第百四十四話
鷹司邸から燃え広がった火がようやく収まり、消火にあたっていた新選組に長州軍追討の命令が下ったのは3日後のことだった。
『山崎から大坂に入り、逃げた長州の残党を捕縛せよ』
という会津からの命に従い進軍していた一行だったが、山崎に入ったところで思いもよらぬ光景を目にすることになる。
「こ、いつは・・・一体どうなっていやがるんだ?」
目の前に広がる光景を呆然と眺める原田。
「おい、これっ!」
驚きの声を上げた永倉が遺体の側に置かれていた一枚の紙を拾い上げる。
「なんです、それ?」
ひと通り辺りを見回した総司が永倉に視線を向けている。
正確には永倉の持つ紙に、だが。
「あ、あぁ。なんつーか、この状況を説明してくれてる、のか?」
なぜか疑問形で返す永倉に土方が近寄り紙を覗き込む。
『切腹致し候』
ただその一言だけが書かれていて誰が書いたか全く不明である。
その紙の側にある遺体には確かに切腹とみられる刀傷もあるが、それにしては不自然な傷も多い。
「切腹って・・・この現場を見てそう思えったって、いくらなんでも無理あるよな?」
顎に手を当て近藤に視線を流す土方。
同意を求められた近藤は困ったように腕を組み「うーん」と唸る。
そんな彼らを見ながら斉藤一は表情を変えることなく、全てを見切っていた。
(あかね達が動いたんだな。しかし敢えて切腹の文字を残したということは・・・そう処理せよ。ということか?それにしても他の兵士たちは切腹で通っても、あの傷だらけの男はそうもいくまい)
ひとり自問自答を繰り返しつつ傷だらけの遺体に近づく。
(これは!まさか、真木和泉殿か?!・・・そうだとするなら・・・傷の理由も、ここで何があったかも、だいたいの予想はつくが)
すっかり自分の世界に浸かりきっていた銀三に声をかけたのは総司だった。
「斉藤さん?」
「・・・・・」
「何か気にかかることでもあるんですか?」
「・・・沖田さん。あ、いや・・・この男、もしかして真木和泉じゃないかと思いまして」
「えっ?!」
「いや、ちゃんと会ったことなど当然ないので確信は出来ませんが・・・」
「もし斉藤さんの読みが正しければ・・・」
そこまで言ってふと総司が動きを止める。
「沖田さん?」
「あ、すみません。わたし、ちょっと、近藤さんに報告を」
妙に動揺している総司に銀三は気づかぬふりで返事をする。
「えぇ。お願いします」
(あの様子だと沖田さんも気づいたのかもしれんな。誰が関わったか・・・もしかするとそれを見越してこの状態を作ったのか?いや、新選組がここに来ることを予測出来たとは思えんな。それとも真木和泉に情をかけたか・・・。いずれにしてもあかねの仕業に間違いはないが・・・)
幼馴染として、里の仲間として、銀三が気にかかるのはあかねの心だった。
少しは罪の意識から解放されたのだろうか?
少しは己を許す気になったのだろうか?
