第百三十八話
御所に戻ったあかね達を待っていたのは、驚きと安堵の表情を浮かべる隊士たちだった。
彼らにしてみれば長であるあかねだけでなく、直属の長である朱里やタケまでもが不在だったのだ。いくら代理で指揮を執る者がいるとはいえ、不安が募るのは当然である。
「あかね様っ!」
「よくお戻り下さいましたっ!」
不安から解放されたのか散っていたはずの隊士たちが、何処からともなく集まってくる。
「皆、すまない。で、御上はご無事か?」
「は。禁裏奥にて御守りしております」
「ほかの宮さま方は?」
「はい、東宮さまをはじめ皆さまご無事にございます」
その報告を聞くや否や、あかねは心底ホッとしたように表情を緩め柔らかな笑みを見せた。
「そう、良かった。皆、留守を守ってくれてありがとう」
「っ!・・・・・そ、そんな滅相もございません。我らは己が職務を全うしただけにございます」
「それでも、だよ。ありがとう・・・・・それじゃ、御上のところへ案内してくれる?」
「は、はい!」
あかねから優しい笑みを向けられた隊士は少し顔を赤らめながら歩き出す。
それを見ていたタケはさも面白くなさそうに「フンッ」と鼻を鳴らしその後ろに続く。
「なんだ、タケ。妬きもちか?」
「うるせー、んなんじゃねぇよっ」
冗談のつもりで言った朱里だったが、どうやら図星だったらしい。
(わかりやすい奴・・・)
***
「あかねにございます。ただいま戻りました」
凛とした声が静かな廊下に響き渡る。
外の喧騒が嘘かと思えるほど、ここだけは静まり返っていた。
「おぉ、あかねか?待っておったぞ、はようこちらへ参れ」
「は。失礼仕ります」
静かに扉が開き、あかねは深々と頭を下げる。
「誰も何も説明してくれぬので外の状況が全くわからぬ。そなたはちゃんと説明してくれるな?」
そこには少々困った表情を浮かべる孝明天皇の姿があった。
常であれば下ろされているはずの御簾を側付きの女官に上げさせ、疲れを隠すかのように笑顔を浮かべるその姿にあかねはもう一度頭を下げる。
「それは大変失礼いたしました。私がおらぬ間に少しばかり外が騒がしくなったので、部下たちは御上の身を守ることに必死だったのです。どうか御容赦下さいませ」
「うむ」
「それから東宮さまをはじめ、皆様ご無事にございます。今は別の安全なところに避難して頂いておりますが、どうかご安心下さりませ」
「そうか。それは大儀であった。礼を申すぞ」
「は。ありがたきお言葉にございます。部下たちにとって何よりも嬉しいお言葉となりましょう」
近親者の無事を聞いて安堵したのか帝の表情が緩んだのを見て、あかねもホッと胸をなで下ろした。
「それで。そなたが戻ったということは長州との話しは無事済んだと思うて良いのか?」
「いえ、半分はうまくいったとご報告すべきかと」
「半分?」
「鷹司邸に集結していた者たちとは話しが済んだのですが・・・その場に居合わせなかった者たちがまだ居ります故、その者たちのあとを追っていたのですが、こちらに急変有りとの報せを受け取り急ぎ戻ったという次第です・・・・・ところで御上。こちらに朧殿が参っていると思ったのですが、今はどこに?」
「ん?朧?来ているのか?余は会っておらぬぞ?」
「・・・え?てっきり御上のお側にいるものと思っていたのですが・・・・・」
「いや、今日どころかここのところ見かけてなどおらぬぞ?」
「・・・・・そうですか、では一体誰が・・・・・・」
不思議そうに首を傾げるあかねの姿に朱里も首を傾げる。
その様子にタケが堪らず声を発した。
「なんだよ2人揃って。朧様がここにいないのがそんなに不思議か?」
「あ、いや、朧様がいないことが不思議というより・・・・・誰がシロを使ってあかね様に報せを寄越したのかと思って。わたしもあかね様もてっきり朧様だと思ってたから」
「そういや、そうだな・・・・・ここに残ってた連中でシロを扱える奴なんざいねぇもんな」
「他のカラスならともかく・・・・・シロはあかね様か朧様にしか扱えなかったし、一体誰が・・・・・・」
「失礼いたしました。では本題に入らせて頂きます」
小声とはいえ勝手に話し始めた2人を制するかのようにあかねは話題を変える。
いくら御上直属の親衛隊とはいえこの緊急時に雑談などしているヒマはないのだ。
「報告によりますと、先刻鷹司邸より火の手が上がったとのこと。ただいま詳細を調査しております」
「なんと!」
