第百四十三話
四半刻ほど対峙していたふたりだったが互いに致命傷といえる傷はなく、真木が苦しそうに肩で息をしているのが見える。
「おのれチョロチョロと逃げおって小賢しい」
悪態をつきながらもゼイゼイと息をしながら地面に刀を突き刺し、かろうじて立つ姿はなんとも迫力のないものだった。
「存外体力はないご様子。やはり年には勝てぬと言った所でしょうか?」
一方あかねの方は息を乱すこともなく、平然としている。
その姿を苦々しく思いながらふと視線を自分の身体に落とした。
「な、なんだ、これはっ!?」
信じられないものを見るかのように目を見開く真木。
その声に呼応するかのように長州兵たちがざわつく。
「いつの間に?」
「真木殿は全てかわされていたのではなかったのか?」
次々と驚きに声を漏らす兵たち。
「着物に掠っただけ、ではなかったもか?まさか貴様、これを狙って・・・?」
身体を震わせる真木の着物はうっすらと紅く染まっていた。
「あまり力を入れられますと血が噴き出しますのでご注意を。なにぶん長物の扱いは不馴れ故、思いがけず深い傷になっているかもしれません」
「なっ!?」
体勢を崩しかけた真木が倒れまいと足に力を入れた瞬間、左足から血が噴き出した。
「ま、真木殿っ!!」
駆け寄ろうとした兵が足を踏み出すのと、タケが刀を抜き制するのはほぼ同時だった。
「一騎討ちだと言ったはずだ」
「っ!」
覆面で顔はわからないが、唯一出ている目からは静かな殺気が滲み出ている。
視線だけで人を殺せそうな迫力で睨まれ、兵士たちは動くことすら出来ずにいた。
「このような傷がいくつあろうとわたしを仕留めたことにはならんっ!!」
「えぇ。仕留めるつもりなどございません。初めに言ったはずですよ?簡単に死なせるつもりはありません、と」
「なっ!?」
一瞬にして間合いを詰めたあかねの刀が真木の右腕を斬りつける。
「あなたにとって兵士とは、ただの手駒にございましょう?」
「それが、なんだっ」
斬られた所を押さえながら真木がキッと睨みつけるが、あかねは動じることなく言葉を続けた。
「手駒がいくら死んでも替えがきくと思っていらっしゃる貴殿には到底理解出来ぬことと存じますが・・・我らにとって兵士は仲間であり家族なのです」
「家族、だと?戯言を。元は他人でしかなかろう・・・?」
言葉を返しながらも僅かに真木の唇が震える。
「えぇ。それでも我らはみな家族、なのです」
「で、では貴様らは御上の御意ではなく報復に来たと?」
「・・・いえ。長州殲滅は御上の御意でもあります・・・が。貴殿との一騎討ちは私の私情。そう申し上げたはずですよ?」
がくり、と膝を折った真木。
今になってやっとあかねの恐ろしさを実感したのか身体が震えているようにも見える。
「あの玄ニとかいう男が・・・親衛隊の一員だった、と?」
そう呟きながら真木は玄ニとの会話を思い出していた。
ーそんなことをしても長州の為にはならないっ!ー
ーあなたは兵をなんだとお思いかっ!?ー
ー御上のご意向と逆ではないかっ!ー
ーそれではこの国の未来など何も変わらないっ!!ー
何をするにも反対するその男が疎ましくなり、大坂へと遠ざけたのは誰でもなく真木自身だった。
三条実美の護衛として度々顔を合わせていたが、その度に口を出され腹立たしいと思っていた。
『ただの腕自慢が偉そうに』と。
だから理由をつけて大坂にやったのだ。
そのまま行方知れずになったと聞いた時は厄介払いが出来てホッとしたというのに。
またしてもあの男が立ちはだかるというのか?
それも朝敵という烙印を押しに舞い戻ったというのか?