出来ることなら会って確かめたい。
けれど今はそれが出来ない。
それがとても歯痒く、けれど会ってどんな言葉をかければいいのかわからず、時だけが過ぎて行く。
思えば池田屋の一件があった日から会っていない。
総司たちと違い、会おうと思えば会えたはずなのだが・・・結局足が向かないままこんな騒動になってしまった。
自分でも冷たい男だと思う。
いつからこんな卑怯者になってしまったのかと、自分でも嫌になるのだが勇気が出ないのだ。
***
近藤のところに行った総司は耳打ちするかのように小さな声で自分の考えを話し始める。
「この一件、もしかするとあかねさんが関わっているかもしれません。とりあえずここは切腹ということで報告しておくのが得策かもしれません」
「「えっ?!」」
「あの傷だらけのご遺体・・・もしかすると真木和泉殿じゃないかと斉藤さんが言ってます。もしそうならあかねさんが関わっていてもおかしくないと思いませんか?」
「待て、総司。もしお前の言うようにあかねが関わっているとしたら、だ。あの傷の多さはおかしくないか?あいつなら一太刀で仕留められるはずだろう?」
「確かにそうですけど・・・。でも幕軍は皆、消火活動に駆り出されていて長州軍を追っていたところはないはずでしょ?そんな中で自由に動けた者がいたとしたら・・・朝廷側の者しか考えられません」
「確かに総司のいう事には一理ある、がトシのいう事も尤もだ。どちらも間違った意見だとは思えんが・・・ここはありのまま容保様に報告するべきだろう。我らが勝手に判断するわけにいくまい」
「・・・・・・そうですね・・・では会津様のところには斉藤さんに行って貰いませんか?」
「斉藤に?」
「はい。どこに残党が潜んでいるかわからないからと言って、多くの人員を割けるほど隊士はいません。その点、斉藤さんならひとりでも大丈夫でしょうし、会津の方も知った顔なら話を聞いてくれるでしょうし」
「オメェにしちゃ珍しく的確なこと言うじゃねぇか。・・・コトあかねに関わるかもしれねぇとなるとお前も冴えるんだな」
「失礼なっ。でも・・・当たっているので反論しませんけど」
「でも、まぁ・・・本当にあかねが関わっていたとしても真実を知る術を俺たちは持っていない。どこまでいってもそれは希望でしかないな」
「私の勘はあかねさんだと言っていますが、そんなもの気休めになりませんよね?せめて一目でもいいから無事な姿を見ることが出来ればいいのですが・・・そう簡単にはいかないでしょうし」
「そう、だな。だいたいあかねが姿を消した理由がわからん。俺たちの元では仕事がやりにくくなったってのか?それならそうと言ってくれりゃいいものを・・・どうにも『自分のことは死んだと思ってくれ』と言われているような気がしてならねぇ。そうしなきゃならねぇ理由ってなんだよ」
「そんなのわかりませんよ」
「オメェ双子なんだからわかれよ」
「またそんな無茶を言う・・・わかるものならわたしだってわかりたいですよっ」
「そりゃそうか」
ガシガシと自分の頭を掻いた土方がなんとも言えない表情をする。
「ともかく、だ。今は先に進んでひとりでも多くの残党を見つけなきゃならねぇ。近藤さん、ここは総司の言うように斉藤に任せて俺たち本隊は先に進もう」
「そうだな、そうするしかないな」
***
「あれで良かったのですか?」
「ん?」
「いくら真木殿が切腹をしたと言っても、あの傷だらけの姿を見て信じる人がいるかどうか・・・」
「いや。切腹として処理するよ、あの慶喜公なら。それに長州としても首謀者が死んでくれた方が都合いいだろうし、それが切腹なら願ったり叶ったりでしょ」
「まぁ、そうでしょうけど」
あかねの口から全てを聞かされた真木和泉は、憑きものが取れたかのように穏やかな表情をしていた。
自ら兵たちに切腹を言い渡し、全部見届けたあとで自身も果てた。
「来島殿もそうでしたが・・・なぜ武士としての最期をお許しになられたのですか?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
いつもの朱里なら答えなくてもそのままやり過ごしてくれるはずだが、今日は違うらしい。
無言ながらも引く気のない視線を感じつつ、答えを探す。
どうやら今までと違うことに戸惑っているのは自分だけではないようだが、なぜと聞かれると答えに困ってしまう。自分でも不思議なくらいだ。
けれど。
「・・・・・最期の引き際ぐらいは穏やかに逝って貰いたいから・・・かな?」
「あかね様・・・」
「今でも玄にぃの死に顔が頭から離れなくて・・・死を覚悟した者は穏やかな顔で逝けるんだって知ったから」
「・・・・・・」
あかねの淋しそうな横顔に朱里は言葉を失っていた。