第十五話
島原からの帰り道。
あかねは事の発端となった水口藩の藩邸へと足を運んでいた。
策は無い。
だが、このまま屯所に帰る気にはなれない。
相手は芹沢のことなど知らない筈だが、相手の様子を確認すれば策の練りようもあるかもしれない。
ただ漠然とそんな事を考えながら、藩邸の周りを歩いていた。
忍び込むなら夜の方が見つかりにくい。
そんな事は百も承知だが、明るいうちに下見をしておくのは当然といえば当然のことだ。
(いっそ、使いの者のフリをして正面から入るか?・・・・・・いや、さすがにこのご時世では素直に通してくれないか・・・・・・・明里さん妓さんの名前を使うか?・・・・・・いやいや、迷惑を掛ける訳にはいかないか・・・・・・)
ああでもない、こうでもない、と考えあぐねているとひそひそと話す声が聞こえ、反射的にあかねは木陰に身を隠す。
「壬生狼の芹沢が?・・・・・・まことか?」
ひとりの男が怯えたような表情で足を止める。
その隣を歩いていた男がそれに気づき、足を止めると大きく頷いた。
「あぁ、まことだ。先日の島原での話・・・・・・どうやら隣の部屋に芹沢がいたらしい。妓が知らせをよこしたから間違いない」
「ど、どうするのだっ、壬生狼の芹沢と言えば、一番タチの悪い輩と聞くぞ?そのような者に目を付けられれば・・・・・・・」
言いながらもその男はブルッと身震いをする。
「ま、まさか・・・・・さすがに会津藩御預の身で、そのような無茶は・・・・・・」
「いや、その芹沢と言う男。先日は大阪で道を譲らなかった力士をバッサリ切り捨てたとも聞き及ぶ・・・・・・我らの思う以上に凶暴なやつかも知れぬぞっ!?」
ふたりの男の顔色はみるみる青くなっていく。
その様子を木陰から窺っていたあかねは、思ったより簡単に解決出来そうだと胸を撫でおろしていた。
まぁ、その理由のひとつが芹沢の普段の行いにあることが功を奏したのは、なんとも納得し難い事実ではあるのだが。
何はともあれ青ざめ立ち尽くす2人の男には申し訳ないと思いつつも、あかねはその場を離れると屯所へと向かった。
一方。
壬生浪士組屯所。
副長助勤の一人でもある永倉新八は、同じく副長助勤を務める原田左之助と共に難しい顔をして何かを考え込んでいた。
「で、どう思うよ?左之?」
「どうって言われても・・・・・・なぁ?」
「だよなぁ・・・・・・こんなこと初めてだしよぉ・・・・・・」
「俺たちの考えすぎってこともあるんじゃねぇのか?」
「でも、この間のアレはどう見ても・・・・・・」
「そうだよなぁ・・・・・・」
互いに疑問をぶつけ合うが、これでは埒が明かない。
「いっそ、本人に聞いてみるかぁ?それが一番早えぇんじゃねぇの?」
そう言うと、永倉はゴロンと仰向けに寝転んだ。
2人が話しているのは、この間の総司とあかねのことだ。
いやに仲良さ気な2人の態度を目の当たりにして、戸惑っているのだ。
手と手を取り合い、微笑む姿はどう見ても恋仲にしか見えなかった。
他のヤツなら気にも留めずからかっただろうが、相手が総司となれば話は別だ。
しかもあかねを紹介されたときに『絶対に手を出すな』と土方に釘を刺されたことが、ここにきて鮮明に思い出される。
「ま、そりゃそうだな。俺ちょっと総司を探してくるわ」
黙り込んだ永倉を尻目に、原田は立ち上がると部屋を出て行く。
じっとしていられない性分なのだ。
(総司に限って・・・・・・なぁ)
土方の言葉はこの際置いておくとしても、総司が女子に近づくことなど永倉には信じられなかった。
(あれ以来・・・・・・か・・・・・・)
ぼんやり天井を見つめ昔を思い返す。
(あの一件以来、総司が女に近づくことは無かった・・・・・・一度も、だ。なのに、あかねにはあんなにも親しげに・・・・・・それこそ本気ということか?)
