第十九話
― 壬生浪士組 屯所 ―
土方副長の部屋
「ホントなんですってばぁ。ねぇ、聞いてます?土方さんっ?」
「あぁ?ウルセーなぁ。そんなお前の夢の話にまで付き合える程こっちはヒマじゃねぇっ」
「だから、夢じゃなくってぇ」
「夢に決まってんだろ?んなコト誰が信じるかよっ」
背中を向けたままの土方に、総司はぷうっと膨れる。
先ほどから総司が必死に話しているのは、もちろん昨夜のカラスの事だ。
だが、総司の話をまともに土方が聞く筈もなく・・・・・・・。
「どうせ、夢でも見てたんだろう」と取り合ってもくれない。
「どうした?総司。何を膨れているんだ?」
突然、上から降り注いだ声に総司は「待ってました」とばかりに顔を輝かせた。
「近藤先生っ!聞いてくださいよっ!あかねさんがねっ、カラスを肩に乗せて文を結んでねっ、そしたらバーッて大きな翼を広げて飛んで行ったんですっ」
「??」
これでは、伝わらないのも当然だ。
そんな総司の説明を何回も聞かされている土方は、ガックリ肩を落とすと深い深い溜め息を吐く。
「えー・・・・と。あかねくんがバーッと飛んだのかい?」
うな垂れる土方を尻目に真面目に答える近藤。
「違いますよぉ、近藤先生。飛んだのはあかねさんの肩に乗ってたカラスの方ですってばぁ」
「あぁ、飛んだのはカラスの方だったのか・・・・・・・」
既に話の論点からズレているのだが。
その事に気づきながらも近藤は「なるほどなるほど」と頷く。
「だぁーっ!!もうっいい加減にしろっ!総司。カラスが人の肩にとまる訳ねぇだろっ!つまらねぇこと言ってねぇで、出て行けっ!」
「まぁまぁ、トシ」
土方に怒鳴られてシュンとしている総司を慰めるように、近藤は総司の頭を撫でた。
「なかなか面白いじゃないか、わたしも一度見てみたいぞ?カラスが人に懐いている姿・・・・・・」
総司の頭を撫でながらも、近藤の口ぶりは信じていない事を表していた。
「ホントなのに・・・・・・」
― 鞍馬 山中 ―
昼を過ぎるとさすが七月ということもあってか、じっとしていても汗ばむ陽気だ。
そんな暑い日差しの中、あかねは鞍馬の山の中を走り抜けていた。
いや、実際には木から木へと飛び移っていたという方が正しいが。
とにかく、鞍馬の山の上にある里へと急いでいた。
昨夜、シロが届けてくれた文には『話したいことがあるので一度戻れ』とだけ書かれていた。
義母であり師匠でもある里親からわざわざ呼ばれるということは、なにか重大な話なのだろうと思い、あかねはすぐに鞍馬へと向かった・・・というわけだ。
「!?」
前だけを見て進んでいたあかねが、ふと背後に誰かの気配を感じる。
(殺気っ!?)
それを感じると同時に、あかねに向かって突然振り下ろされた剣。
振り返りながらも、持っていた短刀を抜くとその太刀を受け止めた。
― キ、ンッ ―
刀と刀がぶつかる音と共にあかねは敵の姿を確認しようと視線を上げる。
「!?!?」
そんなあかねの視界に入ったのは、白髪頭に同じく白髪髭を蓄えた老人の姿だった。
― ギギギッ ―
お互いの刀がぶつかったままで体重をかけているので、刀が擦れ合う音が静かな山の中に響き渡る。
― キンッ ―
次の瞬間、互いが離れて別々の木に降り立った。
「よく反応したのぉ?あかね?」
その老人はニヤリと笑みを浮かべ、刀を鞘に納めた。
「頭領!?い、いつ京に!?」
目をこれでもかという程見開いて驚くあかねに、その老人が満足そうに笑う。
「驚いたか!?驚いたじゃろう??なんじゃ、鳩が豆鉄砲を喰ろうたような顔をしおって」
がはは。と笑う頭領を見ながら、あかねは呆れた表情を浮かべていた。
「あれだけ殺気を込められれば、誰だって反応しますよ・・・・・・」
溜め息交じりに呟くと、あかねも構えていた短刀を懐へと戻した。
「まさか・・・・・・私を驚かすために呼んだわけではないですよね?」
「その、まさか。だったらどうする?」
意地悪そうにニヤニヤ笑う頭領の顔に、あかねは無言のまま背を向けると来た道を戻ろうとする。
「う、嘘じゃ嘘っ!お主を呼んだのはバァさんじゃっ」
背中を向けたあかねに頭領は慌てて声を掛けると、あかねの立っている木へ飛び移り腕を掴んで制止した。
「なら、いいですけど・・・・・・・何かあったのですか?わざわざ私を呼ぶなんて?」
「ま、詳しい話はバァさんから聞け。行くぞ」
そう言い残し、先を行く頭領の背中を追いかけながらあかねはクスリと笑みを浮かべていた。
(まったく、いつまで経っても変わらない人ですね・・・・・・・)
この老人こそが、江戸城御庭番 第17代頭領 服部半蔵 その人だ。
現在は代替わりをしているので、先代ということにはなるが。
ちなみに服部半蔵という名は、代々継承していく頭領の証で現在は18代目がその名を継ぎ江戸城を守っている。
そして、あかねが師匠と呼ぶ義母は朝廷に仕える隠密の長を務めている現役のくの一である。
