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第百四十五話

 御所を巻き込んでの騒乱から1週間ほどが経ち、少しづつ日常を取り戻し始めた壬生村。

 長州討伐として大坂に下っていた隊士たちも戻り、留守を守っていた山南と藤堂に久しぶりの休暇が与えられた。

 2人とも自分たちだけが休むのは忍びないからと辞退を申し出たのだが・・・。


 「オメェらを待ってる女の為にやった休暇だ。四の五の言わずに女のところに行ってこいっ!」

と土方によって半ば無理やり屯所から放り出されていた。


 「相変わらず不器用な人だなぁ、副長は」

 「えぇ。わかりにくい優しさですよね・・・でも、折角ですからご厚意に甘えるとしましょうか?」

 「そうですね。俺もシマのことは気がかりだったんで・・・行って無事を確認してきます。もう少ししたら江戸に行くことになってますし、それも伝えておきたいんで」

 「それがいい」

 「山南さんも会いに行くんでしょう?」

 「そうですね。少し頭を休めて整理したいこともあるので」

 ふと空を仰ぐように顔を上げた山南の表情が曇る。


 「・・・あのことは」

 「まだ誰にも言ってません・・・どうしても言い出せなくて」

 「俺も、です・・・いずれは近藤さん達の耳にも入るんだろうけど」

 「言えない。というより、信じたくない気持ちが勝っていて、口に出せば事実だと認めることになる気がして・・・口にしたくない」

 「そうですね・・・俺もあれは悪夢だと思いたい。でも、現実なんですよね」

 暗い表情で俯く藤堂。


 このまま2人で顔を付き合わせていてはどんどん深みにはまって抜け出せなくなる。

 そう思い直した山南が藤堂の肩をポンっと叩いた。


 「そんな顔していては彼女に心配かけてしまうよ?さぁ、今日だけは嫌なことを忘れてお互い気を休めに行くとしようか」

 優しい笑みを浮かべる山南に藤堂も表情を緩めて頷いた。

 「じゃ、俺はこっちなんで・・・山南さんもちゃんと骨休めしてきて下さいよ?」

 「あぁ、ありがとう。それじゃ、ここで」

 祇園に向かって歩く藤堂の背中を見送りながら山南は小さな溜息を零す。

 (藤堂くんの辛そうな顔を見たくはない・・・けれど、あの日ひとりじゃなかった事には感謝しているんだ)



***



 「今日の山南はん・・・なんや心ここに在らずいう感じどすなぁ」

 「これ、お志乃。いらんこと言うてんとお酒(もろう)てきよし」

 「はーい」

 禿がパタパタと出て行くと、部屋の中はシンと静まり返り他の部屋から漏れている三味線の音がやけに大きく聞こえてくる。


 「堪忍え?山南はん」

 「いや、お志乃の言う通りだ。すまない」

 「・・・何がおましたんえ?」

 「すまない」

 固く口を閉ざす山南を見ながら、明里は柔らかな笑みを浮かべた。


 「・・・気にせんといておくれやす。けど、山南はんが話しとなったらいつでも聞きますさかい・・・ひとりで苦しまんといて欲しいんどす。うちは何があっても山南はんの味方やってこと、忘れんといておくれやすな?」

