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第百四十二話

 (すべてがあかね様の思うままに事が運んでいる・・・やはりさすがと言うべきか)

 朱里はタケの横顔に目をやりながら人しれず溜息を零した。


 少し前ー。

 山崎に入ったあかねは自分が合図するまでは誰も動かないようにと指示を出した。

 ただ真木和泉の一行を取り囲み、誰ひとり逃がしてはならぬ。あとは全て自分に任せて欲しいと言ったのだ。


 その時から既に嫌な予感はしていた。

 そして、今まさに予感的中したのだ。

 ― 大将同士の一騎討ち ―

 という形で。


 (あかね様が負けることはない)

 恐らくは一瞬で勝敗は決するだろう。

 あえて一騎討ちを申し出たあかねの真意はどこにあるのか。

 忍びの長が侍のやり方に合わせてやる必要がどこにあるのか。


 声に出せない疑問を飲み込み2人に視線を向けると、あかねが見覚えのある刀を握っていた。

 「っ!?」

 驚きのあまり思わず声が出そうになる。

 覆面をしていなければきっとポカンと開いた口を見られていただろう。


 それは横にいたタケも同じだったらしく、見開いたままの目をこちらに向けてきた。

 (やはり、そうか。あれは・・・)


 玄ニの愛刀。


 池田屋からあの刀を引き上げてきたのは自分だ。

 ずっと玄ニが使っていた刀。

 見間違えることも忘れるはずもない、いつも玄ニと共にあった刀。

 最期のときまで共にあり続けた分身。


 (そういうこと、ですか。だから一騎討ちに持ち込んだと・・・あなたという人は本当にひとりで何もかも背負うつもりなのですね)

 一緒に背負わせては貰えないのは、部下として悲しむべきなのかもしれない。


 けれど。

 そんな人だからこそついて行きたいと思ったのもまた事実。

 その心の強さに惹かれ傍にいたいと願ったのは誰でもなく己自身なのだ。


 (玄ニ様。あなたが愛した人はやはり昔のまま・・・変わってなどいません)