元々は別々に任務に就いていた2人が、若かりし頃恋に落ち一緒になったので幕府にも朝廷にも繋がる一族になってしまったらしい。
つまり。
この国でこの2人以上、情報を把握している者もないだろう。
まぁ世の流れが公武合体へと流れるまでは大変だったらしいが・・・・・・。
― 鞍馬山 ―
「よく戻った。壬生浪士組での暮らしはどうじゃ?」
「はい。おかげさまで充実した日々を過ごしています」
「そうか。ならば良い」
里の中心に建てられた邸の中であかねの帰りを待っていたのは、歳のせいで真っ白になってしまった長い髪を後ろに束ねた義母だった。
(何ヶ月ぶりだろう・・・・・・)
そう思いながらも何も変わっていない義母の姿に、あかねは少しホッとしていた。
「銀三の奴はうまくやっておるか?」
囲炉裏を挟んで師匠の向かいにあかねが座ると、その間に頭領が座る。
「はい。会津様の信頼も厚く、壬生浪士組では副長助勤として毎日忙しそうに飛び回っていますよ」
「そうか。アヤツは昔から真面目じゃからのぉ・・・・・・その姿が目に浮かぶわい」
あかねの言葉に目を閉じた頭領が満足そうな笑みを浮かべる。
「最初は驚きましたよ?まさかあそこに居るとは思ってなかったので・・・・・・」
というか実際は、総司のことで頭がいっぱいだったのでそこまで気が回らなかったのだが。
「ところで頭領?」
「もう頭領ではない」
「・・・・・・では、元頭領?」
あかねが敢えて「元」という言葉に力を込めて言うと、頭領は心底嫌そうな顔を向ける。
「・・・・・・嫌がらせか!?・・・・・・これからは翁と呼べっ翁とっ!」
フンッ!と顔を横に向けて拗ねたフリをする年寄りの姿に、あかねは溜め息を吐いた。
「・・・・・・では、翁・・・・・・何故京に?」
「なんじゃ、ワシはもう隠居の身ぞ?どこにいてもおかしくはないじゃろうが?・・・・・・それに、そろそろバァさんとゆっくりしたいと思ってな」
何が悪い?とでも言いたげな表情をする翁の言葉に、今度は師匠が溜め息を吐いた。
「こっちはまだ現役じゃというのに、ゆっくりも何もなかろう・・・・・・」
「良いのじゃ。もう老い先短い命じゃ・・・・・・せめて最期ぐらいはバァさんの顔を見ながら過ごしたいと思ってのぉ」
「まったく勝手なジジイじゃ」
サラリと言ってのけた翁の言葉に、まんざらでもない表情の師匠。
そんな2人の姿を見ながら、あかねは「そういえば2人が揃うのはいつ以来だろう」とボンヤリ思っていた。
「ところで、師匠?わざわざシロを寄越してまで、私に話したかったこととは何でしょう?」
「まだ、確定情報ではない・・・・・・が、お前の耳には入れておくべきだろうと思ってのぉ」
少し眼を伏せた師匠の顔が、いつもより増して真剣なものに見えてあかねは無意識に姿勢を正した。
「朝廷内に不審な動きがある」
「!?」
驚きのあまり目を見開いたまま固まるあかね。
だが、師匠は構うことなく言葉を続けた。
「長州とよしみを通じておる公家がおる」
「なっ!?まさかっ!?」
「・・・・・・じゃから言っておるであろう?確定情報ではない、と」
思いがけぬ話にあかねはわが耳を疑った。
長州は過激な思想をもつ反乱分子。
少なくとも、壬生浪士組の中ではそう思われている。
その長州と密接な関係を持つということは、即ち幕府を良く思っていないことは明らかだ。
「・・・・・・たとえ不確かなことであっても師匠の耳に入るということは、なんらかの疑わしき点があるからなのでしょう?」
「まぁ、そうなのじゃが・・・・・・これから事の真意を確かめる・・・・・・じゃが、今のお主は幕府に仕える壬生浪士組の一員。気をつけるに越した事はないと思ってのぉ」
「わかりました。心に留めておきます」
真面目な顔で話す2人の間で、翁は大きな欠伸をするとゴロンと寝転びボヤく。
「いつまで経っても公武一和はならんのぉ。帝と将軍は手を取り合おうとしているというに・・・臣下たちがいつまでも争いのタネを産む、か・・・・・・情けないもんじゃな」
「と・・・翁・・・」
「何を今更。人は争う生き物ぞ。徳川の世となり泰平などと言われてきたが・・・・・今までにも水面下で幾度となく血を流してきた・・・・・此度はちょっとばかり表立っているだけのこと。これが人の世の悲しい性というものじゃ」
表面上で幾ら「平和」などと取り繕ってはみても、小さな小競り合いがなかったわけではない。
誰かが笑えばその影で誰かが泣いている。
それが世の常だというのだから堪らない。
「・・・・・・・・・・・」
2人の悲しそうな表情に、あかねは思わず言葉を失くしていた。
忍びという裏稼業であるが故にずっと目にしてきたこの世の闇。
そこには魑魅魍魎と化した者たちの地獄絵図が広がっていた。
表で笑みを見せながら裏で鬼神と化す人の姿。
それが泰平の世に隠されてきた人の業。
恐らくは。
一歩でも足を踏み入れれば逃げることの叶わない、生き地獄。