まさか。とは思いながらも、そんな考えが頭を過ぎった。
(だとしたら、その想い護ってやることが俺に出来るたったひとつの事か・・・・・・土方さん、怒るだろうな・・・・・・いや、意外に喜ぶんじゃねぇか?・・・・・・いやいや、今の土方さんじゃあそれは無いか)
土方歳三という男は、壬生浪士組を名乗るようになってから変わった。
昔から厳しい男ではあったが、昔はそんな中でも甘さが残っていた。
今では更に厳しくなった上に、甘さのカケラも無くなった。
それが壬生浪士組という組織をまとめる為には必要だということは、試衛館時代から共に過ごしてきた自分たちには充分すぎるほど理解出来た。
(てぇ事はだ。土方さんにバレるのが一番ヤバイってことかぁ?いや、待てよ。いっそ正直に全部吐いちまって、総司の女だから手を出すなっ!って言った方が、あかねは安全なんじゃねぇのか?総司相手に向かってくるような命知らずな馬鹿はいねぇだろうし・・・・・・)
悶々と考え続ける永倉は未だ戻らぬ原田を、苛立ちながらも待ち続けていた。
話は戻って。
壬生に戻ったあかねは屯所ではなく、八木邸の離れへと足を運んでいた。
芹沢の部屋の前まで来ると、少し緊張した面持ちで足を止めその場で正座をする。
「わかりましたぞ、芹沢先生」
声を掛けようとしたあかねの耳に、中で話す男の声が聞こえた。
声の主は、いつも芹沢と行動を共にしている新見錦のものだと判断するのに時間は掛からなかった。
「この間の水口藩の者ですが・・・・・・」
中での話題が明里から聞いた一件だとわかると、躊躇うことなく襖に手を掛けた。
「失礼します、芹沢局長」
襖を開け軽く一礼する。
「おぉ、あかねではないか。如何した?ワシに何か用か?」
芹沢はあかねの姿に少し頬を緩める。
「いえ、お茶でもどうかと思いまして伺ったのですが・・・・・・お邪魔でしたか?」
上目遣いに見つめられて、女好きの芹沢が邪険に扱うはずもなく・・・・・・あかねは部屋へ入るように促される。
「ちょうど、喉が渇いておったところじゃ」
「何やら難しいお話でもされていたのですか?」
ささっと芹沢の側に座ると、湯呑に茶を注ぎながら新見の方を見る。
「新見さんが、眉間にシワを寄せておられるので・・・・・・」
言われた新見が、自分の眉間を確認するかのように擦る。
「なかなか鋭いことを言うのぉ?・・・・・・ちょっと、腹立たしいことがあってな」
言いながらも芹沢は、あかねの淹れた茶を一口啜る。
「左様にございましたか・・・・・・それは酒に流せるようなことではございませぬのでしょうか?」
「?酒に、流す・・・・とな?」
聞き返す芹沢に、あかねは微笑みながら言葉を続ける。
「はい。昔から水に流すという言葉がございますが、お酒好きの芹沢局長なら酒に流すというほうがピッタリくると申しましょうか・・・・・・何があったかは存じませぬが、大抵のことであれば懐の深い局長のことですからそれでお許し頂けるのでは・・・・・・と思いまして・・・・・・」
あかねの言葉に鉄扇を持っていた芹沢の手がピタリと止まる。
それを見た新見が顔を強張らせてあかねを怒鳴りつけた。
「ば、馬鹿を申すなっ!そのようなことで、誤魔化されるような話ではないわっ」
新見の剣幕に慌ててあかねは頭を下げる。
「差し出たことを申してしまい、申し訳御座いません。然しながら芹沢局長はお心の広いお方ゆえ、お許し頂けるかと思い・・・・・・」
頭を下げながらもあかねは至って冷静だった。
「よいよい、新見。そのように大声を上げるな。あかねが怖がってしまうではないか」
「し、しかし・・・・・・」
芹沢は反論しようとする新見の言葉を止めるかのように、バタンっと鉄扇とたたむと頭を下げるあかねの肩をポンッと軽く叩き、頭を上げるように促す。
「面白いではないか。その提案、使わせて貰うぞ?」
芹沢の顔はあかねを見ながらニッと笑っていた。
「元はといえば酒の席での無礼故・・・・・・・それを酒の席でなかったことにしてやるなど、なかなか粋ではないか?のぉ、新見?・・・・・・さすれば、このワシの男っぷりに遊女も惚れ直すとは思わぬか?おぉ!これぞ一石二鳥というものではないか?」
まるで遊女に囲まれている想像でもしているかのように、芹沢は鼻の下を伸ばして妄想に耽る。
「は、はぁ・・・・・・」
さすがの新見も芹沢には強くは言えない。
「やはり芹沢局長は懐の深いお方にございますね。私のような者の言う戯言をお聞きくださるとは・・・・・・」
あかねは感激の表情を見せると、ニコっと微笑んだ。
「いやいや、我らでは到底思いつかなかったぞ?天晴れなのはそなたの方じゃ」
そう言うと手にした鉄扇をバサッと広げ、パタパタ扇ぎだす。
「お褒めに預り光栄に御座います。私に出来ることがございましたら、なんなりとお申し付け下さいませ」
深々と頭を下げながらも、あかねは緩む口元を抑えられなかった。
ここまでくれば一件落着、となったも同然だ。
この芹沢の提案を、さきほどの水口藩の者たちが受け入れない筈はない。
と、あかねは確信していた。
「おぉ、ではひとつ使いを頼めるか?島原までひとっ走り・・・・・・」
「はい!もちろんです!」
芹沢からの使いを頼まれたあかねは、その足で島原へと走り明里に理由を話すとすぐ様、水口藩への文を持たせてくれた。
知らせを聞いた当の本人たちは。
先ほどまでの怯えた表情を一変させ飛び上がりそうなほど喜び、今にも泣きそうな表情を浮かべながら文を運んできたあかねに何度も礼を述べた。
日時も場所もすぐに決められ、あかねはすぐ様それを芹沢に伝える。
報告を聞いた芹沢は豪快に笑い「ただ酒が飲めるぞ!」と手放しで喜び、早速祝い酒だと飲み始めてしまう。あかねはそれに付き合いながらホッと胸を撫で下ろしていた。