「わたしは長州藩士だ。藩のためであればどんなことでもする。全ては我が殿の御為である!」
「・・・藩主殿にとっても、あなたは手駒のひとり。例えあなたがここで朽ちたところで藩主殿は気に留めることもなく、次の駒を御使いになられるだけのこと。なんにしてもこのまま長州へ帰ったところであなたに待っているのは斬首のみ」
冷たく言い放たれたあかねの言葉に、真木の心がポキンと折れた。
その通りだった。
御所に大砲を撃ち込んだのは長州藩だ。
これは曲げようのない事実である。
それが証拠に今や朝敵として追われる身となっている。
例えこの場を切り抜け帰りついたとしても藩に迷惑を掛けるだけだ。
「玄ニは貴殿を止めようとしたのではないですか?彼は誤った道に進もうとする長州を放っておくことなど出来なかったはずです」
「その、通りだ・・・何度も止めようと・・・だがわたしはそれに耳を貸すことなく彼を疎ましく思い、遠ざけた。その結果がこの様ということか・・・」
自嘲気味に笑う真木にあかねは無表情のまま告げる。
「玄ニは長州を変えることも、救うことも、出来なかった。それを悔やみ、彼はただの裏切り者として処断される為に京へ戻った・・・」
ゆっくりとしたあかねの言葉はその場にいる全ての者の耳に届いていた。
長州の兵にも、鞍馬の者にも。
「だから、池田屋にいたのか・・・」
真木の小さな呟きにあかねは頷く。
「はい。そして、死ぬ為に来た彼のその真意を見抜くことが出来ず・・・私は彼を裁くことしか出来なかった」
固く握りしめられた拳がまるで泣いているかのように小さく震える。
「お、まえが・・・?」
「えぇ。里の掟に従い、私が彼を処罰した・・・この手で」
驚きに目を見開く真木をまっすぐに見返すあかね強い眼差しが玄ニの姿と重なる。
「彼を殺した私に貴殿を責める資格などない。けれど・・・玄ニが死を選んだ理由だけはどうしても知りたかった」
(なるほど・・・。姿かたちは全く異なっていても、同じ信念を持つ・・・同志、家族、という訳か)
真木の折れた心に不思議と温かい感情が湧いていた。
その絆は自分たちにあるのだろうか?
藩主のために死ねる兵士はいるだろう。だが、自分のために命を懸けてくれる者は?
若き頃はもっと熱いものを抱えていたこともあったはずだ。友と共に未来を語り合うこともあった。
どこであの想いを捨ててしまったのだろうか。それを持ち続けていればこの現実は変わっていたのだろうか?結果的に長州を苦境に立たせ朝廷からも見放された。どこでだ?どこで間違えた?
いや、もはや詮無きこと。
わたしはここで終わるのだ。
全てを受け入れた真木の思考がふと目の前に立つ女に移る。
この女、もしや・・・・・・・・・・。
「わたしはおまえを斬らんぞ」
「っ!!」
驚きに目を丸くするあかねの表情に、真木は当たりを確信した。
「そなた言ったな。『その刀でなければならぬ』と。その刀は玄二のものであろう?わたしと刺し違えるつもりで同じ刀を手に玄二のように死ぬつもりだったな?・・・・・残念だったな、最早わたしにそんな気はない。諦めるんだな。あの世に逝ってまで玄二に恨まれるのは嫌だからな」
ニヤリと笑む真木にあかねは眉間に皺を寄せた。
なんだ。こんなにも表情豊かな顔も出来るのか。
どうやらただの鬼というわけではないらしい。
こうしていれば普通の女と変わらんではないか。
・・・・・・・・・あぁ、これを守りたかったのだろうな。
なのに守れないと知った。いや、思わせてしまったのだな。他でもないわたしが。
そのことに絶望し、死ぬ場所に選んだのが惚れた女の腕の中だったか。
馬鹿な男だ。
おかげでこんなにも苦しむことになっているではないか。
若さ故の過ちだな。・・・・・・だが、惚れた女に引導を渡して貰うとは最期としては上々。
生きている限り忘れることの出来ぬ男になったのだからな。
ふと空を見上げた真木が表情を緩める。
それは全てを受け入れたような、理解したかのような清々しい顔だった。
そのままゆっくりあかねに近寄ると、あかねにだけ聞こえるように囁く。
「玄二がおまえの元に斬られるために戻ったのなら、おまえだけは連れて逝けぬ」
「なっ、」
「ずっと疎ましく思っていた男だったが、今ならあやつの気持ちがわかる。おそらく初めて理解した気がするが、な」
「どういう・・・・・」
「それは教えてやらん。同じ男として、な。知りたければ生きて答えを探すことだ。それがきっと供養になろう。いいか、おまえは生きて見届けねばならん。この国の行く末を、な」
それだけを言い残すと真木は長州兵に向かって最期の命令を下した。