第百三十二話
元治元年 6月21日
この日新撰組は不逞浪士潜伏との一報を受け七条界隈を探索。
その後、夜も更けたこともあり西本願寺にて一泊することとなっていた。
折しもこの日は。
京を目指している長州軍が大坂へと到着した日でもある。
「長州の奴らは本気か?本気で帝の許しもなくこの京へ入るつもりか?」
「ま、普通の神経なら馬鹿なこととわかりそうなもんだが・・・・・あいつらは正気じゃねぇからな。なにしろ己が理屈を並べ立てて帝を拐かそうとした前例もある。きっと目ぇ血走らせて進軍してくるだろうよ」
「・・・・・・・・・」
さらり。と言ってのける土方に近藤は言葉を失っていた。
「ま、コトはもう既に起こっちまったんだ。俺たちの使命は奴らを京に立ち入らせないよう守りを固めることだけさ」
「まぁ、そうだが・・・・・」
「おいおい頼むぜ近藤さん。今回は池田屋の時みてぇなことはナシだ。あん時は俺たちの一存でどうとでも出来たかもしれねぇが、今回はそうはいかねぇ。仏心なんぞ出してくれるなよ?」
「あぁ、わかってるさ」
土方が釘を刺したいのは桂小五郎のことだ。
池田屋の時に近藤の指示であかねが守った唯一の敵。
そのせいで失ったものは・・・・・あまりにも大きかった。
今でも。
あんなことをあかねに頼まなければ良かったと、悔いる気持ちはある。
総司が「生きている」と言い切った言葉にどれほど救われたかわからない。
それでも未だ、あかねの消息は不明だ。
「もうっ、土方さんったらまたそんな嫌な言い方して」
「なんだ総司、いたのか」
土方は声のした方に顔を向けることなく、嫌そうに呟く。
「いま戻って来たところですよ」
「・・・・・んで?見つかったのか?」
「えぇ、まぁ。小物ばかりでしたけど・・・・・。そんなことより、山崎さんからコレを」
そう言って唇を引き結んだ総司は、懐から一通の文を取りだす。
「急ぎの要件だと預かってきました」
「あぁ、ありがとう」
総司から文を受け取った近藤は、早速小さく結ばれたそれを開く。
「・・・・・・どうやら長州は本気のようだ」
「なに?」
「長州が大坂に着陣。その数、三千と書いてある」
「・・・・・・明日は京市中の探索ではなく、大坂方面の見物になりそうだな」
土方は大坂の方角に目をやり、うっすらと不敵な笑みを浮かべていた。
その瞳に映るのはメラメラと燃え上がる闘争心。
夜が明ければ。
今までのような残党狩りに終始するのではなく、本格的な戦いが始まる。
それは夢にまで見た『幕軍』としての戦いだ。
自分たちを田舎侍などと鼻で笑ってきた奴らを見返す為にも、ここで後れを取る訳にはいかない。
「なんだか嬉しそうですね、土方さん?」
「まぁ、な。やっと俺たちも幕府の役に立てる時が来たんだ。俺たちは何も小物を追いかける為に京まで来た訳じゃねぇ。お奉行仕事は奉行所にやらせりゃいいんだ」
「あぁ・・・・・・そうだな。俺たちは幕府を護る為にここまで来たんだ。それ以外の余計な事は考えても仕方のないこと・・・・・・初心忘するべからず、だな」
まるで自分自身に言い聞かせるようにして近藤が呟くと、土方はポンッとその肩に手をのせ少年のような笑みを浮かべた。
「そういうこった」
***
同じ頃、鞍馬にも長州軍が大坂に入ったという知らせは届いていた。
その一報により。
夜も深い刻限だというのに、里の中心にある邸の一角には煌々と明かりが灯されている。
「どうやら長州も本気のようじゃな」
声をひそめ話す翁に同意するかのように朧が頷く。
