第百四十一話
「真木和泉殿とお見受け致します」
山崎に入った一行はそのまま先を急いでいたのだが。
ふと道の真ん中に黒い装束に身を包んだ女が立ちはだかり足を止めさせられる。
「いかにも。わたしが真木であるが・・・誰だ?」
黒い女を見据え、そう返答した瞬間。
どこから現れたのか数名の男たちに囲まれていた。
女と同じ黒い装束。
まるで闇に包まれたかのような錯覚すら覚える。
「なんじゃ貴様らっ!?」
一気に殺気立ち刀に手をかける真木たちだったが、それを制したのは目の前に立つ女だった。
「ご安心下さい。彼らは私の指示があるまで危害を加えることはありません」
凛とした声が響くと同時に、真木の背に嫌な汗が流れた。
「ま、さか・・・貴様」
言いようのない不安が湧き上がる。
鷹司邸で感じた迫り来る恐怖。
だが、目の前に立つのは女である。
(この女にあの来島がやられたというのか?・・・俄かには信じ難い)
「真木殿。少々お伺いしてもよろしいでしょうか?」
ぐるぐると思考を巡らせる真木に、その女は静かな声で問いかける。
「・・・この状況でわたしに選択権などあると言うのか?」
周りを取り囲む男たちを見渡し、真木は自嘲気味に笑みを零した。
「ございませんね」
にっこりと笑みをみせるその姿はどこにでもいる普通の娘。
だがその笑顔が恐怖を煽る。
もしも自分の予想が正しければ・・・。
打ち消すことが出来ない不安に駆られながらも、真木は女の言葉を待つしか出来ない。
「では単刀直入にお聞きします。玄二という男をご存知ですね?」
「げん、じ?」
誰のことか思い当たらぬ、とでも言いたげな真木の様子に側にいた男が耳打ちする。
「・・・あぁ、三条殿の側にいた愚か者のことか」
無意識のうちに漏れ出た真木の言葉に、周りを取り囲んでいた男たちのひとりが言葉を発した。
「愚か、者、だと?」
初めて聞こえた男の声。出処に目をやると、その男の肩には別の者の手が置かれ、動きを止められているように見えた。
「その男ならもう長州とは関わりないぞ。三条殿の側にもおらぬ。知らぬ間に姿を消しておったわ」
言いながらもさっきの男に目をやると、わずかに震えているようにも見える。
(隣に立っているのは・・・女、か?)
「姿を消した?」
「あ、あぁ。おおかた・・・自分が口車にのせられ長州に連れてこられたとでも思ったのであろう。あれは腕が立つから連れて行くと三条殿が熱望されたので同行させてみたが・・・思いのほか使えん男だった。いま何処にいるかなど知らん」
(あの男、わかりやすい反応をみせるな。その玄ニとかいう男と関わりがあるのは明白。ならばその男と関わりがない我らには、もはや用などないのではないか?)
少しの期待と希望が見えたのか、真木の表情に少しだけ赤みが戻る。
「口車?」
「わたしが言ったわけではないから詳細は知らぬが、朝廷のためだとか都を守るためだとか言われていたんだろう。三条殿はあくまでも公卿だからな」
「なるほど。それで長州に下ったはいいが、朝廷のためと言いつつやっていることは長州第一でしかない状況に嫌気がさして逃げ出した・・・と言ったところでしょうか?」
なんの感情も見せず、ただ淡々と語る目の前の女からは何も読み取ることじゃ出来ない。
「無礼なっ!そんなもの他藩とて同じであろう?長州だけが身勝手かのような物言いは失礼ではないかっ!」
「これは失礼。しかしどうにも姿を消したというのが解せませぬ」
「解せぬと言われても事実なのだから致し方あるまい」
「しかしながら・・・池田屋での事変の折、その男が現場にいたのもまた事実。長州を出奔したのなら、なぜあの場に居合わせたのか・・・説明がつきませぬ」
「馬鹿なっ!大坂で待てと命じたというに何故っ・・・!!」
明らかにしまったという顔つきの真木に女の口の端が上がった。
「先程のご説明とはずいぶん違うようですが?」
「・・・っだが今の居場所は本当に知らんのだっ。あの手の男は生かさず殺さず飼い馴らすのが一番と思い大坂にやったのだ」
「真木殿。全く知らぬと仰せだったのに・・・ずいぶん関わっていらっしゃったようですね?じっくりお伺いしましょうか」
女の纏う空気が変わったのを感じ、真木の身体に震えが走った。
「腕が立つ者を有益に使ったまでのこと。誰に咎められることもなかろう」
「なるほど、その通りです。それに貴殿の口ぶりから大抵の予想はつきました」
