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第百三十五話

 閉ざされていた障子(しょうじ)が突然スパンッと良い音を立てて開け放たれた。

 と、同時に。

 部屋の中に入ってきたのはふたりの女だった。


 「だ、誰だ貴様らっ!」

 一瞬にして皆が腰の刀に手を掛け殺気立つ中、あかねはまっすぐに来島を見据えて歩みを進める。

 「邸の者かっ!?」

 その問いに足を止めたあかねが不意ににこりと笑み首を横に振った。

 「いいえ」


 (やっぱり着物を拝借してきたのは正解だったね)

 とほくそ笑むあかね。

 先ほどまでは忍装束の方が動きやすくて好都合だったのだが、そのままでこの部屋に乗り込む訳にはいかず他で見つけたものに着替えておいたのだ。当然後ろに控える朱里も同様である。

 (おかげでただの女だと思ってくれてて好都合)


 「で、では何者だっ!?無礼ではないか!断りもなしに」

 「これは申し訳ございません。なれど、火急の用件にてまかりこしました」

 殺気に満ちた室内にありながらも静かな口調を続けるあかねに年若い男が眼光を鋭くする。


 「どこの使いの者だっ?誰に会いに来た?いや、まずは名乗られよ」

 矢継ぎ早に捲くし立てるその男を一蔑すると、あかねは胸元から文を取り出し顔の横に掲げる。

 そこには『勅』の一文字が書かれていた。


 「天子様の命にて参りました」

 「っんなっ!?」

 あかねの言葉に驚いた来島は慌てて座り直すと姿勢を正し、呆けたまま立ちつくす他の者にも促す。

 「久坂、座れ」

 「・・・・・・・」

 久坂と呼ばれた年若の男が着座するのを見届けると、あかねは顔色を変えることなく文を開く。


 「ひとつ、長州は即刻兵を退き京を立ち去ること」

 「「っ!!」」

 来島と久坂の顔色が変わる。

 それは部屋に居合わせた他の兵たちも同じだった。


 「ひとつ、御所に攻め入った長州軍は朝敵である」

 「っ!!」

 「わ、我らが、朝敵・・・?」

 わなわなと震える来島。ぼんやりと言葉を繰り返す久坂。

 どちらも顔面蒼白である。


 「う、嘘だっ!」

 突然兵のひとりが叫ぶ。

 「そ、そうです。これは会津あたりが画策した偽物に違いありませんっ!そうだろっ!女!」

 つられるようにして叫んだ兵をあかねの瞳が捕らえる。


 「ほぉ・・・・これを偽勅と仰りたいわけですか?」

 「そうだっ!我らは天子様の御為と思い今日(こんにち)までやってきたのだっ!我らには大義も名分もあるっ!」

 「しかしながら偽勅とは・・・・・・よくそのような戯言(ざれごと)を思いつかれましたね?・・・・・・あぁ、なるほど。貴方がた、そのような恐れ多いことをなされたことがあるのですね?」

 静かな口調ではあるが、あかねの目は怒りに燃えていた。

 その目に捕らえられ動けずに立ちつくす兵が閉口する。


 「よせ寺島。それが本物であれば、その言動が既に謀反となる」

 「で、ですが来島様っ!」

 あかねの視線が来島に移ると立ちつくしていた寺島が我に返ったかのように言葉を発する。


 「なるほど。確かに、この場におられる方々の一存でこれは偽勅となさるのもまた道。もっと言うなら・・・・・・この場で私を消せば、この勅書ごと揉み消すことも可能」

 淡々と言葉を発するあかねに久坂がカッと目を見開いた。


 「貴様、女の分際で我らを愚弄する気かっ!」

 「いいえ、私はただそんな方法もあると進言したまでのこと。私ごと消せば、あなた方は生き延びる道も開かれるでしょう?」

 微かに笑みを浮かべたあかねに寺島が我慢ならぬとばかりに刀を振り上げた。


 「では望み通りその首、斬り落としてくれるわっ!」

 「よ、よせっ!寺島ーーっ!!」

 止めに入ろうとした久坂の視界が紅く染まる。

 だが、倒れたのはあかねではなく寺島のほうだった。


 「な、なにっ・・・・・?」

 手を伸ばしたまま茫然と固まる久坂にあかねはにこりと笑うと言葉を続けた。

 「この勅書にはまだ続きがございます。・・・・・・よって従わぬ者の首は全てすべて()ねるべし」

 「!!」

 驚きに見開かれた久坂の目が次の瞬間色を失う。


 なす術もなく、ただ倒れていく同志の姿を見ていた来島は茫然とあかねを見ていた。

 一瞬にして2人の男の命を奪ったとは思えないほど、その女は落ち着いていた。

 髪も着物も何一つ乱すことないその姿に云い様のない恐怖が襲ってくる。


 「な、何者だ、おまえは・・?」

 「名乗るほどの者ではありませんよ・・・・・あぁ、そうだ。天子様の名誉の為にも言っておきますが・・・・・・この勅書、正真正銘の本物ですよ?ほらここに天子様の花印があるでしょう?」

 その時になって初めて文面を来島に向けたあかねが、この場にふさわしくないほどの無邪気な笑みを浮かべていた。それが更に恐怖心を煽る。


 「そういえば、先ほどから真木殿の姿が見えませんが?外の状況を見て逃げてしまわれたのでしょうか?」

 「そ、外?」

 その時になってやっと来島はここが長州軍の陣中であることを思い出した。


 「だ、誰かっ!誰かおらんのかっ!!」

 「・・・・・・・誰を呼んでいるつもりかは知りませんけど、私の知る限り・・・・・この邸の中で息をしているのは貴方と、後ろに控える彼女と、そして・・・・・・・・私だけですよ?」

