第十六話
文久三年 六月末日
水口藩の用意した宴席に、芹沢派の面々が満足気な様子で出かけて行くのを見送ったあかねはホッと胸を撫で下ろしていた。
なんとか、最悪の展開だけは避けられた。
それだけでも良しとしよう。
それが本音だった。
「なぁにをコソコソ動いてやがるんだ?お前は?」
急に背後から降ってきた声に、あかねは「きゃあっ!?」と飛び上がるほど驚いた。
振り返るとそこには腕組みした土方の姿があった。
「な、な、なんのことでしょう??」
誤魔化そうとするあかねに、土方は鋭い視線を浴びせる。
「トボけるんじゃねぇぞ?最近、お前が芹沢さんの部屋に出入りしてるのは知ってるんだぜ?俺の目を誤魔化せると思うなよ?」
「はぁ・・・・・・もう、やだなぁ・・・・・・このまま一件落着っといきたかったんですけど・・・・・・」
ブツブツとボヤきながらも、あかねは要点だけを話し始める。
もちろん芹沢が島原で揚屋を脅して遊んでいることや、あかねと明里が知り合いだということなどの詳細は省いてだが。
聞き終えた土方は煙管を取り出し火を点けると、フーっと白い息を吐いた。
「お前・・・・・・なかなかの策士だな」
「!?」
「そうなるように、誘導したんだろ?」
そう言うと土方はニヤっと不敵な笑みを浮かべる。
「!!ま、まさかっ、そんな・・・・・・」
「隠すなよ?お前からは俺と同じ匂いがするからなぁ」
咥えた煙管を吸い込みながら、クルリとあかねに背を向ける。
(!?)
驚くあかねにチラリと視線を送ると、また不敵な笑みを浮かべる。
「期待してるぜ?隠密さんよぉ」
そう言い残して立ち去る土方の背中を見ながら、あかねは少し嬉しく思った。
土方が初めて、自分を認めるような言葉を言ったのだ。
嬉しくない筈がない。
その背中を小走りで追いかけると、土方の横に並び少し見上げて小首を傾げると悪戯っ子のような表情を浮かべてこう言った。
「副長ほど、黒くないですよ?」
「チっ」
あかねの言葉に舌打ちしながらも、土方の表情はどこか優しかった。
「もうっ!だから違うって言ってるじゃないですかぁ!」
「隠さなくってもいいんだぜ?俺たちはお前たちの味方をしてやるって言ってるんだからよぉ?」
「だぁーかぁーらぁー、味方もなにもそういう感情ではないんですってばぁ!」
ここは永倉の部屋である。
先日からひとり悶々と考え続けていた永倉が、やっと総司を捕まえ話を聞いてやると無理矢理連れ込んだのだ。
お互い副長助勤の立場なのだから時間がすれ違うことは多かったのだが、こんな時に限って余計にすれ違うものだ、と永倉は苦々しく思っていた。
「隠す事ねぇって。力になるからよぉ」
「だから、隠してませんってばっ」
こんなやりとりが小半時ほど続いていた。
「あれだけ親しく接してながら、妹みたいに思ってるって言われても信じれるわけねぇだろうが・・・・・・本当の事言って、ラクになっちまえよ?」
「だから、さっきから何度も言ってるじゃないですかぁ。あかねさんのことは妹のように思っているだけで、恋とかそうゆう感情ではないとっ!」
(というか、本当に妹なんですってばっ)
さすがの総司も同じ事ばかり言っていることに、少々ウンザリした様子だ。
というより、いっそ本当の事を話してしまえば解放して貰えるのでは・・・・・・とさえ思えるほど、永倉の追及は執拗なものだった。
だが、永倉の方は勝手に妄想を広げていく。
「んなわけねぇだろ?歳も同じぐらいの女を相手に妹みたいだって言われても、はい。そうですかって納得出来るわけねぇだろうが・・・・・・それとも何か?恋仲ではなく、お前の一方的な想いなのか?だから隠すのか?」
永倉の言葉に総司は深い溜息と共に、ガックリ肩を落とす。
(話してしまおうか・・・・・・・)
そう何度も思うが、その度に土方が鬼のような形相で睨む顔が頭に浮かぶ。
(土方さん怒らせたら・・・・・・ホント鬼みたいだし・・・・・・)
睨む土方の顔を消し去るように頭をブンブン振る。
「違いますってば!あーもうっ!どうしたら信じてくれるんですか!?」
だんだん嫌気が差してきた総司が投げやりな態度でぷぅっとむくれるが、永倉はお構いなしだ。
「認めたら信じてやるよ」
「それじゃあ意味ないじゃないですかぁ!?」
ぎゃあぎゃあと言い合う二人に、突然バンっと部屋の襖が開けられた。
「うるせぇぞ!お前らっ!さっきから何をギャアギャア騒いでやがるんだっ!?」
総司と永倉が同時に廊下の方を見ると、そこには明らかに不機嫌な顔をした土方が仁王立ちで二人を睨みつけていた。