 真っ直ぐ敵と対峙する背中は迷いひとつなく、ただ自分の信じる道だけを見据えている。


 『重き役目から解放してやりたい。忍びなど必要とされない世が来るのなら、俺はなんでもする。裏切り者にでも喜んでなってやる』


 そう言って長州へ下った玄ニの姿が鮮明に思い出されると同時に、心の奥底に封印していた筈の懐かしい思い出が蘇る。



***


 玄二が初めて不安を口にしたのは皇女和宮の降嫁が決まった時だった。


 「朝廷と幕府が表立って手を結ぶのであれば、俺たちが水面下で動く必要はなくなるな」

 「それでは我々はお役御免ということですか?」

 「そうなってくれればいいが・・・事はそんなに簡単ではないだろうな」


 玄二にしては珍しく、この夜は少し酔っているようだった。

 和宮降嫁に従いあかねも江戸へ行くことになったのだから寂しいのだろう。と朱里はボンヤリ思っていた。

 普段見ることのない玄二の饒舌な姿はある意味新鮮だったのだ。


 「どういう意味ですか?」

 「何事もない時であれば皇女が江戸に下るなどあり得ない話だろう?つまり、今は常ではなく非常事態ということだ」

 「それはまぁ、そうですが・・・」

 玄二の真意がわからず朱里は首を傾げる。


 「ここに至った経緯を考えてみろ」

 「え?それは幕府が朝廷の威光を傘に権威を取り戻したいから・・・ですよね?」

 「そうだ。つまり、幕府の権威が地に落ちているってことだろ?それも今までにないぐらいに、だ」


 事の発端は異国の巨大な船がやって来たことに始まったのだが。

 そこから異国を打ち払うべきか、開国して異国と渡り合うか、意見は真っ二つに割れている。

 異国嫌いの朝廷と異国の驚異を目の当たりにした幕府とでは意見が分かれるのは至極当然であり、故に両者の間には深い溝が出来てしまっていた。

 それを丸く収める為に湧き上がったのが皇女和宮の降嫁という策なのだ。


 「幕府に対する不信感が消える訳ではない。ならば幕府そのものを倒し、自らがこの国の頂きに立とうとするものが現れても不思議ではないだろう?」

 「っ!ま、さか」

 「その時が来たら・・・俺たちはどうなるだろうな」


 その小さな不安の種はやがてひっそりと芽を出し、知らず知らずの内に育っていくことになる。




 それは。

 あかねが京に戻ってすぐのことだった。


 「俺は京を離れる」

 「えっ?新しい任務ですか?」

 「・・・・・・まぁ、そうだな」

 「この時期に玄武隊が京を離れるとなると京の護りが」

 手薄になるのでは?と続けようとした朱里の言葉は玄二によって遮られた。


 「いや、離れるのは俺だけだ」

 「どういうことですか?」

 「江戸には龍一、いや服部半蔵がいる。京にはあかねが戻ってきた。おそらくあかねは里を継ぐことになるだろう。不本意だが俺にはもはやどうすることも出来ん」


 「それが京を離れられる事とどう関係するのですか?」

 「俺はな、朱里。あいつにそんな重荷は背負わせたくないんだ」

 「え?」

 「この先この国は荒れるだろう。そんな時に里の長になどなって苦しむあいつを見たくない。出来ることならその重き役目から解放してやりたい。忍びなど必要とされない世が来るのなら、俺はなんでもする。裏切り者にでも喜んでなってやる。その為にも京を離れて別の道というやつを模索したいんだ」


 「別の、道?」

 「あぁ。忍びなど不必要とされる新しい世を作りたい。その為にも幕府じゃ駄目だ。服部半蔵という名は幕府と共に有り続け、今更断ち切れるような薄い(えにし)ではないからな・・・・・ならばそれに代わる別の勢力に俺は望みをかけたい。俺たちを解放してくれて、あかねに平凡な日常ってやつを約束してくれるそんな居場所を作りたいんだ」

 そう言い切った玄二の顔は吹っ切れたかのように穏やかだった。


 思えばこの瞬間(とき)に玄二への恋心が芽生えたのかもしれない




  ***



 (思えば玄二様の心にはあかね様しかいなかった。いつだって里のことよりあかね様が一番だなんて・・・よく考えてみればひどい隊長なのに・・・そんな人に惹かれたわたしは相当な変わり者だ)

 ふっと笑みを零す朱里をタケが不思議そうに盗み見ていたのだが、朱里が気づくことはなかった。


 (あなたが望んだ未来とはだいぶ違うでしょうね。あなたの願いとは真逆に全てをひとりで背負い込もうとされているんですから・・・けれど。いや、だからこそ、わたしはあかね様を尊敬しています。誰よりも優しく強いあの方の傍にずっといたい)



 皆の視線が注がれる中。

 あかねはすらり、と刀を抜いていた。


 「そなたには、ちと大き過ぎるのではないか?」

 真木もまた刀を抜き去り剣先をあかねに向ける。

 「そうですね。私が扱うには長く重い。けれど、これでなければならぬ理由がありますから」

 そう言ったあかねが悲しそうに笑う。


 「そうか。ならばその刀と共に死ぬが良い。わたしは来島のようにはいかぬぞ」

 「えぇ。来島殿のように武士として死なせてあげるつもりは毛頭ありません。貴殿には皆の痛みの全てをその身に受けて頂きとうございますので」

 「女のくせに大口を叩きおって!いざっ、勝負っ!」

 言葉と同時に刀を振り上げあかねに斬りかかる真木だったが、あかねはひらりと身をかわし切っ先を真木に向かって振り下ろす。


 ― シュンッ ―


 刀が風を斬り、真木の身体が揺らぐ。

 朱里たちはそのまま真木が倒れると思っていたのだが。


 「ふんっ。掠っただけか。身の丈に合わぬものを振り回していてもわたしは仕留められぬぞ?」

 振り向いた真木の身体には傷はなく、袖が少し切れているだけだった。


 そのまま二の太刀、三の太刀とふたりの刀は合わせられるが、互いに相手に傷を負わせることは出来ていないように見える。


 「天子様の親衛隊とはこの程度のものなのか?ならば恐れることはなかったな」

 あかねの腕が大したことないと思った真木が勝ち誇ったような笑みを浮かべると、あかねの口元が何かを呟くように動いた。


 (あかね様・・・)

 「お、おい。いま・・・」

 隣にいたタケにもあかねが言った言葉がわかったのだろう。

 「言うな。最後まで見届けるのが我らの務めだ」


 ー 楽に逝かせてなどやらぬ ー


 あかねの唇は確かにそう呟いていた。


 (本来なら一撃で仕留められる所を、わざと致命傷を与えないように外しておられる。少しづつ、けれど確実に傷を負わせ追い詰めるおつもりか・・・)


 よく見ると真木の着物は所々切れている。

 それはあかねの攻撃が当たっていることを意味していた。


 (皆の痛みとはそういう意味か・・・これは長丁場になるな)

 朱里は真木の勝利を確信する長州兵たちを見ながらこの先に迎えるであろう地獄絵図を想像していた。

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