 「ば、馬鹿なことをっ!」

 あかねの言葉を受け来島は障子という障子を開け放つ。

 ここは邸の中でも一番奥。ここに辿り着くまでには兵が何人もいるはずだ。


 全ての障子を開け放った来島はその場にふらふらと崩れ落ちた。

 「な、なんなんだこれは」

 その瞳にはシンと静まり返った血の海が映っていた。


 「ですから申し上げた通り、この邸内で息をしているのは我々3人だけですよ」

 先ほどまでとは違い冷酷な笑みを浮かべるあかねの表情に、来島は身体が震えるのを感じていた。

 「お前、らが・・・・・・?」

 数々の修羅場を乗り越えてきた来島でさえも動揺を隠すことが出来ず、ただ怯えた表情であかねを見上げる。


 「あなたにはひとつお伺いしたいことがあるのです、来島殿」

 その声には有無を言わさせない迫力が込められており、思わず来島はゴクリと喉を鳴らす。

 「玄二という男、ご存じですか?・・・・・・貴方がたが京を追われた際、三条実美殿に付き従って長州に下った男なのですが」

 なんの感情も映さないあかねの瞳が来島の姿だけを捕らえる。

 その漆黒の闇に堕ちていきそうな感覚に来島は無意識に後ずさっていた。


 「さ、三条様の護衛をしていた者のことか?た、確かにそんな名前だった気はするがそれ以上のことは知らんぞっ!」

 「では誰なら知っていますか?」

 「な、なぜそんなことを聞くっ!?その男がなんだというのだっ」

 ジリジリと間合いを詰めてくるあかねに来島は後ろに下がることしか出来ない。

 なぜその男にこだわるのかは知らないが、来島の本能が危険だと叫んでいた。


 「質問をしているのは私です。貴方はそれに答えるのみ・・・・・誰なら、その男のことを知っていますか?」

 静かに発せられる声に感情などない。だが彼女の鋭い視線から逃れることも出来ず、震える声を絞り出すようにして来島は答える。

 「真木、殿なら知っているかもしれぬ・・・・・」

 自分でも驚くほど怯えた声が出た。たかが女相手に・・・・・などとは言えないほどの迫力が彼女にはあった。


 (あぁ、ここで死ぬのか。この女の手にかかって)

 チラリと視界に入った寺島と久坂の屍。

 あのふたりを一瞬で仕留めた腕は本物だ。

 もはや生き延びれる保証も理由もない。


 「では、真木殿を捜さねばなりませんね」

 そう答えたあかねは来島を一瞥するとクルリと背中を向けた。

 これに驚いたのは朱里だけではなく来島もだった。


 「ま、待てっ、それがしを討ち取らないつもりか!?」

 「・・・・・討ち取って欲しいかのような物言いですね」

 背中を向けたまま顔だけ振り返ったあかねが不敵な笑みを浮かべて来島を見据える。


 「貴殿が武士であると仰るならば選ぶ道はただひとつにございましょう?(おとこ)の最期を汚すつもりも踏みにじるつもりも我らにはありません・・・・・介錯が必要とあらば手はお貸ししますが私も少々先を急いでいます故、この者を残して参ります」

 あかねは視線で朱里を促し自分はさっさと部屋を出ようとする。


 (武士の最期・・・・・・)

 斬られる覚悟を決めていた来島にとって、あかねの言葉は予想外のものだった。

 (敵であるそれがしに武士の最期を選ばせてくれると言うのか?首を持って帰れば手柄となるだろうに)

 「ま、待たれよ」

 思わず口から出たのはあかねを引き留める言葉だった。けれどその声に先ほどまでの恐怖はない。


 「気遣いは無用。最期に女子の手を借りるわけにはいかぬ故・・・・・なれどその心遣いには礼を申す」

 静かに頭を下げた来島にあかねの険しかった表情が少しだけ緩んだ。


 「最期に言い残すことがあればお伺いしますが」

 「・・・・・では、ひとつお聞かせ願いたい。我ら長州は天子様のお心に添えなかったということか?」

 自分たちの考えは間違いだったと。

 この上洛は過ちだったのだと。

 それが真実であるなら思い残すことなどない。

 戦に負けたというのに来島の心は驚くほど静かだった。


 「天子様のお望みは朝廷と幕府が力を合わせてこの難局を乗りきること。そしてこの国を、ここに住む民を、夷てきから護ること。その為に国内が二分されるようなことがあってはならぬとお嘆きでした」

 「そうか・・・・・我らは天子様のお気持ちを理解出来ていなかった、ということか・・・・・」


 「いえ、国を想う気持ちは皆同じなのだと。けれど手段が違えば敵対することになる・・・・・長州が間違っている訳ではない。ただ力に任せても解決にはならぬ。今は耐える時なのだと仰せでした。天子様にとっては長州であろうと会津・薩摩であろうと、大切なこの国の民。国を想ってくれる者たちを排するようなことはなさりたくなかったはずです。けれど御所に向けて発砲した長州をこのまま見過ごすことも出来ず、身を斬るような想いでこの勅書をお書きになられたのです」


 もう一度あかねが取りだしたその書状を来島は震える手で掴んでいた。

 年甲斐もなく大粒の涙を零し、大切そうに勅書を胸に抱くとうな垂れるようにして膝をつく。

 「天子様のお優しき御心を苦しめてしまったこと、先に逝った者たちにも地獄にて伝えておく・・・・・我らが浅はかであったと・・・・・・。しかし最期に来たのがそなたのような女で良かった。これで思い残すことも誰かを恨むこともなく逝ける。礼を言う」

 そう言って顔を上げた来島の表情は晴々としていた。


 「真木殿を追うのであろう?では、これはそなたに返そう」

 差し出された勅書には来島の涙が一粒滲んでいた。

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