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第百二十八話

 無事に神戸の地に到着したあかねは、宿となる酒屋の暖簾(のれん)をくぐっていた。

 表向きには普通の酒屋だが、ここも鞍馬の里と(ゆかり)のある店である。


 「よぉ来た、あかね」

 「御無沙汰致しております」

 「おぉ、おぉ。ちぃっと見ぬ間に、立派な娘御になりおって・・・いつくになった?」

 「21になりました。シゲ爺も変わらず元気そうで」

 「ふぉっふぉっふぉっ。ワシがそう簡単にクタバルわけなかろう?」


 歳の割に腰も曲がらずシャンと立つその姿に、あかねは懐かしそうに目を細める。

 それは出迎えたシゲの方も同じで、シワの増えた顔をクシャりと緩ませ嬉しそうに頬を綻ばせていた。


 「朧殿も元気か?」

 「はい!師匠も翁も変わらず元気にされています。シゲ爺にくれぐれも宜しくと、仰っていました」

 「そうかそうか、懐かしいのぉ。ジジイはともかく・・・朧殿は変わらず元気か。それはなによりじゃ・・・・・あのくそジジイはまだクタバらんのか、早うクタバレばよいものを」

 「・・・・・・シゲ爺も変わられませんね」


 言葉の端々に翁に対する罵詈雑言が交るのは常のことなので、今更あかねが気にすることはない。

 何故かはわからないが、シゲと翁は仲が悪い。

 顔を合わせれば(合わせなくても)いつも互いに敵意を剥き出しにしてケンカをする。

 それも傍から見ていて驚くほど子供のような口喧嘩を、である。

 爺同士がムキになってる姿は、なんというか言葉にするには難しいが・・・一言で言うと呆れるほど馬鹿馬鹿しい姿である。


 その割に互いの力は認め合っているのだ。

 仲が悪いからこそかもしれないが、相手の動きは知り尽くしているので組んで任務にあたると失敗はないらしい。

 その信頼関係は他に引けを取らないほどだが、ふたりに言わせれば「奴がいなければもっとはかどる」らしい。

 犬猿の仲でありながら、絶対的な信頼関係を持つ・・・・・そんな不思議な関係である。



 「操練所というのはここから近いのですか?ちょっと下見に行こうかと思うのですが」

 「相変わらず仕事熱心じゃのぉ。じゃが、ちぃっと状況が変わってしもうたんで、暫くは出向いても仕方ないぞ?何しろ主要人物がおらんでのぉ」

 「え?」

 思わず目を丸くしたあかねだったが、シゲはそれに構うことなく言葉を続ける。


 「勝殿も、坂本とかいう土佐訛りの若造も、今はおらんのじゃ」

 「えぇ??」

 「じゃから暫くはここでゆっくり身体を休めたらえぇ。時には心を休めることも任務じゃぞ?」

 「・・・・・・・」

 茫然とするあかねを半ば強引に部屋に通したのち、シゲは酒を片手にふらりと顔を見せた。



 「京での一件、聞いておる」

 「!!」

 「お前には辛い任務であったな」

 「・・・・・・」

 見るからに表情を凍らせるあかねに、シゲはゆっくりと話しかける。


 「じゃが、玄二の気持ちはわからぬでもない」

 「え?」

 「・・・・・・そうじゃなぁ、今宵は昔語りでもしてみようかのぉ」

 「昔、語り・・・ですか?」

 キョトンとするあかねを横目に、シゲはグイッと酒を飲み干し息をついた。


 「そうじゃ。あれはワシらがまだ若かりし頃。確か元服した頃のことであったかのぉ・・・・・朧殿がまだ朧になる前・・・・・・ワシと朧殿が許婚(いいなずけ)同士じゃった頃のことじゃ」

 「えぇっ!?」

 予想外のことに目を丸くするあかね。

 それをさも可笑しそうに眺めるシゲがあかねの杯に酒を注ぐ。


 「ふぉっふぉっ。驚いたか?驚いたじゃろう?・・・・・そう言うワシ自身が一番驚いておる」

 「え?嘘なのですか?」

 「いいや。本当のことじゃ・・・・・もはや遠い昔過ぎて忘れかけておったがのぉ」

 「・・・・・・」

 どこまでが冗談なのか、どこからが真実なのか・・・・・あかねにはわからなかったが、とりあえずシゲの話しを最後まで聞こうと耳を傾ける。


 「あの頃の朧殿は本当に可愛らしい女子(おなご)でのぉ。後継者と決まってからは凛とした美しさも兼ね備え・・・・・ワシにとっては眩しい限りじゃった。許婚として選ばれ、天にも昇るような心地じゃったのを今でも覚えておる」

 「・・・では、どうして?・・・夫婦(めおと)になられなかったのですか?」


 「・・・簡単なことじゃ。朧殿が恋を知ってしまった故、な」

 「あっ・・・・・」

 口にしてみて、あかねは後悔した。

 そんなこと、聞かずともわかったはずだと。

 だが、シゲの方は全く気にすることなく言葉を続ける。


 「あのふたりが出逢ったことで・・・・・我らの、いや里の運命は大きく変わってしもうた。いや今となればそれも必然だったのじゃろうが・・・・・当時の里は揺れに揺れた・・・・・何しろ永きに渡りいがみ合ってきた甲賀と伊賀がひとつになろうとしたのじゃからな」

 「甲賀と伊賀?」


 「お前が知らぬのも無理はない・・・鞍馬は甲賀の流れをくむ甲賀忍、そして服部半蔵というのは伊賀忍の頭領に与えられる通り名なのじゃ。今となってはもはや甲賀も伊賀ものぉなってしもたがな」

