第百二十四話
総司が部屋を飛び出し、前川邸にある藤堂の部屋の前までやって来たとき。
そこには既に永倉と原田の姿があった。
2人は気配を消すわけでもなく、襖に耳を押し当て中の様子に夢中なようで総司には全く気づいていない。
そんな2人にそっと近寄った総司がその耳元に囁く。
「こぉんなトコで油売ってたら、鬼副長に怒鳴られますよー?」
「「のぉわっ!!」」
飛び上がるようにして驚いた2人だったが、視界に総司の姿を見つけるとジトーッと睨みつけた。
「ば、馬鹿、脅かすなっ!!」
「そ、そうだぞっ、総司!」
「大体、オメェーこそ何してんだ!?」
「身体はもういいのかよ??」
驚きを隠せない2人は矢継ぎ早に質問をぶつけ、ゼイゼイと肩で息をする。
「大丈夫ですよー、ほら!この通ぉ・・・もがもが」
と言って飛び跳ねようとした総司の身体を、永倉が慌てて押さえ込んだ。
「わっ、馬鹿馬鹿。んなことしたら平助に気づかれっだろっ!?」
「八っぁんもっ!シーっっ!!」
総司の足を押えながらも、原田は自分の口元に人差し指をあて永倉に視線を向ける。
促された永倉は慌てて口を噤んだが、永倉の腕に捕まっている総司が声を上げた。
「もがもがもが?」
「あん?何言ってっか、わかんねぇって」
「八っぁんが口塞いでるからだろ?」
「あっ、そーか」
言われて思い出したのか、慌てて手を離す永倉。
「んで、どんな人なんです?藤堂さんを訪ねてきた女の人って??」
「俺たちも顔はまだ拝んでねぇんだが・・・・・部屋まで案内した奴が言うには、なんでも目が不自由らしい」
「・・・・・どういう知り合いなんでしょう?」
「さぁな・・・・・なんにしても。俺らに内緒でコソコソと女作ってやがったんだぜ?あの助平野郎は。全く隅に置けねぇぜ・・・・・おっ、今日からアイツは藤堂平助じゃなくって藤堂助平って呼んでやるっ」
ブツクサ呟く永倉に総司は目を丸くし、真面目な口調で言葉を返す。
「えぇー。永倉さんじゃあるまいし、それは無いんじゃないですかぁ!?」
「オイ、コラ、総司。どぉいう意味だ?」
「あははは」
「笑って誤魔化すんじゃねぇ」
パシッと総司の頭を叩いた永倉は不満気に口を尖らせる。
その時。
3人の視界を遮っていた襖が何の前触れもなくスパーンッと開け放たれた。
「もうっ!3人とも全部丸聞こえですってばっっ!!」
襖を開け放った藤堂は顔を真っ赤にし、怒っているような照れているような何とも言えない表情で立ちはだかっていた。
「へ、へ、へ、平助っ!?」
「んなところで聞き耳立ててないで、いっそ中に入って下さいっ!!もう、恥ずかしいんだからっ」
「いやぁ、そんな邪魔するつもりは・・・ははははは」
「既に充分、邪魔してますってっ!!」
耳まで真っ赤にした藤堂は半ば無理矢理3人を部屋の中にズルズルと引きずり込むと、開けたとき同様、勢いよく襖を閉める。
体勢を崩した形で部屋に転がりこんだ3人の視界に、キチンと座ったひとりの女の姿が映る。
「や、やぁ、邪魔するぜ?娘さん」
バツが悪そうに声をかけた永倉に、女は少し頬を赤くしながら軽く頭を下げる。
「へ、へぇ・・・・・シマと申します、宜しゅう」
「おシマちゃんか。いやぁ、邪魔して悪かったな。何しろ平助のとこに女が来たのは初めてだったもんで、つい」
「うちは気にしてまへん。藤堂はんが怪我しはったて聞いたさかい、ちょっと心配で様子を見に来ただけなんどす。すぐ、お暇しますよって気にせんといておくれやす」
視線を下に落としたまま、更に頬を染めるシマ。
それを見ていた永倉と原田は互いの顔を見合わせ、大袈裟に頷いてみせる。
「いい話じゃぁねぇか。怪我した平助を案じてわざわざ来てくれるたぁ・・・・・な?左之」
「おうよ。八っぁんも怪我してっけど、誰も見舞いになんぞ来やしねぇのにな」
「ほっとけっ!!」
いつもの軽口を叩き合うふたりを尻目に、総司はシマの前に座りなおすと優しい声色で問いかける。
「ところで、おふたりはどちらで?」
「へぇ。前に祇園で火事があったん、覚えてはりますやろか?」
聞こえた声に反応するかのように総司の方へ顔を向け答えるシマに、総司はポンッと手を打つ。
「あぁ!火付け人を現場で捕縛した、あの火事ですね」