「な、なんのことだっ!?」
「その男には・・・京に多くの仲間や家族がおりました。それを全て捨て去ってでも長州について行く価値があると、彼は思ったのでしょう。残していく家族や仲間のために」
「ならば自分で納得した上でついて来たということ。何の問題もなかろう。それはその男の選んだ道だ。我らに非はない」
目の前に立つのはただの女だ。
頭ではわかっているのに言い知れぬ恐怖が湧き上がってくる。
何者だ、この女は。
「そう、ですね・・・彼も初めはそう思っていたはずです。ですが長州での日々で彼は抱いていた夢も希望も願いも、見失ってしまったのでしょう。そして絶望しか残らなかった」
「な、なんのことだっ!?」
「長州の内部に入らなければ見えなかった事実がそこにはあったのでしょう。例えば・・・幕府だけでなく朝廷をもないがしろにするような言動、思想、とか?」
「我らの朝廷への忠義を疑うというかっ!」
挑発にのっては相手の思うツボだとわかっているのに、思わず怒声が出る。
冷静にならねばと思えば思うほど、余裕がなくなっていくのがわかる。
こんなに年若い女の言葉に翻弄されている自分が可笑しくも思える。
「ではお伺いしますが。此度のような戦を御上が希望されていたとでも?」
「そ、それは」
「この京に、都に、攻め上った時点で貴殿らは朝敵である。御所に弓弾くなど言語道断。と、御上は仰せでした」
女の言葉から真木は自分の考えが正しいことを悟っていた。
この女も、周りを囲む者たちも、伝説などではなく実在するのだと。
そして自分たちを処断するために来たことも。
もはや二の句を告げることなくただ押し黙ることしか出来ない真木に、女の冷えた声が降り注ぐ。
「彼はこうなることをずっと前に予見していたのでしょう。それだけでも充分、彼を絶望させる理由になる…そして彼は自分の罪を受け入れることしか出来なかった…」
「罪、だと?」
「彼にとって長州を選ぶは苦渋の決断だった。それでも長州に下ったのは、家族や仲間の未来が明るいと信じたからです。なれど現実は違った・・・皆の幸せを願っただけなのに、思い描いたものがなかったばかりか・・・ただの裏切り者となってしまった。だから彼は己の罪を受け入れた」
「まさか・・・」
消え入りそうな真木の呟きに女は目を閉じ、ゆっくりと瞼を開くと闇の底から響くような声で静かに答えた。
「彼は池田屋に死にに来たのです」
「死んだ、のか?」
「えぇ」
女の表情は変わらない。
何の感情も表さず、ただ静かだ。
だからこそ恐ろしい。
「ここからは私の個人的な私情となりますこと、お許し下さい」
「私情?」
「周りを取り囲んでいるのは、その彼の仲間であり家族です。ですから皆様にはここで自害して頂きます」
まるで「食事にしましょう」とでも言うかのようにサラリと言ってのける女に、真木をはじめとする長州の兵たちは理解出来ずポカンとしていた。
「な、んだと!?」
「ですから、皆様には自害をして頂きます。ですが簡単に死なせるつもりはありません」
「は?」
(自害しろと言ったり、死なせるつもりはないと言ったり、なんなんだこの女は)
「玄ニ殿の痛みをその身に受けて頂かねば腹の虫がおさまりませんので・・・・・・。さて真木殿」
「な、なんだ」
「大将同士、一騎討ちにて決着をつけませんか?貴殿が勝てば、全員長州に帰国出来る・・・悪い話しではないでしょう?」
「わたしにそなたのような女子と剣を交えろと?わたしが勝ってもそこの者たちが我らの首を取るのであろう?」
「いいえ。貴殿が勝てばここで我ら皆打ち揃って自害致します。これは我らの掟なので信じて頂くほか示しようがないのですが」
周りを取り囲まれているこの状況で選択の余地などない。
どちらを選んでも結果が同じなら。
武士として選ぶべき道はひとつしかない。
「・・・あいわかった。その勝負、受けよう」
「ま、真木殿っ。そのようなこと聞き入れずともっ!」
「いや。この勝負、受けねば皆死ぬだけぞ?勝負に勝つ以外に我らが生き残る術はない。それなら道はひとつだ。そうであろう?」
「真木殿・・・」
周りにいる部下の前で敵前逃亡などすれば、末代までの恥になる。
いや、違う。逃げ切れるはずがない。
ならば背を向けて斬られるよりも、立ち向かうのが武士というもの。
それだけが真木に出来る最後の虚勢だ。