 「明里・・・ありがとう」


 山南の苦しそうな顔を見ているとどうしようもなく哀しくなる。

 仕事であったことを話して貰えるとは思ってはいないが、寂しさが込み上げるのも事実だ。

 信頼されていないからだ。などとは思っていないが、少しでも山南の苦しさ辛さを分かち合いたいと願うのは惚れているからだろう。


 「ろくに寝てはらへんのと違います?今夜ぐらいはゆっくり寝ておくれやす。寝んと疲れも取れしまへんえ?」

 何も聞かず穏やかに笑う明里に山南は堪らなく愛おしさが込み上げ、その温かな身体を抱き寄せる。


 「君は本当にいい(おんな)だね」

 「山南はん・・・あったかい」

 「君といると心に積もった澱が消えていく気がするよ」

 「うちも・・・山南はんとこうしてる時が何よりも幸せどす」

 山南の背中に腕をまわし胸元に顔を寄せるとトクン、と心臓の音がする。

 何よりも落ち着く愛おしい人の鼓動は生きていることの証だ。


 「うちは何にも持ってへんけど、山南はんを好いてるこの気持ちだけは誰にも負けへん自信があるんどす」

 「明里・・・」

 そっと顎に手をやり唇を寄せる。


 「わたしも君を想うこの気持ちだけは嘘偽りなく本物だよ。君といると心が穏やかになって救われる。叶うならずっとこうしていたいよ」


 ふわりと柔らかく笑む山南を見ていると、それだけで明里は幸せな気持ちが込み上げてくる。

 たとえそれが叶わない望みだとわかっていても夢を見ずにはいられない。


 「その言葉だけで十分うちは幸せどす。好いたお人からそんな言葉を貰えるやなんて・・・これ以上望んだらバチが当たってしまいますなぁ」

 少し潤んだ瞳を向けると山南の力強い腕が明里の身体を褥へと押し倒す。



 互いの体温を確かめ合ったあと、心地良いまどろみの中で山南がポツリポツリと話し始めた。


 「わたしは新撰組の総長だから、幕府の為ならいつでも命を投げ出す覚悟は出来ているつもりだった・・・」

 「・・・山南はん?」

 「けれど・・・今の幕府は本当に命をかけるに値するのだろうか?などと思ってしまう自分がいたりして少し複雑なんだ」

 「何があったんどす?山南はんの覚悟を揺るがすやなんて、余程のことがあったんどすやろ?」

 「・・・先日御所近くから火の手が上がったことは知っているかい?」

 「へぇ。あの日は強い風に煽られて町にも燃え広がったと聞いてます」

 「あの日わたしは壬生の屯所にいたのだけど、火事の一報を聞いて消火にあたろうと御所に向かったんだ。そしてその途中の六角牢で・・・」

 「六角牢で?」

 「捕らえられていた囚人たちを・・・惨殺する役人たちの狂気を見てしまった。まるで何かに取り憑かれているかのように、牢の中の囚人たちを串刺しにする役人たちの姿を」

 「!!」

 「火の手が迫ってくれば囚人を安全なところに移動させなければならない・・・その道中で逃げる者もいるだろう。あそこにいた多くの物は幕府側にとっては敵だ・・・・・だからと言って裁きを受ける前に・・・あんなっ」

 「山南はんっ、もう」

 山南の悲痛な横顔にたまらず明里は言葉を遮るとその身体を抱きしめる。

 「そないに苦しまんといておくれやす。うちは阿呆やさかい、なんにも出来しまへん。こうして抱きしめることぐらいしか出来まへんけど・・・山南はんはなんにも(わるぅ)ない、(わるぅ)ないんやさかい」

 「明里・・・・・・すまない、君にこんな話しをしてしまって、本当にすまない」

 「うちのことなんか気にせんでえぇんどす。そんなことより山南はんの方が心配なんどす。いつか壊れてしまうんやないかて。優しすぎるんや、山南はんは。そこが好きなんどすけど、そない優しかったらいつか身を滅ぼしてしまいます。うちはそれが怖い・・・・・・お願いやからひとりで抱え込むのはやめておくれやす。お願いやから置いていかんといてっ」


 ハラハラと涙を流しながら抱きつく明里のぬくもりは本当に心地が良かった。

 心に積もる澱が消えると言ったのは嘘ではない。

 廓の中に生きながらも彼女の心は穢れを知らない少女のように曇りなく、澄んだ空のように綺麗で、そしてあたたかい。だから惹かれこんなにも溺れてしまった。

 まさか遊女相手に本気になるとは思ってもみなかったが、今は彼女に惚れている自分が好きだったりもする。きっと人らしくいられるのは彼女のおかげだ。だからいつかこの籠から解き放ってやりたいと思っている。いつになるかわからないから口には出さないが。


 「ありがとう、明里。君がいてくれてわたしは本当に幸せだよ。わたしの代わりに泣いてくれる君が、わたしの心の拠り所だ。だから、わたしは大丈夫。君を置いてなどいかないよ?わたしが戻るのは君のところだけだからね。あ、いや、なんだかありきたりな口説き文句みたいだな、違うんだ、そういうんじゃなくて」

 「違うんどすか?」

 うるうるした瞳で見つめられるとドギマギする。


 「いや、違わない、けど、違うんだ、いやそうじゃなくて」

 急に焦りだす山南に明里が吹き出す。

 「ぷっ・・・、いややわ山南はん。ほんまに可愛いおひと。うちも山南はんが居てくれはるだけで幸せどす。いややわ、なんや遊女の常套句みたいになってしもた」

 目尻に涙を残したまま明里が笑うとオロオロしていた山南も吹き出した。


 まだ大丈夫。

 きっと大丈夫。

 もう少し頑張れる。

 山南は少しだけ霧が晴れたような気がしていた。

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