「馬鹿な奴らじゃ。事と次第によっては朝敵となるやもしれんというに」
「それほどまでに追い詰められている、ということなのでしょう」
至極冷静に言葉を放つあかねに、同行していた朱里は納得の表情を浮かべる。
「窮鼠、猫を噛むとも言う。今回ばかりは悠長なことを言ってはおれん。長州軍が布陣するとなれば・・・・・・山崎と伏見方面辺りかのぉ」
朧が深い溜め息と共に言葉を漏らすと、翁も同意するかのように大きく頷く。
「そうじゃな。大坂からの進軍とならば、その二手に分かれ布陣するのは必至。ま、奴ら先日の池田屋の件で相当新撰組を恨んでおるやもしれんから・・・壬生の西、嵯峨辺りからも進軍して来るかもしれんが・・・・・・そこは新撰組もおるんじゃから任せておけば良かろう?」
ちらり。とあかねに視線を向ける翁に対して、朱里が口を挟む。
「それが・・・・・どうやら新撰組は壬生を離れ西本願寺にいる様で、西の守りは期待出来そうにないと知らせが」
「なんじゃ奴ら、南におるんか。と、なると万が一の時はそちらに兵を割かねばならんのぉ」
ふむ。と腕を組む翁だったが、その表情に緊迫感はない。
「西には朱雀隊を、南には玄武隊を待機させます」
「そうじゃな。それが良かろう」
「では早速伝令を飛ばし出動させます」
そう言うが早いか立ち去ろうとするあかねを、朧が引きとめる。
「ところでお主」
「はい?」
「・・・・・・新撰組に戻る気はないのか?」
朧の問いかけに一瞬あかねの動きが止まった。
「・・・・・・もはや私の戻る場所ではありませんので」
寂しそうに、けれどハッキリとした口調で言い切ると、あかねは部屋から出て行く。
「そうか・・・・・戻るつもりは、ないか・・・・・」
その背中を見送りながらポツリと呟く朧の表情がどこか悲しげに見え、朱里は暫く視線を外せずにいた。
我に返った朱里が慌ててあかねの後を追い邸を出て行ったあと。
冷え切ったお茶を啜りながら翁が呟く。
「おババも気になっておったのか」
「当然じゃ・・・・・これでも育ての母ぞ?」
シワに埋もれた目をつり上げるようにして睨みつける朧に、翁が苦笑を漏らす。
「ははっ、そうじゃったな・・・・・じゃが、今あかねを壬生に戻す訳にはいかぬぞ?」
「それもわかっておる」
「・・・・・・・・・」
あっさりと答える朧に、翁も二の句を告げられず黙りこくる。
「・・・・・あかねが人に戻れる場所、か」
「狼の棲み家と呼ばれる壬生が、あかねにとって人に戻れる場所とは・・・・皮肉なもんじゃな」
「それでも鬼の棲み家よりはよっぽどマシじゃ。ましてやあかねは鬼たちの上に立たねばならぬ立場。ひと時でも人に戻れる場所があるなら・・・そこに戻してやりたいと思うは親心というもんじゃろうて」
朧にとって。
翁という存在が、人の心を失わずに済んだ唯一の居場所。
人の心をギリギリのところで保てたからこそ、ここまで生きてこれた。
でなければ、とうの昔に気が狂っていただろう。
それほどまでに朧の名は重い。
それを知っているからこそ、あかねが壬生に身を置き続けることを許してきたのだ。
きっとそこに、あかねが生きる理由があるのだろうと。
だがそれさえも、あかねは拒絶してしまっている。
理由はただひとつ。
玄二を殺めた罪の意識。そしてそれに対して己に与えた罰。
だが、このままではあかねの心が崩壊するのは時間の問題だろう。
それがわかっていながら。
何も手を打てずにいる自分たちの非力さが、何よりも情けない。
年老いたふたりはただただ背中を丸めながら、解決策を見出せずに溜め息を吐くばかりだった。