「ひ、土方さぁん!」
助けを求めるように、総司は土方に駆け寄ると少し涙目で訴えた。
「助けてくださいよぉ!永倉さんがわたしとあかねさんのことを恋仲だろうって疑うんですよぉ!?土方さんからも、違うって言ってくださいっ」
「あぁ?」
総司の言葉に土方の表情は更に不機嫌になっていく。
「・・・・・・・てめぇらっ、昼間っからそんなつまんねぇことで騒いでやがったのかっ!?」
「「ひっ!?」」
土方の怒鳴り声に、二人は怯えた表情で慌てて正座をする。
「まったく、お前ら副長助勤としての自覚が足らねェんじゃねぇのか!?」
呆れた奴らだ。
とでも言わんばかりに、土方は深い溜息を吐く。
「おいっ!新八っ!総司にあかねの面倒を見てやれって言ったのは俺だっ!男所帯でなにかと困ることもあるだろうと思ってそうしたが、何か問題でもあんのかぁ?」
蛇に睨まれた蛙。
その言葉がピッタリくるほどだ。
ギロリと睨まれた永倉はブンブンと音がするほど首を横に振った。
「な、ないです!!」
「それから総司っ!俺は面倒を見てやれとは言ったが、誤解されろとは言ってねぇぞ!?ちょっとは周りの目を気にしろっ!!」
「はいっ!!」
「わかったら、ちぃったぁ静かにしやがれっ!」
そう言い残すと、バタンッと襖は閉じられドスンドスンっという足音と共に土方は自室へと戻って行った。
「「はぁぁぁ」」
部屋に残された二人は溜息と同時にその場で力なく崩れる。
「だから、違うって言ったでしょ?」
「あ、あぁ・・・・・・悪かったなぁ、総司・・・・・・」
2人は倒れ込んだままで、どちらからともなく笑い声を立て始めた。
「しっかし、やっぱ、怖ぇなぁ・・・・・・アノ人は・・・・・・」
ひと通り笑い終えると、溜息交じりに永倉が呟いた。
「まったくアイツ等ときたら、緊張感ってものが無ぇな。ちったぁあかねを見習えってんだ・・・・・・」
永倉の部屋から戻ってきた土方が、溜息交じりに呟く。
そんな土方の言葉に、近藤は読んでいた文から視線を上げる。
「ん?あかねくんがどうかしたのか?」
「あ、いや・・・・・・なんでもねぇよ」
わざわざ報告することも無いか、と土方は言葉を濁す。
それをわざわざ問いただすようなことは、もちろん近藤もしない。
「で?あの2人は何を騒いでいたんだ?」
「あぁ、つまらねぇことだ。総司とあかねが親しげなのを見て、永倉が勘違いしたみてぇで出来てるだの出来てないだの・・・・・・今はそれどころじゃねぇってんだ」
土方のぼやきに近藤は「まぁまぁ」と宥める。
「永倉くんが勘違いするのも無理ないさ。なにしろアノ一件以来、総司は女子を避けてきたからなぁ・・・・・・その総司が気にかける女子がいれば、永倉くんじゃなくても目につくだろうよ・・・・・・・そうか・・・・・・いっその事、総司の女ということにしてはどうだ?さすれば、彼女の貞操も守られて要らぬ心配をすることも無くなるだろ?総司相手に横恋慕するような命知らずは、そうそういないだろうし・・・・・・」
ははは。と冗談交じりに近藤が言うと、土方は煙管を取り出そうとしていた手を止めた。
「あぁ?どうせ同じ嘘つくんなら、局長の女ってことにした方が確実だろうが?・・・・・・っていうか、あの女は自分の身ぐらい守れるさ。あれだけの腕だぜ?手篭めにしようもんなら命を落とすのは必至だろうよ」
そう言うと鼻で笑って、煙管に火をつける。
「それも、そうか・・・・・・」
土方の言葉に、近藤は頷きながらも複雑な笑みを浮かべる。
(手篭めにしようとして命を落とすか・・・・・・無きにしもあらずというところだが、そこだけを聞けば恐ろしい女子だな・・・・・・)
その光景を想像したのか、近藤はブルッと身震いをする。
「?・・・・・それより、山崎からの報告はどうだったんだ?」
「あ、あぁ・・・・・まぁ、相変わらず・・・・・・と言ったところかな?これといって大きな動きはないが、安心出来るって状況というわけでもない。ま、山崎くんの報告のおかげで危険分子を潰している成果が出ているのかもしれんがね」
報告書を手に近藤が溜息を吐く。
「ま、地道にやるしかねぇわな・・・・・・・」
土方も白い煙を吐きながら、深く頷いた。
その頃、あかねは自室で月を眺めていた。
朝になれば嫌でももたらされる、悪い知らせなど知る由もなく・・・・・・・。
ただ、スッキリした面持ちで静かに輝く月を見上げていた。
補足です。
小半時・・・・・約30分ぐらいのこと。