 「で、では、敵対関係にありながら・・・師匠たちは・・・・・?」

 「そうじゃ。相手が伊賀忍、ましてや服部半蔵を継ぐ男とは知らず・・・・・朧殿はあの男を好いてしもうた。ふたりが互いの立場を知ったのは・・・・・それからすぐ後のことじゃった。じゃが既にふたりの心についた炎は消せず・・・・・共に生きる道を模索しておった・・・そんな時じゃ。ワシがあやつの存在を知ったのは・・・・・」


 眉間にシワを寄せたシゲが少し辛そうに瞼を閉じる。

 瞼の裏にその頃のことが映っているかのよな苦々しい表情。

 それでも言葉を途切らせたのは、ほんの一拍。


 「初めは信じられんかったが・・・幸せそうに微笑む朧殿の姿を目にした時、ワシはあやつを必ず始末しようと心に誓った。でなければ、朧殿の中からあやつを消し去ることは出来ぬ、と思ったんでな」

 「!!」

 「じゃが・・・・・アレはまっこと出来る男でのぉ。ことごとくワシの暗殺計画を足蹴にしおった。今思い出しても、胸くそ悪いが・・・あの時は何が憎いのかわからんほどに、あやつを憎んでおったもんじゃ。で、ある時・・・・・思い余ったワシはあやつではなく、朧殿を殺すことにしたんじゃ」

 ゆっくりと上げられた瞼の奥で、悲しげに瞳が揺れる。


 「なっ!?」

 「ワシも朧殿に心底惚れておった。この世で想いが遂げられぬのならいっそ・・・・・そんな考えに至るほど、あの時のワシは追い詰められておった・・・・・じゃが、それもまた・・・・・あのジジイに阻止された」

 今やシワに覆われた顔の中で、唯一変わらない瞳だけが当時の姿を思わせる。


 「その時じゃ。疲れ果てたワシはあやつに『お前たちのことなど誰も認めてはくれぬっ!いっそ心中でもして、とっとと想いを遂げればよかろうっ!』と言ったのは・・・・・今思い返すと情けないと思うがのぉ」

 「お、翁は、なんと?」


 「いつになく真剣な顔で怒り、ワシを殴りおった。『惚れた女を死なせてたまるかっ!!』と、『俺はあるかどうかもわからぬあの世などに興味はないっ!今、この瞬間(とき)、この場所にいる彼女を守りたいだけだっ!!』とな・・・・・その時やっとワシは悟ったんじゃ・・・・・この男には勝てぬ。勝てるはずがない、と」

 「・・・・・・・・」

 「あやつは朧殿を全身全霊で守り抜く決意を固めておった。それも逃げも隠れもせぬ、全て真っ向勝負で。コソコソと暗殺計画を立てていたワシなどが勝てる相手ではない。それほどにふたりの想いは強かった・・・・・負けを認めるつもりはなかったが、ふたりの生き様を見届けたいと。あの時初めて心の底からそう思った」


 「で、でも・・・・・(おさ)の命を狙うは・・・」

 「そうじゃ。ワシの末路は『死』あるのみ・・・・・じゃが、あやつはワシの命を助けるためにここへと飛ばしおった。『事が収まるまでは絶対に出てくるな。お前の力量は必ず鞍馬に必要となる。朧への償いと思うなら、京への通り道となるここを守れ』と言いおってな・・・・・敵に塩を送るとは片腹痛いとも思ったが、勝手に死ぬわけにはいかぬと思って生きることにした。この地を守り、この地から京を見守り、己に与えられた役目を果たそうと踏ん張ってきた。そんなワシの罪が許されたのはそれから5年もの月日が流れた後のことじゃった」


 「5年も?」

 「その間。大嫌いじゃったあの男が朧殿と共に、頭の固い年寄り共を説得し続けてくれていたことを知ったのは・・・・・・・そのもっと後のことじゃ・・・それを聞いた時は、不覚にも涙した・・・・・・・・・・内緒じゃぞ?」

 子供のような笑みを見せるシゲに、あかねの目頭が熱くなる。


 ふと。

 「絆」という言葉を思い出す。

 恋敵であるが故に、本気でぶつかり合ったことがあるからこその固い絆。

 そこから生まれた信頼関係は言葉では語りつくせない何かが(・・・)あるのだろう。


 そして、あかねは気づく。

 自分がここへ、シゲの元へと送られた本当の意味(・・)を。

 師匠と翁が伝えたかった想いを。

 そこに思い当った時、あかねの目から自然と涙が零れ落ちた。


 「・・・・・ワシには玄二の気持ちがよぉわかる。おそらくこの世の誰よりも、じゃ。あれは馬鹿な男じゃが・・・・・後悔などしてはいない。きっと清々しいほどスッキリと、晴れ渡った空のような気持ちで運命を受け入れたはずじゃ・・・あの時のワシがそうであったように・・・・・。じゃからお前が苦しむ必要は何もない。それは玄二にとっても本懐ではないからのぉ。あれが笑って最期の時を迎えたことは、その場に居ずともワシにはわかる」

 「・・・・・・・は、い」

 消え入りそうな、けれどもハッキリとした口調であかねは返事する。


 「立派な(おさ)になどならなくてもよい。お前が己の心で感じるままに生きること、それが皆の幸せとなろう。今の朧殿がそうしてきたように・・・・・きっとそれが正解なのじゃ。その心に恥じることなき道を進めば、それでよい」

 「は、い」


 沈みきっていた心に光が射す。

 真っ暗だった闇に陽が昇る。

 溜まっていた澱みが涙と形を変えて流れ出る。


 ずっと止まったままになっていた時間が。

 この日やっと動き出したのを、あかねは感じとっていた。


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