いて行くが、だんだん足を動かす感覚がなくなってくる。
(あれ・・・・・・ちょ・・・・・・やばい、かも・・・・・・)
そう思ったと同時に、意識は遠のき身体は前のめりに倒れていく。
「ちょっと、誰か来ておくれやすっ!」
「なんえ?大きな声で・・・・・・あれ、まぁ!」
置屋の中から出てきた女が、倒れているあかねを見つけて大声を上げる。
「娘はんっ!?大丈夫どすか!?しっかりしなはれっ」
身体を揺すってみるが、反応はない。
「と、とりあえず中に運んでっ、ちょっとトメ吉っ!手伝おておくれやすっ」
トメ吉と呼ばれた男が店から出てくると、慌ててあかねの身体を持ち上げ置屋の中に消えて行く。
「・・・・・・ん・・・・・・」
あかねは額に乗せられた冷たいものの感触にゆっくり目を開ける。
(・・・・・・どこだっけ?・・・・・・)
そこには知らない天井と、知らない人の気配。
「良かった・・・・・・気ぃつきはりましたか?」
優しい女の声に、視線をゆっくり移す。
「気分はどうどすか?」
上品な顔つきの女が自分を心配そうに覗き込んでいるのを見た瞬間、あかねの思考がグルグルと巡り始めた。
「・・・・・・え・・・・っと・・・・・・」
「ウチとこの前に倒れてはったんどすえ?」
その言葉を聞いて、あかねはやっと理解する。
幾松のいる置屋を訪ねるつもりで三本木まで来たことを。
だが、ここ数日の睡眠不足とこの暑さのせいで倒れてしまったようだ。
「す、すいません。ご迷惑をおかけして・・・・・・」
働かない頭のまま、なんとか詫びるとその女は優しい笑みを浮かべた。
「それはええんどすけど・・・・・・気分はどうどすか?お医者はん呼びましょか?」
「い、いえ・・・・・・大丈夫です・・・・・・」
そう言って身体を起こそうとするが、目の前がグルグル回って起き上がれない。
「やっぱりまだ辛そうやねぇ?顔色かて悪いし・・・・・・」
「すみません・・・・・・」
うつろな目で謝るあかねに、その人は優しく微笑む。
「気にせんでもええんよ?それより、もう少し眠った方が・・・・・・」
「ありが・・・・・・と・・う・・・・・」
女の言葉に安心したのか、あかねはそのまま重い瞼を閉じた。
あかねが運ばれた置屋の外には、銀三の姿があった。
(あの馬鹿・・・・・・無理ばっかりするから・・・・・・)
あかねがしばらく屯所を離れると聞いて、何かあると思った銀三はこっそりあかねの後をつけて来たのだ。
何の相談もしてくれなかったことを寂しいと思ったが、それは今に始まったことではない。
幼い頃から、肝心なことはいつも言わずに一人で抱え込む。
何度言っても治らなかった悪いクセだ。
(まったく・・・・・・お前は変わらないな・・・・・・)
こっちは何度寂しく思ったことか。
何度悔しく思ったことか。
だからこそ余計に放っては置けなかったのも、また事実だが。
そんな風に思いながら、あかねに気づかれぬように後を追っていた。
そのあかねの様子に異変を感じたのは、ついさっきだ。
あれっ?と思っているうちに、あかねがその場に倒れた。
「!!・・・・おいっ!!」
その光景に一瞬、銀三は全身の血の気が引くのを感じていた。
思わず駆け寄ろうと飛び出した銀三だったが、すぐに足を止め身を隠す。
置屋の中から人が出てきたからだ。
(・・・・・・・)
身を潜めながらも様子を見守っていると、あっという間にあかねは置屋の中へと運ばれていった。
(・・・・完全に・・・出そびれた・・・・・・・って言うか、これが目的だったのか?)
そう思えなくもない。
だが、運ばれていくあかねの顔色は真っ青だったのも確かだ。
(まぁ、居場所がわかっているだけでも・・・・・・いいか・・・・・・けど・・・・・・あんなところに何があるって言うんだ?)
ひとり首を傾げながらも、銀三はその場を後にする。
― 八木邸離れ 芹沢の部屋 ―
「あかねがいないとつまらんのぉ」
独り言のように呟いた芹沢の言葉を、お梅は不機嫌そうな声で聞き返す。
「誰どす?」
自分以外の女の名を耳にし、いい気分ではなかったのか少し睨むような目つきをする。
女の性というやつか。
そう感じた芹沢は口の端を少し上げて笑みを浮かべる。
「なんじゃ、妬いてるのか?」
「!!っそんなんと違いますっ、変な勘違いせんといてっ」
怒ったようにプイッと顔を背けると、お梅は芹沢に背中を向けた。
(そんなことをされれば、余計にそう思えるわい・・・・・・)
芹沢はふっと笑みを浮かべ、そっとお梅に近づくと後ろからそっと腕をまわし優しく抱きしめる。
「!!」
急に抱きしめられ驚いたのか、お梅は身体を硬くした。
「嫌よ嫌よも好きのうち・・・・・・ってやつか?」
「ち、違いますっ・・・・・・そんなんと・・・・・・違います・・・・・・」
否定的な言葉を並べながらも、お梅の声はだんだんと自信なさ気に小さくなっていく。
身体にまわされた腕を振りほどこうともしない。
(いい香りがする・・・・・・男を惑わす香りだな・・・・・・)
お梅を腕の中に閉じ込めながら、芹沢はボンヤリそんなことを考えていた。
「うち・・・・・・今日は帰ります・・・・・・」
搾り出すような小さな声でお梅が言うと、芹沢はまわしていた腕を解く。
「・・・・・・そうか・・・・・・」
背中に感じていた体温が離れると同時に、お梅は芹沢の方を振り返った。
「引きとめへんの・・・・・・どすか?」
「なんだ。引きとめて欲しいのか?」
お梅の問いに、芹沢はいつもの不敵な笑みを浮かべて問い返す。
その言葉に、お梅はカァッと顔を赤くするとスクッと立ち上がった。
「明日は必ず払て貰いますからねっ」
赤い顔で捨て台詞を吐くと、そのまま部屋から出て行く。
それを無言のまま見送ると
「可愛い反応をしおって・・・・・・」
と、芹沢は独り笑みを浮かべていた。