「あん時、人の波から弾き出されたうちを助けてくれはったんが、藤堂はんなんどす」
「「えっ!?」」
ふたりの会話を聞きながら、記憶の糸を辿っていた永倉と原田はほぼ同時に驚きの声を上げた。
「目の見えへんうちを、安全なとこまで連れてってくれはって・・・・・」
「俺らが大捕り物してた時かっ!?」
「・・・・・大捕り物って・・・・・ふたりは人波に揉まれて追いついてなかったじゃないですか」
あっさり言い放った総司に、永倉は青筋を立てる。
「う、うるせー。仕方ねぇだろっ!?」
「そ、そうだぞ、総司。俺らだって好きで揉みくちゃにされてたわけじゃ」
抗議するふたりをアッサリ無視して総司はシマに視線を向ける。
「もう落ち着いていらっしゃるんですか?」
「へぇ、おおきに。うっとこの店はおかげ様で被害ものぉて、すぐ店も再開出来ましたんで大丈夫どす。藤堂はんにも贔屓にして貰ろうて、ほんに助かってます」
「それは良かったですね」
「へぇ。良かったら一度遊びに来ておくれやす」
「え、えぇっと、それは・・・・・」
総司は困ったように言いよどみながら藤堂に視線を向けると、その空気を察したのかシマが小さく笑い声を立てた。
「うちはただの三味線弾きどす。遠慮のぉ聞きに来ておくれやすな?」
「あ、あぁ、なんだ、良かった・・・・・それならお言葉に甘えて一度寄らせて頂きますね」
「へぇ、お待ちしてます」
クスクスと笑い声を立てるシマだったが、会話を聞いていた藤堂は一気に顔を真っ赤にし怒鳴る。
「ちょ、沖田さんっ!?い、い、今、もの凄い勘違いしてませんでしたかっ!?」
「あはっ。気のせいですって」
「いやいやいや。チラッとこっちを見ましたよねっ!?」
あたふたと動揺する藤堂の肩を永倉がガシッと抱く。
「そりゃ、おメェー。俺らに隠れてコソコソしてたんだから、そう思われても仕方ねぇはな?」
「べ、別にコソコソなんて・・・・・」
「それに、だ」
そこで言葉を区切った永倉は、ワザと総司たちに背を向け藤堂にだけ聞こえるように囁く。
「そんなに動揺するってこたぁ・・・・・おメェ、惚れてるな?」
「っ!!ち、ちがっ・・」
「心配すんな、俺たちは人の恋路を邪魔するほど野暮じゃねぇぜ?それに。わざわざ見舞いに来たってぇことは・・・・・向こうにその気がない訳じゃねぇってことだ」
「えっ?」
「んだよ、鈍いなおメェも。わざわざ壬生村まで会いに来たってことは、おメェに気がある証拠だろ?そこまでされて何もせずに帰したら男がすたるってもんだぜ」
「な、な、な、何かなんてっ」
「バーカ。誰も押し倒せなんて言ってねぇよ。ここに秘めてるお前の気持ちを伝えろって言ってんだ」
そう言いながら永倉は藤堂の胸を指で押す。
「そ、そんな、まだ心の準備がっ」
「ほんと子供だな、おメェはよぉ」
ため息交じりに永倉が呟くと、それまで黙って聞いていた原田が口を挟む。
「気持ち伝えんのに必要なのは、心の準備じゃなくて勢いだろ?」
「おっ?左之にしちゃぁ珍しく良いコト言うじゃねぇか」
「珍しく・・・は余計だ」
永倉の言葉に憮然としながらも、原田は言葉を続ける。
「俺たちゃ、いつ死ぬかわからねぇ身だ。それはお前も身に染みてわかってんだろ?」
原田が示すのは池田屋でのこと。
あの夜。藤堂は傷を負った。池田屋での傷が元で死んだ者もいる。
というより、誰が死んでいてもおかしくない状況だった。
「今日は生きてるが、明日は死んでるかもしれねぇ。だったら生きてるうちに出来ることを精一杯やっておくべきだろ?少なくとも・・・・・俺はそう思ってるぜ?最期の瞬間に後悔なんぞしたくねぇからな」
それは原田らしい言葉だった。
池田屋での戦闘。その前と後では明らかに生と死に対する考えが変わった。
敵を斬り、仲間が斬られ、あの夜を境にそれまで漠然としていた「死」が身近に感じられた。
明日は自分が死ぬのかもしれない。と、そんな恐怖に駆られることもある。
だからこそ「今」ある時間を大切に生きようと思えるのだ。
そう。後悔しないために。
その日の夕刻。
屯所を出た藤堂とおシマは・・・・・。
夕日に照らされ赤い顔をしながら、仲良く手を繋ぎ四条通りを歩いていた。