「後ろに控えております者の報告によれば、彼が鷹司邸に入った時には既に集結していた長州軍の者は皆自刃していたとのことで火の気はなかったとの事・・・・・もしかすると幕府側が火を放ったのではないかとの疑いもあります」
「・・・・・なるほど。一理ある、な。では慶喜を呼んで聞くとしよう」
「それは助かります。私としても直接お伺いしたいと思っておりましたので・・・」
そのままトントン拍子にことが進む・・・はずだったのだが。
「おいおい、ちょっと待てよ。アンタまさか自分で聞くつもりじゃねぇよな?」
口を挟んできたのはタケだった。
しかもなぜか怒気を含んだ口調で。
「え?そのつもりだけど?」
当然だと言わんばかりのあかねの言葉に、タケが声を荒げる。
「馬鹿言ってんじゃねーぞ、おいっ!オメェは自分の立場をわかってんのかっ!?」
「ちょっ、タケ、御前でなんて口の聞き方を」
慌てた朱里が止めようとタケの袖を掴む。
「ん?余のことなら気にせずともよい。続けよ」
タケの無礼など気に止める様子もなく。
それどころか面白がるかのように口元を扇で隠しながら続きを促す帝。
そして。
なぜタケが怒っているのかわからず不思議そうな顔をするあかね。
三者を見渡した朱里は静かな溜息を吐く。
(なんか止めたわたしが間違ってる気がしてきた・・・)
「なぜ止める?私が慶喜殿と会うことになんの不都合があると?」
「大アリだ、馬鹿野郎」
「んなっ!?」
さすがに馬鹿馬鹿と連呼されてムッとした顔をするあかねにタケが矢継ぎ早に言葉を続ける。
「仮にもオメェは鞍馬の長だろ?家茂公ならいざ知らず、慶喜公に顔を晒していいと思ってんのか?いや、いーわけねぇよな?」
「「あ・・・」」
タケの言葉に女2人の声が重なる。
「だいたいオメェはなんでもかんでもテメェでやり過ぎなんだよ。なんのために俺たちがいると思ってんだ?あぁ?」
「いや、でも、ことは一刻を争うし」
「っんとに馬鹿だな、オメェは」
そう言うとタケは自分に頭をガシガシと掻く。
「馬鹿馬鹿って」
「緊急事態なのは百も承知、つーか俺らが動くのは決まって緊急事態だろうが。その度にオメェは矢面に立つつもりか?んな顔を晒して命狙われてぇのか?あん?」
「っう・・・」
「オメェが自分の身ぐらい守れることはよーく知ってる。経験者だからな」
つい先日まで命を狙っていた側だからこその説得力である。
実際、束になってかかってもかすり傷ひとつ負わすことは出来なかったのだ。
「う、うん」
「・・・・・そこ納得されると立つ瀬がねぇな」
「あ、ごめん」
「バーカ。謝られると余計ミジメになるわっ」
「うっ、ごめ・・・や、なんでもない」
ぶんぶんと音がしそうなほど首を横に振るあかねにタケは盛大な溜息を吐く。
「ま、いいや。とにかく慶喜公には俺が会うから」
「えっ?で、でも!相手はなに考えてるかわからないとか、掴みどころがないとか言われてる慶喜公だよ?」
「これでも一応玄武隊の副隊長だぞ?タヌキの化かし合いぐれぇ出来る。馬鹿にすんな」
「い、いや、でも!」
「うるせー。力で敵わないアンタを守るにゃこれぐれーしかやることねぇんだ。いいから黙って守らせろ」
「タケ・・・」
照れ臭そうにプイっと顔を背けたタケの耳が赤くなっているのを朱里は見逃さない。
「まー、いいんじゃないですか?あかね様。ここはタケのお手並み拝見ってことで」
「え?あ、うん・・・」
「うむ。余も賛成だ。これ以上あかねの命が狙われるのは困る」
「お、御上まで!」
「いやなに、心配ならここで経緯を見守れば良いではないか。ほれ、御簾を下げてしまえば顔の判別なぞ出来まい」
そう言いながら孝明天皇は閉じた扇で自分の傍を指し示す。
「えっ?そんな、とんでもございませんっ!私などが御上のお側に上がるなどっ!」
「ん?遠慮するな。そちならば我が妃として迎えたいぐらいだぞ」
「お、おお、お戯れをっ」
「戯れなどではないのだが・・・まあ良い。そこの几帳の後ろに座れば向こうから姿は見えまい。ましてや御簾越しであれば尚更であろう?余も慶喜にそなたの存在を知られるのは困るのだ。ここはひとつ余の言う通りにしてはくれぬか?」
帝にそこまで言われて断れるものなどいない。
それを知っているからこその言葉なのだから始末が悪いのだが。
「わ、わかりました。では仰せのままに」
そう言って頭を下げるあかね。
その姿を孝明天皇は満足そうな笑みを浮かべて眺めていた。